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第84話 壊せない敵、正しくない正義

 最初の一撃は、ラグが止めた。


 群れの中から迫ってきた記録体が振るう、錆びた斧。 ラグはそれを、盾の縁で強引に弾き飛ばす。


 ガン──!!!


 硬質な音が乳白色の空間に響き渡り、記録体がよろめいた。


「……ロア。これ、倒していいのか?」


 ラグが、構えながらも前に出ない。  目が合った記録体の顔はどこにでもいる、疲れ切った一人の父親に見えた。

 灰色の髭。深い皺。  しかしその瞳は、人の温度をもたない空白だった。


「……分からない。でも……」


 ロアの声が、こわばる。 聖葬槌を構えながら、彼は自問した。

 これまでの敵は「バグ」だった。消去すべき不純物だった。だが今、目の前で蠢くのは誰かが生きた証拠だ。


 その容器は── 本物の人間の記憶データそのもの。


「……シオン。記録体を消去したら、その記録は戻ってくる?」


 返答まで、一秒の間があった。普段なら零コンマ単位で処理するシオンの演算が、不自然に淀む。


「……消去デリートは、不可逆だ。……その記録は、永遠に参照不能になる。……ロア。判断ジャッジを。周囲に増えている」


 霧の中で、新たな結晶柱が次々とパリンと砕け、光の粒子が人型を形成していく。  10体、20体。  やがてその数は、把握できないほどの濁流となって押し寄せる。


「……だったら、試してみる! 記録は壊さなくていい、バグ(汚れ)だけを抜けばいいはずだ!」


 ロアが、槌を目の前の記録体へと叩き込んだ。今度は剥離でも消去でもない。黄金色の修復の光だけを、極限まで圧縮して。


 キィィィィィィィィン……ッ!!!


 接触した瞬間、高周波の共鳴音が弾けた。  記録体が痙攣し、内側から純白の光が溢れ出す。

 人型を保ったまま、記録体はただ静かに停止した。


「……局所的なバグ除去クリーニングを確認。……記録データは保全されている。……ただし、出力に従来の3倍の精度コントロールを要する。……全数への実施は……」


「できる。やってみる!」


 ロアが、躊躇なく言い切った。


「アホか、3倍の精度なんてお前──」


 ラグが言いかけ、息を呑む。ロアの背負った意志の力が、聖葬槌を通じて世界を震わせたからだ。


「……あたしが援護する」


 ノエルが、翡翠の結晶片を前に掲げた。


「……翠の風で、記録体の動きを縛る。ロアは一体ずつ、集中して……お掃除して。……二人なら、できる」


「……頼んだよ、ノエル」


 ロアが、精緻な「修復の刃」を研ぎ澄ませる。  ノエルの旋風が舞うたびに、記憶の残滓たちが縫い止められていく。


 5体。10体。15体。


 だが── ロアの額から、大粒の汗が噴き出す。3倍の精度。それは、精神を針の穴に通し続けるような、地獄の消耗。


 指先が震え、槌の軌道がわずかにぶれる。


(……まだ、いける。……これはバグじゃない。……誰かの大切な、宝物なんだ……!)


 その強い想いが、ぶれた槌を── 消失の寸前で、踏みとどまらせた。


(第84話 終わり)


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