第64話 焦げ付く記憶、熱を剥ぐ刃
「守りてえモンがあるなら……ごちゃごちゃ言ってねえで、腕力でねじ伏せてみろ!!」
ラグの怒声と共に、巨大な黒鉄の大剣が荒野の熱風をまっの二つに裂いた。
「ほざけ、異端者がぁっ!」
理の巡礼者の武装異端審問部隊もまた、それぞれの身丈ほどもある長槍や大槌を構え、一斉にラグへと襲いかかってきた。
ガンッ! ギガァァンッ!!
すさまじい金属音が連鎖する。
三方向からの長槍の刺突を、ラグはただの大振りの一撃でまとめて弾き飛ばした。
重さと力任せに見えるが、スラムと傭兵稼業で何百回と死線を越えてきた彼の一振りには、一切の無駄というバグが存在しない。
「くそっ、なんだこの馬鹿力は……! ただの荒くれ者が、なぜこれほど我らが『固定された武の理』を崩せる!」
「固定された理? 笑わせんな」
隊長らしき男の焦りに、ラグは自嘲するような冷たい笑みを返した。
「テメェらの言う理ってのは、弱い自分を守るための言い訳だろ。俺はな、ガキの頃から今日のパンと明日の命が固定されてた日なんて一日もねえんだよ!」
剣を振り下ろすたびに、ラグの脳裏に泥まみれのスラムの光景がフラッシュバックする。 奪われるのが嫌なら、テメェの力で奪い返すか、守り切るしかない。失うことを恐れて「世界が変わらなければいい」などと泣き言を垂れる奴から、泥の中で死んでいったのだ。
「黙れッ! 貴様らに、我らの……私の絶望が分かってたまるか!」
隊長の男は、弾き飛ばされた槍を大地に突き立て、血を吐くような悲痛な叫びを上げた。
「……私の故郷はな、ある日突然『高熱のバグ』に飲まれた! 家族も、家も、麦畑も! 一晩にしてすべてがドロドロに溶け落ち、この理不尽な世界から消滅したのだ! 誰も助けてはくれなかった!」
バイザーの奥から、彼自身の家族の焼け焦げた記憶の欠片が零れ落ちるようだった。
「だからこそ……世界はこれ以上、変わってはいけないのだ! 一部の天才や神気取りが修復などと勝手に世界を弄り回せば、反動でまたどこかの村が、誰かの家族が、バグの被害に遭う! なら、いっそバグまじりの世界のままで完全固定された方が、これから何かを失う恐怖からは解放されるのだ!!」
男の言葉に、後方で控えていたノエルがハッとして息を呑んだ。 彼らはただ純粋に、これ以上何も失わず、傷つかないための「静止の世界」を望んでいたのだ。
「……おじさんたちの気持ち、すっごくよくわかるよ」
ロアが、悲しそうな瞳で隊長を見つめる。
「突然いなくなるのは、とっても寂しいし、すっごく怖いよね。……僕だって、お掃除が終わって帰った時、もし山小屋に爺ちゃんがいなかったらって想像したら、世界が終わっちゃうくらい悲しいもん」
「ならば……!」
「でもね、爺ちゃんは教えてくれたよ」
ロアが、両手で聖葬槌をしっかりと握り直す。
「汚れたままじゃ、本当に大切なものは守れないって。……ゴミの上にいくら綺麗な布を被せて固定したって、いつか中から腐って全部ダメになっちゃうんだ」
「ロアの言う通りだ」
ラグが再び大剣を肩に担ぎ直し、一歩、また一歩と隊長に距離を詰める。
「失ったからって……それにビビッて、残りの人生全部を泥沼の中に固定しようってんなら、死んでるのと同じウジ虫だぜ。……テメェの家族は、テメェがウジ虫みたいに生きることを望んだか?」
「き、貴様ぁぁぁっ!!」
