21、その魔力はどこへ消えた?
「ユーリが帰ってこない……」
ぽつりと零れた声が静かな家の中に響いた。
ユーリと暮らし始めて数ヶ月。こんなふうに彼が帰ってこなかったのは初めてだった。
けれど私は気づいていた。ユーリが時折、私が眠った後に家を出ていることを。
そして、朝方に目を覚ます頃には何事もなかったように戻ってきている。
私はユーリのことをあまり知らない。
好きな食べ物も。どこへ行くのかも。何を考えているのかさえ、よく分からない。
それでも一緒に暮らしている。
お互いに話したくないことの一つや二つあるだろう。だから私は、無理に聞こうとはしなかった。
だけど今回のように帰ってこないことはなかった。
(……何かあったのかしら)
大魔導師であるユーリに限って心配はいらないのだろうけど……そう思うのに落ち着かない。
その時、ドアの方から物音がした。
「……ユーリ?」
リゼリアは思わず立ち上がる。そして足早に向かった先で見えたのは、見慣れた白銀の髪だった。
胸の奥が、ほっと緩むのがわかった。
「……おかえり」
「ああ」
二人の間に沈黙が落ちる。
「……何かあったの?」
恐る恐る尋ねると、ユーリはわずかに視線を逸らした。
「いや、ちょっとな」
それだけだった。それ以上は話したくないらしい。ユーリはいつも通りのようにみえる。
だからこそ、私はそれ以上何も聞けなかった。
***
それからというもの、ユーリは時々ふらりと家を空けるようになった。
一日で戻ることもあれば、数日帰ってこないこともあった。
(きっと何か事情があるのよね……)
今の私たちはただの同居人でしかない。話したくないことを無理に聞くつもりはない。
でも――。
(心配なものは心配だわ……!)
一人で食事の準備をしながら考え込んでいた、その時だった。
玄関の扉が開く音がする。
「ユーリ!」
思わず立ち上がる。そして、入ってきた本人はいつも通りの顔をしていた。
「ユーリ、今回は長かったのね」
「ああ、少し手間取ってな」
やっぱり詳しく話す気はないらしい。
そう思いながら彼を見ていると、羽織を脱いだ拍子に首筋が見えた。
「……っ!」
なんと彼の首の後ろに赤い切り傷があったのだ。リゼリアはすぐさま立ち上がると、ユーリの元へと駆け寄る。
「ユーリ、それどうしたの!?」
リゼリアは慌てて駆け寄った。
けれど、本人は傷の存在に今気づいたかのように首へ触れる。
「あ、ここにもあったのか」
ユーリはなんでもないような様子で、そのまま無造作に手をかざす。
すると淡い光が傷を包み込み、傷がみるみるうちに癒えていく。
すっかりと傷は無くなっていた。
「これで大丈夫だな」
あっさりと言われて、リゼリアの眉がぴくりと動いた。
これで大丈夫?
それはつまり、今までもこんな怪我をしていたかもしれないということ?
「大丈夫じゃないわよ……!」
気づけばユーリの腕を思い切り掴んでいた。
「でも治ったぞ?」
「そういう問題じゃないのよ……!」
本当にこの人は……! 何もわかっていない。
「なんでそんなに怒っているんだよ」
「怒ってるんじゃないわ!」
思わず声が大きくなる。
「心配しているのよ!」
「……へ?」
ユーリは本気で驚いたように目を丸くさせている。
その顔を見た瞬間、胸の奥に溜め込んでいたものが一気に溢れ出す。
「今までずっと待っていたのよ!」
「いつも黙っていなくなって!」
「帰ってこないなら一言くらい残してよ!」
「心配するでしょう!?」
「それに帰ってきたと思ったら、今度は怪我までして……!」
気づけば、溜め込んでいた言葉が次々と溢れていた。
ユーリはただ呆然と見つめている。まるで、自分が怒られる理由が本当に分からないみたいに。
「……別に死にはしない」
「だからそういう問題じゃないの!」
リゼリアは叫ぶように言った。
「私は心配だったのよ!」
その瞬間。ユーリがぴたりと動きを止める。
「…………そうか」
小さく呟いた声は、どこか拍子抜けするほど静かだった。
「ごめん」
あまりにも素直な謝罪に、今度はリゼリアの方が言葉を失った。
「次からは書き置きくらい置いていく」
視線を逸らしたまま、ユーリはぽつりと言った。
「最初からそうしてよ!」
思わず声を上げると、ユーリは珍しく小さく笑った。その顔を見て、私もつられて笑ってしまう。
張り詰めていた空気がようやく和らいだ。けれど、ふと気になった。
「でも、本当に何をしていたの?」
リゼリアが尋ねると、ユーリは少しだけ視線を逸らした。
「……まあ色々だ」
「色々じゃ分からないわ」
じとりと睨むと、ユーリは観念したように口を開く。
「お前の魔力についても調べていた」
その言葉に、リゼリアは目を瞬く。
「私の?」
「ああ」
先ほどまでの気の抜けた雰囲気が消え、ユーリは真面目な顔で続けた。
「その前に、魔力欠乏症についてどこまで知っている?」
「えっと、魔力が減っていく病気……?」
「まあ、普通はそんな認識だろうな」
ユーリは小さく頷いた。
「本来、魔力は体の中に留まっている。水を入れた瓶みたいなものだ」
「瓶?」
「魔力回路が瓶の役割をしている」
なるほど、とリゼリアは頷く。
「一般的な魔力欠乏症は、その瓶が自分の魔力を異物だと勘違いして壊してしまう状態だ」
「そんなことが……」
「だが、お前は違う」
ユーリの表情が険しくなり、空気が変わった。
「お前の魔力は消えていない」
リゼリアは息を呑む。
「流れているんだ」
「流れている……?」
リゼリアの呟きに、ユーリは静かに答えた。
「ああ。そして――」
「誰かに奪われている可能性がある」
「え……?」
その瞬間、頭の中が真っ白になる。
病気じゃない……?
今までそうだと思っていたものが、根底から覆される。
奪われていたって……。
そんなことが、本当にあり得るの……?
私の身体に一体何が起きているというのだろうか。
青天の霹靂とは――まさにこのことなのだろう。
補足。魔力欠乏症は自己免疫性疾患がモデルです。




