第138話 絶対消去の執行者
ゴォォォォォォ……ッ。
光の奔流を抜けた先は、上下左右の概念すらない、純白の虚無空間だった。 足元には鏡のように澄んだ床がどこまでも広がり、上空には無数の巨大な歯車が、音もなく緩やかに回転している。
その空間の中央。 マスターシステム中枢へと続く「最後の扉」の前に、一人の男が立っていた。
くたびれた灰色のコート。ボサボサの髪。 気怠げにポケットへ手を突っ込んだその男——執行者カイムは、虚ろな目でロアたちを見据えた。
「……やっぱり、来やがったか。お掃除屋」
「カイム」
ロアが想奏槌を構え、一歩前に出る。
「俺たちは、じいちゃん——ガレンを助けに行く。そこを通してもらうよ」
「……助ける、ねぇ」
カイムが、やれやれと首を掻いた。
「お前ら、ガレンが今どうなってるか知ってて言ってんのか? あいつは今、世界中のエラーをその身に受けて、バグの塊そのものになってるんだぞ。
引き剥がした瞬間に、圧縮された絶死のバグが爆発して、この階層ごと全部『無』に帰す。助けるなんて、不可能だ」
「それでも、行くわ」
ノエルが杖を構え、魔力を練り上げる。
「私たちが、バグごと全部消し飛ばす。そのためにここまで来たんだから」
「……ガキどもが」
カチャッ……。
カイムが懐から、漆黒のマーカーペンを取り出した。それが、彼の武器。対象のデータ定義を根本から塗りつぶす『絶対消去』のデバイスだ。
「俺は、あいつに言われてんだよ。『もし俺が限界を迎えて、バグが溢れ出しそうになったら、お前の手で俺ごと中枢を消去しろ』ってな。 お前らみたいなイレギュラーを通すわけにはいかねえんだわ」
スッ……。
カイムがマーカーのキャップを外した。ただそれだけの動作で、空間そのものが恐怖に震えるように揺らいだ。
「悪いが、ここで消えろ。痕跡一つ残さずにな」
ズンッ!!!
カイムの姿がブレた。次の瞬間、彼はすでにロアの目の前に立っていた。黒いマーカーの先が、ロアの胸元へと突き出される。
「——させないッ!!」
バチィィィィィィィンッ!!!!
紫色の極太の雷撃が、カイムとロアの間に割り込んだ。アルゴスだ。両手から放たれた雷の障壁が、カイムのマーカーを受け止める。
「ロア、下がれ! こいつの『消去』はかすっただけでも致命傷になる!」
「チッ、硬てえ盾だ。だが——」
カイムがマーカーを振り抜く。
シュガァァァァァァァッ!!!
空間ごと塗りつぶされるような不快な音が響き、アルゴスの絶対防御の雷壁が、まるで薄紙のように「黒く」染まり、音もなく消滅した。
「なっ……!?」
アルゴスが目を見開く。
「消えな」
「そうはいかねえんだよ!!」
ドゴォォォォォォンッ!!!
頭上から、ラグの黒獅子の大剣が叩き落とされた。カイムは舌打ちをして後方へ跳躍し、大剣が叩き割った純白の床が派手に砕け散る。
「リン! 解析結果は!?」
ロアが叫ぶ。
「敵の『絶対消去』は、触れた対象の存在定義を0にするコマンドです! 物理的な防御や魔法障壁はすべて意味を成しません! 唯一の対抗策は……」
「『消される前に、新しい意味を書き足す』。だろ!?」
ロアが笑った。
想奏槌の柄を強く握りしめる。ガレンが残してくれたこの武器には、単なる「お掃除(破壊)」だけじゃない、「創造」の力が備わっている。
「ノエル! ラグ! アルゴスさん! 道を作って!!」
「任せなさい!!」
ノエルが杖を天へ掲げる。
カッ……!!
「【極大魔術・星天の白刃】!!」
無数の光の剣が空中に現れ、流星群のようにカイムへと降り注いだ。カイムは面倒くさそうにマーカーを振り回し、迫り来る光剣を次々と黒く塗りつぶして消滅させていく。
「目障りだ——」
「よそ見してんじゃねえぞ!!」
ラグが大剣を横薙ぎに振るう。 さらにアルゴスが死角から雷の槍を放つ。
「鬱陶しい……ッ!」
カイムの動きが、ほんの一瞬、遅れた。
その隙を、ロアは見逃さなかった。
ダァァァァァァンッ!!
床を蹴り、ロアは弾丸のようにカイムの懐へ飛び込む。振りかぶった想奏槌が、極彩色の光を放ち始めた。
「終わりだ、お掃除屋ァ!!」
カイムがマーカーをロアの眉間へと突き立てる。真っ黒な消去の波が、ロアの存在を飲み込もうと迫り——
「——書き換えろ(リライト)!!」
ドガァァァァァァァンッ!!!!!
ロアの想奏槌が、黒い波のど真ん中に叩き込まれた。消去の波が槌の先端から次々と「花びら」のデータに変換され、周囲に極彩色の吹雪となって舞い散っていく。
「なっ……俺の絶対消去を、別のデータに上書きしただと……!?」
驚愕に目を見開くカイム。
「じいちゃんは、まだ終わってない!!」
ロアの渾身の一撃が、カイムのマーカーをカチンッと跳ね上げ、そのまま彼の胸元を強打した。
ズパァァァァンッ!!
「ぐあぁっ……!!」
カイムの体が宙を舞い、純白の床を数十メートル転がって、ようやく止まった。手から離れたマーカーが、からん、と虚しい音を立てて転がる。
「……ハッ。マジかよ」
カイムは仰向けのまま、天井の歯車を見上げて乾いた笑いを漏らした。 ダメージのせいで、彼の体の輪郭がノイズ混じりに明滅している。
「俺の絶対消去を、真っ向から塗り替えやがった……。どんなデタラメなパッチ組んでやがる」
ロアが、想奏槌を下ろしてカイムのそばへ歩み寄る。
「あんたも、本当はわかってたんだろ」
ロアの声は、静かだった。
「じいちゃんが、消去なんか望んでないって。だから、俺たちを試した」
「……買い被るな。俺はただの、システムに従う門番だ」
カイムはゆっくりと身を起こし、ロアの顔をまじまじと見つめた。そして、ふっと表情を和らげる。
「……ガレンと同じ、バカみたいな目をしてやがる。 どうしようもねえ世界を、まだどうにかなるって、本気で信じてる目だ」
カイムは、痛む胸を押さえながら立ち上がった。そして、ロアに背を向け、中枢へと続く「最後の扉」の横へと退いた。
「行け。マスターの中枢は、この先だ。 ……あいつの苦しみを、終わらせてやってくれ」
「うん。ありがとう、カイム」
ロアは力強く頷き、仲間たちを振り返る。ノエルが、ラグが、アルゴスが、そしてリンが、それぞれの武器を構え直して頷き返した。
ギギギギギギギ……ッ!!!
最後の扉が、重々しい音を立てて開いていく。そこから溢れ出したのは、息ができなくなるほどの、おびただしい量のバグの瘴気だった。
ロアは想奏槌を強く握りしめる。
「さぁ——最後のお掃除だ」
ロアたちは、世界の中心へと足を踏み入れた。
(第138話 終わり)




