12、ユーリ・アデライン①
崖から落ちかけた、その瞬間。
白銀の髪を持つ青年が、リゼリアの身体を抱き止めていた。
強い腕に支えられたまま、ふわりと身体が宙へ浮く。
視界の下には切り立った崖。
なのに、不思議と恐怖はなかった。
「……っ」
私は……生きている。
安堵と混乱が入り混じる中、目の前の青年を見上げる。
陽光を反射するような白銀の髪。
鋭いのにどこか気怠げな金色の瞳。
(あれ、どこかで……)
初めて会ったはずなのに――なぜか、彼を知っている気がした。
すると、その時だった。
「ーーリゼリア!!」
背後から響いた声に、全身が強張る。
恐る恐る振り返った先にいたのは――。
漆黒の髪に、赤い瞳。クロード殿下だった。
王宮騎士たちを引き連れ、崖の向こう側からこちらを見つめている。
「で、殿下……!」
クロードは張り詰めた表情のまま、こちらへ向かおうとしていた。
「今、そっちに行くからな」
その声を聞いた瞬間、ぞわりと背筋が震えた。
「……っ、いや……」
気づけば、拒絶するように身体が縮こまっていた。
そんなリゼリアの様子を見て、白銀の青年が怪訝そうに眉を寄せる。
「……何だ? 訳アリか?」
呆れたような声が降ってきた。けれど次の瞬間、彼の目が鋭く細められた。
「――お前、追跡魔法をかけられてるな?」
「……え?」
予想もしていなかった発言に、思わず目を見開く。
(……追跡魔法? 何を言って――)
けれど青年はすぐに何かを察したように、崖の向こう側へ視線を向けた。
クロード殿下をを見据え、小さく舌打ちする。
低く吐き捨てるような声だった。
「面倒なことに巻き込まれたな」
そう言いながらも、青年の腕が離れることはない。
次の瞬間、ぐらりと世界が揺れた。
「……っ!?」
一瞬で景色が歪む。
肌を掠める魔力の気配に、リゼリアは息を呑んだ。
(まさか……瞬間移動!?)
高度な空間魔法。
使える者など、この国でも限られている。
「リゼリア……!」
遠くからクロード殿下の声が響く。
今まで聞いたこともないほど切羽詰まった声だった。
「待ってくれ……!!」
けれど、その声に応える者はいない。
そして、リゼリアと白銀の青年の姿は、その場から跡形もなく消えていた。
***
目を開けると、そこは洞窟のような場所だった。
天井から滴る水が、ぽたり、ぽたりと音を立てている。
薄暗い空間に響く水音だけが妙に鮮明だった。
「……急に移動して悪かったな」
白銀の青年が頭を掻きながらぼそりと呟く。
どうやら私を抱えていたことに気づいたらしく、少し気まずそうに身体を離した。
「いえ……助けていただきましたし」
むしろお礼を言うべきなのはこちらだ。
私は慌てて頭を下げた。
すると、二人の間に微妙な沈黙が落ちる。
(……き、きまずい……!)
彼は私が何か事情を抱えていることくらい察しているだろう。
でも、だからといって初対面の相手に踏み込むほど親しいわけでもない。
何を話せばいいのかわからなかった。
(でも……)
やっぱり、この人をどこかで見たことがある。
白銀の髪に金色の瞳――。
「……あ」
脳裏に一人の人物が浮かぶ。
私が魔力欠乏症になる前に、王宮から招かれて訪れた魔法塔で、遠くから見かけたことがある人物。
無意識のうちに、その名を口にしていた。
「……ユーリ・アデライン……」
青年がぴくりと眉を動かす。
「あ?」
金色の瞳がこちらへ向いた。
「お前、俺のこと知ってるのか?」
「へっ……!?」
リゼリアは慌てて両手で口元を押さえた。
(わ、私……今、声に出してた!?)
顔が一気に熱くなる。
そんな彼女を見て、ユーリは呆れたように肩を竦めた。
「まあ、この国の人間なら名前くらい聞いたことあるか」
軽く流されたものの、リゼリアは思わず彼を見つめてしまう。
元魔法塔主にして大魔導師、ユーリ・アデライン。
数年前、突如として姿を消した伝説級の人物。
そんな人が、なぜこんな森の中にいるのだろう。
「……そんなに見られると困るんだが」
「す、すみません!」
慌てて視線を逸らす。
けれど気になって仕方がない。
「ですが、どうしてこんな場所に?」
「それはこっちの台詞だろ」
ユーリはじろりとこちらを見た。
「追跡魔法なんて付けられてるし。何かやらかしたのか?」
「ち、違います!」
反射的に立ち上がっていた。勢い余って声が大きくなる。
「事情があって逃げていたんです!」
「ふーん」
驚くほど興味のなさそうな返事だった。
「自由になりたくて……」
そう付け加えると、ユーリは一瞬だけこちらをみたけれど、すぐに視線を逸らした。
「まあ、俺には関係ないな」
あっさりと言い放つ。
「追跡魔法は解いておいた。もう追われることもないだろ」
それだけ言うと、ユーリは踵を返した。
「じゃあな」
「えっ!?」
思わず声が裏返る。
待って。
まさか本当に行ってしまうの?
(そもそも、ここはどこなの!?)
洞窟の外に何があるのかも知らないのに?
(今度こそ死ぬかもしれない……!)
それに、彼は大魔導師。魔力欠乏症について何か知っているかもしれない。
こんな機会、二度とない。
(やっぱり、私は……生きたい!!)
リゼリアは慌ててユーリの服の裾を掴んだ。
「ま、待ってください……!」
「……あ?」
ユーリは面倒そうに振り返る。
まずい。
何か言わなければ。
とりあえず引き留めてしまって、何を言うのか決めてなかった。
助けてください?
違う。
保護してください?
それも違う。
私はもう誰かに守られるだけの存在にはなりたくなかった。
だから――。
「わ、私を雇ってください!」
洞窟の中に声が響き、ユーリは数秒固まっていた。
二人の間の空気が完全に止まった。
「……は?」
しばらくした後、ユーリの声だけが洞窟内に響き渡っていたのだった。
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