29、二度と失わない……!
ユーリが来てくれた。だけど状況は何も変わっていない。それなのに彼の存在がとても心強かった。
クロード殿下は、私がリゼリアであると確信している口ぶりだった。でも私はまだ認めていない。
ここは強く突き放すべきよね。そう決意した、その時だった。
「お前はあの時の男だな。貴様……よくもリゼリアを……!」
殺気を孕んだ視線をユーリへと向けるクロード殿下。けれど対照的にユーリは首を傾げていた。
「あ? お前、正体を明かしたのか?」
「ちょ……ちょっとユーリ……っ!!」
思わず叫んでしまった。
まだ私は正体を認めていなかったのに! 余計なことを言わないでほしい……!
だけど私はふと気がついた。私もやってしまったのだ。さっき、自分からユーリと呼んでしまったではないか。
「あ……私……」
慌てて口を押さえたけれど、もう時すでに遅し。
「あー、もしかして不味かったか?」
ユーリがぽりぽりと頬を掻いていた。状況を察したようである。でも自身の正体を明かされたことは、それほど気にしていないらしい。
「やはりな……! お前だろうと思っていたんだ。ユーリ・アデライン……!!」
自身の名を叫ばれてもユーリは特に動じない。ただ面倒そうにため息を吐いただけだった。
というか、ユーリのこともクロード殿下にバレていたの?
「そんなことより……いつまでこいつにくっついていんだ。さっさと離せよ」
「貴様……! リゼリアを連れ去っておいて、よくもそんなことが言えるな!」
「……は?」
今度は本気でユーリが眉を顰めた。
「何言ってんだお前」
少し考えるような間。そして指先はクロード殿下を指しながら私を見る。
「お前、こいつに何か吹き込んだのか?」
「ち、違うわ!」
私は慌てて首を振る。
「そんなことしてない!」
「じゃあ、話でもついたのか?」
「それも違うわ……!!」
(違う……! 全然違う……!)
クロード殿下があまりにも当然のように話す物だから、ユーリが納得しかけている。
「……ああ」
ユーリが納得したように頷く。
「理解した。話が通じない系か」
「誰がだ!!」
クロード殿下の怒声が飛んだけれど、ユーリはまったく気にしていない。
むしろ面倒事の種類が判明して安心したようにすら見えた。
そう言ってユーリはこちらへ向かってくる。
「とりあえず……リゼリア、こっち来い」
その言葉に胸が少しだけ軽くなる。
けれど、クロード殿下は私を抱えたまま後方へ飛び退いた。
「貴様の好きにはさせない……!」
その時、突如として突風が巻き起こる。廊下の壁や床が大きく揺れた。
「俺は二度とリゼリアを失わない……!」
その声音には異様な執念が滲んでいた。張り詰めた魔力の気配に思わず息を呑む。
クロード殿下の手から黒い魔力の塊が放たれる。空気を裂きながら一直線にユーリへと迫った。
「……へぇ」
ユーリがわずかに眉を上げる。そして、次の瞬間に軽く指を振ると、空間がぐにゃりと歪んだ。
黒い魔力の塊はユーリへ届く前に形を失い、霧が晴れるように跡形もなく消え去る。
「お前さ」
ユーリは呆れたように息を吐く。
「俺の話、ひとつも聞いてなかっただろ」
そう言いながら、消えゆく魔力の残滓へ視線を向ける。
「……まあ、思ったより強いけどな」
その瞬間だった。空間が大きく歪む。
「……えっ!?」
突然自身の身体が強く引っ張られる感覚。視界がぐらりと揺れる。
リゼリアは思わず目をぎゅっと閉じた。そして次に目を開けた時には――見慣れた部屋が広がっていた。
「あれ……?」
きょろりと辺りを見回す。どう見てもユーリの家だ。
「帰ってきた……?」
「ああ。あのままじゃ面倒だったからな。わざわざ戦う必要もない」
その言葉に思わず苦笑しそうになる。さっきまであんな緊迫した空気だったのに。
「……ありがとう」
「礼はいい」
ユーリは短く答えた。だけどその視線は私から外れなかった。まるで何かを確かめるように。
そのままユーリはソファへと腰を下ろす。そして少しだけ真面目な顔になる。
「それよりお前、気付かなかったのか?」
「……何を?」
ユーリは少しだけ考えるように視線を逸らした。
「さっきだ」
その言葉に、私は首を傾げる。ユーリが何を指しているのか全くわからなかった。
「あいつのそばにいると、息苦しくなったんじゃないか?」
心臓が跳ねた。
(確かに……)
ギルドでも。抱き締められていた時も。妙に息苦しかったのだ。
「それが……何?」
ユーリはすぐには答えなかった。ただ、どこか険しい表情のまま黙り込んでいる。
その横顔を見ながら、胸の奥がざわついた。
嫌な予感が……止まらない。
***
一方その頃。
薬師ギルドの廊下では、ユアンが壁際でぽつんと立ち尽くしていた。
(……とんでもないものを見てしまった気がする)
例の男がリーゼを捕まえて、ユリスが助け出した。
いや、そこまではまだいい。問題はその後だ。
(……リゼリア、ユーリ……か)
もしかして……あの二人って……、嫌な予感しかしない。
もし僕の想像が当たっているなら、とんでもない大物じゃないか。
しかも、僕は見てしまったのだ。あの男が胸元から取り出しかけたものを。
金色に輝く薔薇の紋章。見間違えるはずがない。
(あれ……王家の紋章だよね?)
「あはは……」
乾いた笑いが漏れる。
うん。
やっぱり見なかったことにしたい。
しかも男は男で、
「くそ……っ、リゼリア……! また助けられなかった……」
なんて悔しそうに呟いていた。
何を言っているのか、本当に分からない。いや、わかりたくもなかった。関わったら絶対に面倒なやつだ。
でも今は、それよりも大事な問題がある。ユアンは視線をゆっくり横へ向けた。
あの男が魔法で暴れたせいで、ギルドの壁や床がボロボロなのだ。
(修理費高いだろうなあ……)
薬師ギルドの予算、大丈夫かな。そんなことを考え、一瞬現実逃避しかけた。
その時。ふいに、廊下の先に立っていた男がこちらへ顔を向けた。そして、そのまま歩いてくる。
(えっ)
ユアンは反射的に背筋を伸ばした。
(僕!? なんで!?)
何か怒られるのだろうか。いやでも僕は悪くないよね? むしろ被害者だよね?
そんなことを考えているうちに、男は目の前まで来た。そして一枚の紙を差し出す。
「これ、ここに請求していい。すまなかった」
「……へ?」
あまりにも予想外の言葉だった。男はそれだけ告げると、そのまま立ち去っていく。
ユアンはぽかんとしたまま紙を見下ろした。
どうやら小切手らしい。
しばらく固まった後、呑気に感想を言ってしまった。
「修理費払うんだ……」
僕も何を言っているのだろうか。
でも思っていた展開と違っていた。もっとこう……「王家のために黙っていろ」とか、「今のことは忘れろ」とか、そういう展開を想像していたのに。
思っていたのと違う。かなり違う。
(意外と常識人なのかな……?)
いや。リーゼを抱えて走り回っていた時点で、それはない気がする。
(常識の範囲じゃない)
ユアンはそう心の中で結論づけた。
「……うん」
手の中の小切手を軽く折りたたむ。金額を確認する気にもならない。
「忘れよう」
それが一番だ。絶対に一番だ。
……たぶん。




