第86話 悲しみの解体、希望の再構築
「……壊せない悲しみ」
ロアの唇から、その言葉が零れ落ちる。核記録体から流れ込む喪失の記録はあまりにも巨大で、あまりにも純粋な、剥き出しの「痛み」だった。
「ロア! 耐えるんだ!」
ノエルが、震えるロアの肩を強く掴む。
「……ロア。これは、致命的なシステムエラーだ。……処理しなければ、お前自身の精神定義が、無に飲み込まれるぞ!」
(違う……。これは、エラーなんかじゃない……。誰かが、大切にしてた、大切な……気持ちなんだ……っ!)
ロアの脳裏に、ガレンの笑顔が重なった。
「大丈夫だよ、ロア。お前なら、きっとできる」
その言葉が、少年の凍り付きかけた心を打ち抜く。
「……うん。僕に、できるよ。爺ちゃんが言ってた。……汚れがどうしても落ちないなら、もっと丁寧に、優しく磨けばいいって」
ロアは聖葬槌を―― まるで壊れ物を扱うかのように、そっと球体の表面へ接触させた。
キィィィィィィィィン……。
黄金の修復波が、記録体全体を真綿のように包み込む。それは悲しみを消す光ではなく、悲しみを受け止めるための、祈りの光だった。
精密な修復の力が、巨大な悲しみの塊を、一つ一つの記憶の欠片へと解きほぐしていく。
キラァァァァァァッ……!
やがて核記録体は、無数の輝く記憶の星々となって、乳白色の空間へと散らばっていった。それは過去の痛みを消し去るのではなく、その痛みが生まれた背景にあった、小さな希望を拾い集める作業。
一つ、また一つと、光の塵が天へと昇り、静かに昇華していく。
「ふぅ……。これで、掃除……完了!」
ロアが、満身創痍の笑顔を仲間に向けた。
「……驚くべき……演算結果だ。……ロア。お前は、世界の根本的なエラーに対する、新たな解決式を提示した」
シオンがロアを見つめる。そのホログラムの瞳には、以前よりも深い色が宿っているように見えた。
空間の最深部への道が開かれる。さらに深く、垂直に落下していく一行。
辿り着いたのは漆黒の虚無の中に、鏡のように澄み渡った氷の湖が広がる空間。
アーカイブ・コリドー(記録の回廊)。
そこは、音さえも凍り付いた、世界の真の記憶が眠る墓標。
パシィッ……。
一行が降り立つたび、氷の床からは波紋ではなく、淡い光の幾何学模様が広がっていく。 空には星屑のように無数の記録クリスタルが、幽かなハミングを奏でながら浮遊していた。
シオンは先頭を浮遊しながら、周囲の記録を無意識にスキャンする。 その時、彼の演算回路が、ある特定の座標で激しく瞬いた。
[検索対象:ガレン・G・ロア 関連データ]
クリスタルの中に、小さな映像が映し出された。 雪の山小屋。不器用にロアを抱き上げ、不器用に笑うガレンの姿。
「…………。」
シオンは、足を止めていた。 本来なら既知のログとして切り捨てるべきデータだ。 それなのに、シオンの疑似心臓部(論理プロセッサ)が、熱を持ったように脈動した。
「……なぜだ。……この記録の、どこを修復すればいい。……どこに、掃除の必要がある。」
ナハトが、黙ってシオンの隣に降りた。 彼女もまた、その記録を見つめていた。
「……演算不可。……対象の笑顔により、私の出力効率が0.01%上昇。……理由、不明」
「『……そうか。……ナハト、お前もか』
シオンは、ロアたちが追いついてくる前に、その記録を静かに閉じた。けれど、彼のシステムログには、その記録へのアクセスパスが、消えないブックマークのように深く刻まれていた。
(第86話 終わり)




