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第55話 策動する巡礼者、新たな目的地



「……結論から言うわ。世界は救われたけれど、同時に硬直し始めているの」


 学園の最上階。重厚な書棚に囲まれた、教授としての威厳と理の研究者としての実験機材が共存する、フィオナの執務室。


「……おかえりなさい、ロア。それから皆も」


 フィオナがデスクに広げられた立体魔導地図から顔を上げた。だが、その視線がロアの背後に控えていた白き装束の少年に止まった瞬間、彼女の手から愛用の魔導ペンがポロリと滑り落ちた。


「……なっ……!? ……ロア、その子は……嘘でしょ? ……管理プログラム直轄領域でしか観測されないはずの、あの静止の波動を、生身の人間ヒューマノイドが纏っているなんて……」


 フィオナの眼鏡が、驚愕のあまり明滅する。彼女は理の監視者として、生涯をかけて世界の管理者という概念を追ってきた。その彼女にとって、目の前の少年が放つ一点の揺らぎもない存在感は、あまりに圧倒的なまでの真実だった。


「あ、この子はシオンだよ。友達になったんだ! ね、フィオナ、すごくない?」


「……お、友達……? ……あの、ゼニスの絶対管理者を、呼び捨てにして連れ歩いているというの……?」


 ガタッ、と椅子を蹴るように立ち上がるフィオナ。その瞳には、恐怖を通り越し、研究者としての狂気すら混じった「歓喜」が宿っていた。


「……観察の対象にするな。不快だ。……記述強度が不足した低次プログラムの分際で、私のコードを読み解こうとするなど……」


 シオンが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「……喋った……!? ……ロア! 今すぐ彼を解析アナライズさせて! ……いえ、数式のモデルだけでもいい、……これは歴史的な……!」


「ダメだよ、フィオナ、掃除の会議の途中でしょ! ほら、カサブタの話をしてよ」


「……っ、……そうね。……失礼、少し取り乱したわ」


 フィオナは乱れた呼吸を整え、未だに背筋を走る戦慄を抑え込むように、再び魔導地図へと向き直った。だが、その意識の一部は、常に静寂を纏う少年へと引き寄せられずにはいなかった。


 地図上には、以前よりも鮮明な青い光の点がいくつも点灯しているが、その周囲に膿のようなどす黒い霧がまとわりついている場所が点在していた。


「これが瘡蓋かさぶたよ。ロア、君がゼニスで世界の理を再起動したことで、多くのバグは解消された。……でも、あまりに深く根付いていたプログラムの歪みは、正常な修復を拒絶するように、カサブタのように硬くなって世界に張り付いてしまったの」


「掃除が届かなかった……ってこと?」  ロアが地図を覗き込む。


「ええ。それだけじゃないわ。……この瘡蓋を、あろうことか神の恩寵だと触れ回っている連中がいるの。自らを理の巡礼者と名乗る宗教団体よ。……彼らはね、かつての世界崩壊や戦乱で多くを失い、変化そのものを極端に恐れているの。だからこそ、傷跡が硬直した静止の世界を求めている」


 その名を聞いた瞬間、シオンの眉が微かに動いた。


『……巡礼者、か。……私の管理下にあった頃、死の淵を彷徨う者たちが、世界の停止スタティックを神格化して祈りを捧げていた記録がある。……まさか、それが現実の組織として動き出したというのか』


「ええ。彼らは修復こそが不浄だと主張しているわ。……ロア、君が修復すればするほど、彼らは君を『世界を汚す異端者』として敵視するでしょうね」


「……掃除を、不浄……?」  ロアにとっては、信じがたい言葉だった。汚れたものを掃き清める。それはガレンから教わった、当たり前で、そして何より大切な喜びだったからだ。


「……でも、放っておけないよ。……爺ちゃんが言ってたんだ。カサブタはね、いつまでも残しておくと、その下が腐っちゃうんだって。……ちゃんと剥がして、新しい皮膚が出るようにしてあげなきゃ」


「……言うと思ったわ」  フィオナが、眼鏡の奥で愛おしそうに目を細める。


「まずは、ここを目指しなさい。……セレステの東、かつて響鳴きょうめいの谷と呼ばれていた場所。……今は、一切の音が失われた音が消えた荒野と化しているわ。そこに、巡礼者の有力な司教が潜んでいるという情報があるの」


「音が消えた荒野……」  ノエルが、地図上のその座標を静かに見つめる。


「行きましょう、ロア。……あなたの槌が、どんな沈黙も打ち破れることを、私が隣で証明してあげる」


「……ナハト、準備完了。……地上用の予備パーツ、および食事という名の有機物補充パッケージ、多数確保済み。……シオン様の不満耐性も、現時点では正常範囲内」


「……うるさい。……不本意だが、この世界の綻びは私が放置した責任の一端でもある。……付き合ってやるよ、修復者」


 シオンは不機嫌さを隠すように背を向けたが、その足取りは、フィオナが見ていた以前の「管理プログラム」の時よりも、ずっと軽やかで、確かな重みを持っていた。


「……アルゴスとリゼには、学園の防衛を頼んであるわ。……ロア、君たちは心置きなく、地上の掃除をしてきなさい。……この世界が、本当に息を吹き返すまで」


「うん。……行ってくるね、フィオナ!」


 学園都市セレステを後にし、一行は再び荒野へと一歩を踏み出す。理の巡礼者という名の影が、世界の至る所に伸ばされようとしていた。


(第55話 終わり)

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