第90話 壊れゆく盾、透き通る誓い
「無駄なあがきだ。お前たちの存在そのものを、歴史から抹消する」
大教主が放ったのは、空間の理を無視して肥大化する、漆黒の重力球。触れたものをすべて、0と1に分解し、アーカイブの塵へと変える抹消の嵐。
「……っ、させない! 僕が止めるんだ!! ……あああぁぁぁっ!!」
ロアが聖葬槌を振り下ろし、黄金の修復波を広げる。だが、シオンからのリソースが途絶えた槌の輝きは弱く、黒い影にじわじわと侵食されていく。
「……計算不能。……このままでは、ロアの修復圏が、崩壊します」
ナハトが、動いた。 彼女には武器はない。だがその背には、シオンから託された盾としての定義が刻まれている。
「ナハト、何をするつもりだ!? 回避しろ!!」
シオンの悲鳴のような警告。
「……シオン。あなたが私に、嘘までついて守ってくれた理由。……私も、演算してみたいんです」
ナハトは背中の翼を全開にし、ロアの前に躍り出た。 全身から紫の電磁パルスが吹き出し、自らの装甲を強引に重合させて、巨大な障壁を作り出す。
――ズドォォォォォォンッッ!!!!
漆黒の重力が、ナハトの障壁に激突した。
バリバリバリィィィィッ……!
不気味な破砕音がアーカイブに響く。 精密機械で構成された彼女の美しい腕が、脚が、そして胸の合わせ目が、不可視の圧力に屈してひび割れていく。
「ナハト!!」
ロアが絶叫した。
火花を散らし、紫の内部液を滴らせながら、ナハトは退かなかった。無機質な瞳で黒い絶望を見据え、ただ、少年の道を死守し続ける。
やがて、嵐が止んだとき。 ナハトはその場に、力なく崩れ落ちた。瞳の光が滅び、駆動音が消えかかっている。
「……ナハト! ナハト、応答しろ!!」
シオンのホログラムが滑空し、彼女を抱きかかえようとした。 だが、彼の震える手は、彼女の壊れゆく実体に触れることさえできず、空しく通り抜ける。
「……修復リソース、0。……外部からの修復は不可能です。……残された手段は、一つ。」
シオンは、背後の主を振り返った。 その顔には、もはやデジタルな冷静さは微塵もなかった。
「……ロア。……私の構成コードの大部分を、ナハトに転送する。……私のデータをパッチにして、彼女のシステムを縫い合わせるんだ。」
「……そんなことしたら、シオンはどうなっちゃうの!?」
「……消えはしない。……だが、……少しだけ、遠くなるだけだ。」
シオンは微かに笑い、ナハトの胸元に手をかざした。
[シオン:アーカイブ・リソース 全解放]
[対象:ナハトへの強制統合を開始]
シュゥゥゥゥ……ッ!!!!
眩い翡翠の光が、死にゆく人形を包み込む。ナハトの壊れた身体が、シオンの体であったはずの翡翠の光によって、無理やり接合されていく。
代わりに、シオンのホログラムは、見る間にその鮮やかさを失っていった。
……10秒後。 ナハトが、ゆっくりと目を開けた。
「……あ。……私……生きて……?」
身を起こそうとしたナハトは、目の前の光景に息を呑んだ。そこにいたのは。向こう側の景色が完全に透けて見えるほどに薄くなり、陽炎のようにゆらゆらと揺れる、半透明のシオンだった。
「……よかった。……ナハト、無事……だな」
その声は。 もはやシオン自身の声ではなく、遠いどこかから響く、幽かなエコー(反響)だった。
「シオン!! 身体が、透けてるよ……!!」
ロアが必死に手を伸ばすが、指先は空虚な光を掬うだけ。
「……大丈夫だ、ロア。……私は、君の隣にいる。……ただ、少しだけ、影が……薄くなっただけだ。」
(第90話 終わり)




