番外編 ③ パッチワークの世界地図と未完成の海
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学園都市セレステのもっとも奥深く。フィオナ・ロックハートの研究室のデスクには、一本の空になったコーヒーボトルと、限界まで赤く明滅し続ける魔力バイザー、そして数え切れないほどの古い「地図」が散乱していた。
ガウェイン・フォン・ベルシュタインによる学園結界の物理破壊。あの一件以降、フィオナは取り憑かれたように世界の解析に没頭していた。
「……ねえ、ロア。少しだけ、私の頭痛の種につきあってくれない?」
ソファでノエルの膝に頭を乗せ、半ば眠りかけていた
(ノエルは「……重いわよ」とボソボソ文句を言いながらも、ロアの頭をどかそうとはしなかった)
ロアが、のんびりと顔を上げた。
「いいよ、フィオナさん。でも、あんまり難しい文字は見ると目が回っちゃうんだけどな」
「文字じゃないわ。……これよ」
フィオナがデスクの中央に広げたのは、巨大な一枚の羊皮紙。 それは、この大陸を含む「世界全図」だった。一般的な地理学者が見れば、それは極めて精緻に描かれた名作だ。東西に伸びる山脈、美しい弧を描く海岸線、王国と帝国の国境線まで、インクの濃淡で完璧に描写されている。
「すごいね、大きくて綺麗だ。でも……」
ロアは近づき、ゴーグル越しにそれに触れようとして、パッと手を引っ込めた。
「……これ、全部『嘘』で塗られてるね」
「正解よ」
フィオナは深くため息をつきながら、バイザーを外し、裸眼でその地図を見つめた。
「君の言う通り、この世界地図は……魔法(という名の粉飾)で綺麗に補正された、ただの建前なのよ」
フィオナは指先で一つ印を結び、地図に魔力を流し込んだ。
――ビリッ、パキパキッ。
地図の表面を覆っていた美しいインク(虚飾のテクスチャ)が、乾いた音を立てて剥がれ落ち、ロアのゴーグルに見えていたのと同じ真実の姿が浮かび上がる。
「え……? これ……」
無感情を装っているノエルでさえ、小さく息を呑んだ。
そこに現れたのは、もはや「地図」と呼べる代物ではなかった。全体的に四角く区切られたグリッド(マス目)のような線が無数に走っている。
「北の霊峰ガルド山脈付近は、異様に解像度が高いの。草木の一本、石の一つまで詳細に描画(設定)されているわ。あの頑固爺さん、ガレンがいた場所ね」
フィオナが細いペンで山脈を指す。
「でも、少し南に下って王都周辺を見てごらんなさい。……あちこちの区画が空白(Null)になっていて、街の形が何度もコピペされたように不自然に繰り返されているでしょ」
「本当だ。……同じ名前のパン屋さんが、四箇所に固まってる。これじゃパンが余っちゃうね」
「君の呑気な感想はともかくとして。……最大の問題は、これよ」
フィオナのペンの先が、大陸の最南端、広大な青色で塗られているはずの海を指した。だが、真実の地図上の海の部分は――。 巨大な正方形の漆黒のバグ(欠落)として、定規で引いたような直線に切り取られていた。
「ロア。この世界を作った何者かは……海(バージョン2.0)を、まだ実装しきれていない。波の処理や、深海の生物のアルゴリズムが重すぎた(演算が追いつかなかった)んでしょうね」
フィオナは、狂気と恐怖の混じった科学者の顔で笑った。
「だからあの海は、見えない壁(透明な結界)で封鎖されただけの未完成のエリアなのよ。……そこに無理やり魔力を流し込んで世界を動かしているから、各地にエラーや痛みの雷(ベルシュタインの呪い)みたいなバグが多発するのよ」
「……この世界は、パッチワークなんだね」
ロアは、そのいびつで、悲しいくらいに傷だらけの地図を、そっと撫でた。
「神様、すごく急いでこの世界を作ったんだね。だから、掃除する時間がなかったんだ。……フィオナさん、僕、行かなくちゃ」
「どこへ?」
「いろんなところ。……海にも、その不自然にコピペされたパン屋さんにも。だって、そのままじゃ、そこに住んでる人たちが可哀想だもん」
ロアの瞳には、地図のバグに対する恐怖はなかった。そこにあるのは、純粋な掃除の対象を見つけた、少年の果てしない好奇心と優しさだけだった。世界がいかにパッチワークの未完成品であろうと。彼にとっては、それは直してあげなければならない、愛おしいガラクタに過ぎなかったのだ。
(番外編 ③ 終わり)
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