第80話 翡翠の凪、重なる翼の記憶
空から嵐の音が消え、翡翠色の輝きに満ちた静寂が訪れた。
ロアとノエルが立っているのは、かつて管理者ゼフィロスが玉座としていた塔の最上層。宙に浮いていた岩の球体は砂となって消え去り、そこには正常な青空と、どこまでもどこまでも続く白い雲の絨毯が広がっていた。
「……終わったんだ、本当に」
ロアが、腰を落としてその場に座り込んだ。手の中にある聖葬槌は、ノエルの魔力によって亀裂が翡翠色の光で塞がれ、以前よりも透明感のある鋭い気配を纏っていた。
「……全セクターの座標定義、および質量ベクトル、正常値へ復帰。……翠風の塔のルートサーバー、修復完了を確認」
シオンの安堵したような声が、広場に響く。
「……ノエル、お疲れ様。……この世界の風は、お前の意志に守られた」
「……うん。あたし、少しだけ分かった気がするの」
ノエルは、杖を持たず、ただ開いた自分の掌をじっと見つめていた。
「……あたしのルーツがプログラムだって言われて、最初は怖かった。あたしの全部が、誰かに作られた意味しかないのかもって。……でも、ロアの手を握った時の温かさは、絶対に偽物じゃないもの」
「……ノエルはずっと、僕の仲間のノエルだよ」
ロアが、いつものように穏やかな笑顔で頷いた。
「……だって、爺ちゃんが言ってたもん。便利な道具を作るのは誰でもできる。でも、誰かの心に寄り添うものを作るのは、愛がある奴にしかできないって。……ノエルは、あんな怖い管理者とは全然違うよ」
「……ロア……。ふふっ、やめてよ、恥ずかしいじゃない」
ノエルが、鼻をすすり、初めて本物の涙を拭って笑った。その笑い顔は、天空の民としての気高さを持ちながらも、一人の少女としての温かさに満ちていた。
その時だった。
「おい! これ、どうなってやがるんだ!!」
塔の下層階から、聞き慣れた、そして信じられないほど威勢の良い怒鳴り声が登ってきた。
巨大な浮遊岩の階段を一気に駆け上がってきたのは、全身埃まみれで、片腕に数枚の湿布(ナハトが即席で用意した補修シート)を貼ったラグだった。
「……ラ、ラグ!? いつ戻ってきたの!? 数キロ先まで飛ばされたんじゃ……」
「数キロだぁ!? 俺様を誰だと思ってやがる! あんな風の悪戯に負けてたまるかよ。……ひたすら、ひたすら走って走って、死ぬ気で地面を蹴り続けて戻ってきたんだよ!!」
ラグは、息を切らしながら腰の空の鞘を叩いた。
「……で、どうなった。あの翡翠のクソ野郎は?」
「……もう、いないよ。……お掃除、完了だよ」
ロアが誇らしげに答えると、ラグは一瞬だけ呆気に取られたような顔をした。そして次の瞬間、ガシガシと自分の頭を掻き回し、豪快に笑った。
「ガハハ! そうかよ、お掃除したか! ……いいぜ、俺様がいない間にそこまでやるとはな。……ノエル、お前も。……いい目をしてやがる」
「……ラグ。……ありがとう」
ノエルが、少しだけはにかみながら礼を言った。 武器を失い、空中を彷徨いながらも戻ってきた戦士の逞しさが、今の彼女には何よりも頼もしく思えた。
(……ゼフィロスは、死ぬ間際にガレンって呼んだ。怒っていたみたいだった。……爺ちゃん、空の上でもお掃除してたのかな。……それとも……)
ロアは聖葬槌の柄をギュッと握りしめ、自分だけが知る小さな違和感を、心の奥底に大切に仕舞い込んだ。
「……さあ、降りよう。ナハトが下で補給物資を広げて待ってるぜ。……それに、フィオナからはラグが生きて戻らなかったら世界中の酒を飲み干して暴れるって伝言も来てるからな」
「……フィオナ、本当に暴れそう」 一行は、再び笑い声を重ねて、天空の塔を後にした。
一歩踏み出す。 そこには、正常化された正しい距離の道が続いていた。しかし、ロアたちの心には、以前とは違う、目には見えないけれど確かな重みが刻まれていた。
世界を修復する責任と、信じるべき愛の重み。
(第80話 終わり)




