31、リゼリア、王宮に戻る
翌日。
目を覚ますと、ユーリはすでに起きていた。いつもなら私の方が先に起きているのに。
今日は珍しい。
「……おはよう」
「……ああ」
昨日のことが尾を引いているのか、少しだけ気まずさが残る挨拶だった。けれど、その空気は昨日ほど張り詰めてはいない。
ユーリはキッチンへ向かうと、すぐにマグカップを二つ手に戻ってきた。
「……ん」
差し出されたカップを受け取ると、中は温かいホットミルクだった。
こんなことをする人じゃないのに。彼なりの気遣いだろうか。
「ありがとう、ユーリ」
「……ああ」
短い返事だった。それでも不思議と昨日のような冷たさは感じない。
沈黙が落ちる。
ちらりとユーリを見ると、彼は視線を逸らしながら頬を掻いていた。
その仕草が少しだけおかしくて、思わず笑ってしまう。
「……ふふっ」
「なんで笑うんだ」
「いや……なんか、いつもと違うから」
ユーリは小さく息を吐いた。
「昨日は……悪かった」
意外な言葉に、思わず瞬きをする。
「俺も言い方が悪かったかもしれない」
「……ううん。私も、意地になってた」
そう返すと、ユーリはわずかに視線を落とした。
しばらく沈黙が続く。やがて彼は諦めたように息を吐いた。
「…………行くんだろ?」
「ええ」
迷いはなかった。それだけは、昨日から変わっていない。
ユーリはしばらく私を見つめていたけれど、やがて視線を逸らした。
「魔法だけはかけてやる」
ぶっきらぼうなその言葉が、妙に嬉しかった。
***
リゼリアは王都に戻っていた。
しばらく薬師ギルドには行けそうにない。だからユーリにお願いしてユアンに手紙を出した。
そしてクロード殿下に会うため、正式に謁見を申し入れるつもりで王宮へ向かう。
もちろん認識魔法もかかっている。
「念の為だ。王都で捕まるのは面倒だろ」
そう言って、ユーリから受け取ったのは、魔法を宿したブレスネット。ユーリがそばにいなくても簡単に魔法の解除や使用ができるようにと用意してくれた。
小さな赤い宝石が揺れるそれを、私はそっと握り直す。
(なんだかんだ、協力してくれるのよね)
そう思うと、少しだけ心強い。
昨日はあんなに反対していたのに。
言葉は配慮のかけらも無い。だけどユーリの行動には優しさがあった。それをリゼリアはしっかりと理解していた。
クロード殿下の件は、冷静に考えればユーリの言う通り危うい部分もある。
ギルドでのあの様子。あの執着にも似た言葉。
それでも――。
(確かめないと)
逃げたままでは、何も変わらない。
王宮は人の目も多い。正式な手続きを踏めば、少なくとも一方的な状況にはならないはずだ。
王宮の門の前に立つと、私は一度だけ深呼吸をした。
胸の奥が、少しだけざわついている。それでも足は止めない。
ここまで来たのは、自分の意志だ。
そして私はブレスネットを外す。
認識魔法が解ける感覚が身体を通っていく。そして、そのまま王宮の門を叩いた。
***
謁見の申し入れはすぐに通され、応接室へ案内された。
護衛が控える気配。
完全な二人きりではないことに、ほんの少しだけ安心する。
(これなら、いきなりどうにかされることはないはず)
用意されたお茶に手をつけながら、クロード殿下を待った。
すると、静かだった部屋にノックの音が鳴り響く。
私は反射的に背筋を正した。
次の瞬間、勢いよく扉が開いた。
「リゼリア……っ!!」
駆け込むように現れたクロード殿下は、そのまま私を強く抱きしめた。
「よかった……っ、本当によかった……」
「無事に戻って来れたんだな」
シーンだけ切り取れば、まるで離れ離れになった恋人同士の再会の様である。
やっぱり彼の中で私は誘拐されたことになっているらしい。
だけど私はただ彼に会いにきたのではない。
真実を知るためにここに来たのだ。
「……殿下」
「ん? どうしたんだ」
あまりにも穏やかな声だった。優しすぎるくらいに。
だからこそ、余計に怖くなる。
「私は戻ってきたのではありません。話をしにきたのです」
クロード殿下の腕の力が、ほんのわずかに緩む。
「リゼリア……?」
私は目を逸らさなかった。
もう逃げない。
真実を知るために来たのだから。
***
同じ頃。
王宮の外壁近くでは窓の向こうをじっと見つめる男がいた。
周囲からは認識できないよう魔法を施している。伝説の大魔導師――ユーリ・アデラインである。
「俺はなんでこんなことをしているんだろうな……」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
放っておけばいい。あいつが自分で決めたことだ。
そう思っている。思っているはずなのに――。
それでもユーリは視線を外さなかった。窓の向こう、リゼリアのいる部屋から。
(こんなこと面倒なはずなんだが……)
だけど、その足は帰ろうとしなかった。
静かな焦燥だけが、そこに残っていたのだった。