逆上した隊長が、すべての力を乗せた特攻の刺突を放つ。 だが、それに真正面から打ち下ろされたラグの黒い大剣が、いとも容易く長槍の穂先を真っ二つにへし折り、そのまま隊長の首筋ギリギリの地面に突き刺さった。
パキパキとひび割れた大地。寸止めされた刃の風圧だけで、隊長は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「……俺の勝ちだ。とっとと故郷に帰って、大事な奴の墓でも磨いてこい」
ラグが大剣を引き抜き、凄む。 圧倒的な暴力と、決して折れない意志を見せつけられた巡礼者たちは、武器を捨てて完全に戦意を喪失した。
「……すごいや、ラグ! やっぱり前衛はかっこいいね!」
ロアがパアッと顔を輝かせて拍手をする。
「へっ、これくらいスラムじゃ朝飯前だ……ってワケにいかねえな」
ラグが息をつきながら笑い返そうとした、その時だった。
「……警告。対象座標の環境限界値、一二〇パーセントを超過。……熱量の絶対バグが発生」
ナハトの急を告げる音声すら、ジリジリとノイズに邪魔される。
「……なんだこれ!? 熱い、熱い熱い熱いっ!」
ロアが突然身を屈め、足元を激しくバタつかせた。 一行が立っていた荒野の土が、まるで水のようにブクブクと泡立ち、一瞬にして真っ赤なマグマへと変貌したのだ。
「ロア! ……っ、氷結の結界!」
ノエルが咄嗟にロアたちの足元全体に冷却の手を伸ばすが、魔法の氷は地面に触れる前に蒸発し、白煙となって消え去ってしまった。
「……チッ! これは通常の自然現象ではない。熱の変数が意図的に【摂氏五千度】へと書き換えられている!」
シオンが演算を展開しながら舌打ちをする。
泡立つマグマの奥底から、ドロリとした溶岩そのものが人の形を取って立ち上がった。
「……ククク。人間とは面白い生き物だな。失うのが怖いと泣き喚いた直後に、自ら溶岩の風呂に入りたがるとは」
全身が燃え盛る岩漿でできたその人影。 水鏡の神殿で出会った者とは異なる火焔の要塞を支配する新たな深淵の使徒だった。
「テメェが、この熱気ストーブの元凶かよ!」
ラグが汗だくになりながらも、マグマの海を跳躍し、使徒の脳天に向かって大剣を全力で振り下ろした。
「馬鹿者、下がるんだ!ラグ!」
シオンが珍しく大声で制止するが、遅かった。
ラグの渾身の一撃が使徒の頭部に触れた瞬間。
――ジュワァァァァァァッ!!
「……なっ!?」
叩き斬る感触など一切なかった。 巨大で分厚い鉄の塊であったはずのラグの大剣が、使徒の体表に触れた端から飴細工のようにドロドロに「溶解」し、溶岩の中へと消え去ってしまったのだ。
「……あっつぅぅぅっ!!!」
剣を伝ってきた異常な超高熱に耐えきれず、ラグは柄を手放して後方へ激しく吹き飛んだ。 彼の分厚い革の手袋は黒焦げになり、両腕にはひどい火傷が刻まれている。
「ラグ!」
ロアが悲鳴を上げて駆け寄る。
「……ククク。無駄だ。俺の周囲1メートルの境界線は、あらゆる運動エネルギーを【熱=溶解】へと即座に変換よう設定している。物理で俺をどうにかしようなどと、お門違いにもほどがあるというものだ」
使徒が、溶け落ちたラグの大剣の残骸を嘲笑うように踏み躙った。
「くそっ……俺の、剣が……」
ラグは火傷の痛みに顔を歪めながら、己の力が全く通用しなかった現実に、深い絶望の淵を覗き込んでいた。
物理攻撃無効、触れれば即溶解の、死の溶鉱炉。 圧倒的な力を持つ新たなる使徒を前に、ロアたちは最大の窮地に立たされていた。
(第64話 終わり)




