26、魔力欠乏症の謎
「この配合はどうかしら?」
薬師ギルドの一室。リゼリアは試作した薬液の瓶を掲げながら尋ねた。
研究に参加することになってからこうして薬師ギルドへ通っている。ユーリは毎回参加するわけじゃない。でも必ずギルドまでは送り届けてくれるのだ。
文句を言いながらも「追われているんだろ」と送ってくれる。
なんだかんだ優しい。そのことにほんの少し嬉しくなっている自分がいた。
「すごいですね、リーゼさん! 本当に勉強を始めたばかりなんですか?」
近くにいた薬師が感心したように声を上げる。
「勉強していたら楽しくなってきてね」
そう答えると、隣からすかさず声が飛んできた。
「ほら見ろ。夢中になれば周りが見えなくなるだろ」
ユーリだった。今日は珍しく研究にも顔を出している。
「かと言って、貴方みたいに食事を忘れたりはしないわ」
「それは集中が足りないんだな」
「違うわよ」
即座に否定する。どうしてこの人は研究になると途端に常識が通じなくなるのかしら。
リゼリアが呆れていると、別の薬師がふと首を傾げた。
「そういえばユリスさんって、いつも手袋をされていますよね」
「ん?」
その言葉にユーリが視線だけ向ける。
「薬師って細かい作業をすることも多いですし、少し気になって」
そう言われて、リゼリアも改めてユーリの手を見る。
確かに出会った頃からずっと手袋をしていた。
暑い日も寒い日も関係なく。初めの頃はなんとなく気になったけれど、今では当たり前の光景すぎてすっかり忘れていた。
「癖みたいなものだ」
ユーリは興味なさそうに答える。
「へぇ〜」
薬師も深く追及することなく頷いた。
「手袋がないと落ち着かない人っていますもんね」
「そんなものだ」
前に私が聞いた時も、似たような答えだった気がする。
(やっぱり話したくないことなのかしら)
どうもこの話題は避けたいみたいなのよね。あの時も少しだけ気になったけれど、無理に聞き出すつもりはなかった。
誰にだって、触れられたくないことの一つや二つあるものだ。
そう考えた、その時――。
ばんっ!
勢いよく扉が開いた。
「データの解析ができたよ〜!!」
飛び込んできたのはユアンだった。
髪はいつも以上に乱れ、両腕には大量の資料を抱えている。
「ユアン?」
「すごい発見だよ〜!」
ユアンは興奮した様子で資料を机いっぱいに広げる。
「魔力欠乏症の患者はね、細胞が壊れる時に高くなる数値が軒並み高いんだ!」
「それってどういうこと?」
リゼリアが首を傾げると、ユアンは嬉しそうに説明を続けた。
「つまりね〜。魔力だけの問題じゃなくて、ちゃんと身体にも異常が起きてるってこと!」
そして今度は少し真面目な表情になる。
「今までは魔力由来の病気だから薬師には何もできないと思われてた。でも身体に変化が起きているなら話は別だよ」
「ポーションが効く可能性がある?」
「そういうこと!」
ユアンは満足そうに頷いた。
胸が少しだけ高鳴る。
今まで魔法師にしか介入できないと思われていた病気に、別の道が見え始めているのだ。
けれど――。
「それとね」
ユアンは一枚の資料を取り出した。
「リーゼの検査結果なんだけど」
「私?」
「これがちょっと不思議でさ〜」
珍しく歯切れが悪い。
リゼリアもユーリも自然と表情を引き締めた。
「驚いたことに、ほとんど異常がなかったんだ」
「え?」
思わず目を瞬かせる。
「魔力欠乏症の患者に見られる数値の上昇も確認できない。血液にも異常はないし、身体そのものはすごく健康なんだよね〜」
部屋が静かになった。
(私の身体は健康……?)
でもそれなら辻褄の合わないこともある。そんなはずがない。
「でも私、何度も体調を崩していたわ」
リゼリアは思わず口を開く。
「息苦しくなったり、立っていられなくなったり……」
婚約破棄の少し前から続いていた不調を思い出す。
(あれは健康な人間の状態じゃないわ……)
するとユーリが資料を見ながら口を開いた。
「それは別問題だな」
「別問題?」
「魔力は生命維持にも関わる」
ユーリは淡々と続ける。
「極端に魔力が減れば身体に不調が出るのは当然だ」
「ああ〜!」
ユアンがぱんっと手を叩いた。
「そういうことか〜! さすが魔法師だね〜!」
「つまり?」
リゼリアが首を傾げるとユーリが答えた。
「つまり、リーゼの身体は壊れていない。魔力不足そのものが不調を引き起こしていたんだろう」
「だから検査結果は正常だったんだね〜」
ユアンも頷きながら続ける。
「普通の患者さんは身体にも異常が出てる。でもリーゼにはそれがない。リーゼの症状は、普通の魔力欠乏症とは違う可能性が高いと病理学的にも証明されたのさ!」
その言葉にリゼリアは息を呑んだ。
やはり自分は特殊なのだろうか。ポーション開発でもしかしたらと思っていたけど……。
どちらにしても原因がわかったわけじゃない。諦めるにはまだ早いはず……。
するとユアンは、次の瞬間にはいつもの調子に戻った。
「まあ、だからこそ面白いんだけどね〜!」
「面白いって……」
「普通じゃないなら調べる価値があるってことだよ!」
きらきらと目を輝かせている。研究者の顔だった。
「リーゼは治したいんでしょ?」
その一言に、胸の奥が小さく震えた。
治したい。失われた魔力を取り戻したい。そのためにここまで来たのだから。
「今はまだ分からないことだらけ。でもね」
ユアンはにっこり笑う。
「少なくとも僕は諦める気ないよ〜。普通の魔力欠乏症も調べるし、リーゼの症状も調べる。できることは全部やるよ」
「俺も調べているしな」
「ユリスまで……」
その言葉たち、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……よろしくね」
そう言うと、ユアンは満足そうに頷く。
「うんうん、いいね〜!」
そして勢いよく手を叩いた。
「じゃあ研究再開!」
「休憩は?」
「あとで〜!」
「食事は?」
「あとで〜!」
「睡眠は?」
「あとで〜!」
「ダメじゃないの!」
思わず叫ぶと、ユーリが腕を組んだまま頷いた。
「その気持ちは分かる」
「分からなくていいのよ!」
研究室に笑い声が広がった。
なんだろう、私……今、すごく楽しい。
こんなふうに研究したり、人と話したり。まるで自分の居場所を見つけたみたいだった。
こんな日々がずっと続けばいいのに。そう思った、その時だった。
――チリン。
来客を知らせる呼び鈴が鳴った。
「お? お客さんかな。ちょっと行ってくるね〜」
そう言ってユアンは部屋を出た。
私は再びユーリや薬師たちと研究に戻った。
だけど――。
「ユアン、遅いわね?」
「そうだな」
「私、ちょっと見てくるわ」
そう言って席を立ち、店先へ向かう。
扉に手をかけた――その瞬間。
「……っ!?」
息が詰まった。胸が苦しい。けれど、それは一瞬で消えた。
(今のは……?)
首を傾げながら扉の隙間を覗く。
そして、リゼリアは凍りついた。
見間違えるはずがない。
フードの隙間から覗く漆黒の髪。そして、赤い瞳。
(クロード殿下……!?)
どうしてここに!?
その時、まるで何かを感じ取ったかのように――クロードがゆっくりとこちらへ顔を向けたのだった。




