第136話 流砂の底、世界の裂け目
轟音と共に、世界が回っていた。
遺跡の瓦礫の上に必死にしがみつきながら、ロアは渦の中心へと引きずり込まれていく。猛烈な風圧と砂の壁が四方をかき乱し、視界のすべてが白い砂と黒い影で埋め尽くされている。
「うおおおおお!! 落ちる落ちるって言っただろうが!!」
ラグが大剣の刃を瓦礫の縁にめり込ませながら叫ぶ。アルゴスが雷撃を両腕から放ち、落下速度を少しでも殺そうとしているが——
「駄目だ! バグの吸引力が強すぎる……! 止まらない……ッ!!」
『おい、聞こえるか! 見えてる……底に……でかい……ロア!!』
ルカくん2号・改が激烈なノイズに揺れ、通信が途切れた。バグが濃すぎて、電波さえもまともに通らない。
そして——落下が、止まった。
静寂。
轟音が嘘のように消え、一行の乗った瓦礫の塊が、奈落の底に静かに着床した。砂の降り積もる音だけが、柔らかく響いている。
ロアはゆっくりと身を起こし、目の前の光景を見た。
それは「穴」だった。
いや、穴という言葉では追いつかない。大地の底に、数学の教科書に書かれるような完璧な円形の暗黒が、ぽっかりと口を開いている。縁に触れた砂粒がひとつ吸い込まれるたびに、音も光も痕跡も——何もかもが、存在ごと消えていく。
「……っ。あれが」
リンが震える声で呟く。
「カイムが使う消去マーカーの根っこ……。『絶対削除』。存在を定義するデータを根本から書き換えて、システムの外——完全な虚無へと棄却する」
「触れたら」とノエルが声を詰まらせる。「存在ごと消えるってこと……?」
「痕跡も残らない。記録する主体が消えるから、消えたという事実さえログに残らない」
誰も、沈黙した。
穴の縁は静かに明滅している。呼吸でもするように——まるで生きているかのように。
「行くよ」
ロアが想奏槌を握り直し、一歩踏み出した。
「栓を作る。穴に叩き込んで、塞ぐ」
言葉にすれば単純だ。だが、想奏槌を「栓の形」に概念創造しようとした瞬間、ロアは気づいた。
穴が動いている。
一定の形を保たず、まるで対話でもするように、空間の中でゆっくりと位置と形を変え続けている。
「……狙いが定まらない。栓を放り込んでも、弾かれる」
「ロア! ちょっと待て」
ラグが、大剣の切っ先を穴の縁へと向けたまま、じっと目を細めた。
「あの穴……砂漠の遺跡のデータだけ、飲まずに吐き返してるぞ。他の砂はすぐ消えるのに、遺跡の石くれだけは縁で弾かれてる。……なんでだ?」
リンが目を見開く。
「解析します。……遺跡のデータには、対象外フラグが……いや、違う。これは——遺跡の内部に、カイムが直接書き込んだ『もう一つの制御コード』があるから。あの穴は、そのコードを核にして存在を維持してる」
「つまり」とアルゴスが険しい目をして続けをつなぐ。
「遺跡の中の核を潰せば、穴は閉じる。……だが」
全員の視線がロアに集まった。
「遺跡の中には、砂漠の人たちの記憶データが残ってる……よね」
ロアがそっと言う。
「壊したら、あの人たちの故郷ごと消えちゃう」
また、沈黙。
上では砂漠の民たちが、避難先の崖の端から、自分たちのオアシスの遺跡が飲み込まれるのを見ていたはずだ。あの遺跡には、彼らの祖先の音楽があり、子どもたちの名前があり、何百年もの積み重ねがある。
それを壊すことが、果たして「お掃除」と呼べるか。
「壊す前に、中身を全部抜き出せばいい」
ノエルが、静かだが迷いのない声で言った。
「記憶のデータだけ先に引き剥がして、安全なところに保護する。壊すのはその後。……ロアくん、私とアルゴスさんで『器』を作るから、君が中のデータを全部移植して」
「……できるかな。あんな量」
「できるよ」
ノエルが笑った。緊張の滲む、でもちゃんと温かい笑顔だった。
「君の槌は今、お掃除だけじゃなくて『創造』もできる。データを吸い出して新しい場所に植え直すのは——それ、ただの大きめのお掃除でしょ?」
ロアは一瞬目を丸くして、それから小さく笑った。
「……言い方が上手いな、ノエルは」
アルゴスが両手から紫電を解き放ち、遺跡の周囲に六角形の雷の障壁を張る。
「魔法陣の支柱にする。……急げ、ノエル」
「わかった!」
ノエルが両手を大きく広げ、障壁の内側に純白の魔法陣を展開した。
ロアは想奏槌を遺跡の壁に当て、目を閉じる。
――聴こえる。
石の中に眠っている、たくさんの「音」。子供の笑い声。炎を囲んで歌われた旋律。誰かが泥で書いた数式。年老いた声で語られた物語。 全部、ちゃんと、ここにある。
「引き出すよ。……みんな、ちょっとだけ待ってて」
想奏槌が、極彩色の光を放った。
遺跡の石のひとつひとつから、光の粒子が溢れ出してくる。流れ星みたいに、夜光虫みたいに。それらがノエルの魔法陣へと吸い込まれていき、器の中で静かに輝き始めた。
アルゴスの雷の障壁が軋みを上げる。
「……持たせてみせる。続けろ!」
汗がアルゴスの頬を伝う。それでも、足は動かない。
「全部、移した。……いける」
ロアが立ち上がり、遺跡の中心——制御コアの眠る一点を見据えた。
「ラグ! あの中心の石ごと割ってほしい!」
「待ってたぜ!!」
ラグの黒獅子の大剣が唸りを上げた。
一歩。二歩。三歩。溜めに溜めた全体重が刃に乗り、遺跡の制御コアへと叩きつけられる。
ズドォオオオォォォン!!!!!
石が砕け、内部から湧き出た青白い光の核が——露わになった。
「いったぁ!!」
ロアが想奏槌を大きく振り上げる。
槌の形が変わる。穴に合わせた、完璧な円柱の「栓」に。
「——お掃除終わり!!」
一撃。
栓が穴に吸い込まれ、轟音と共にめり込んだ。
穴が、悲鳴のように収縮する。
縁が崩れ、暗黒が畳まれ——消えた。
静寂が戻った。
大流砂の渦が止まる。 奈落の底から、空気が逆流してくる。砂が、上へと舞い上がり始めた。
そしてノエルが、両手に抱えた「器」をそっと空へと掲げる。
「……おかえり」
一言だけ。
器の中の光の粒子たちが自由になり、砂の海の中へと四方八方に散っていく。 砂丘の上に、遺跡の輪郭が薄く浮かび上がる。形は違う、かつてより小さい。でも——確かに、そこにある。
リンが空を見上げた。
「……世界が、また一つ、ちゃんとある」
静かな声だった。 それがなぜか、誰よりも大きく響いた。
『おい!! 生きてるか!! モニターが砂だらけで何も見えねえって思ったら急に全部解消しやがって!! なんなんだよいったい!!』
ルカくん2号・改がけたたましい声を上げた。
「生きてる」とロアが笑う。「ちょっと穴を塞いできた」
『「ちょっと」とは何だ。ちょっとじゃねえだろいくら考えても!!』
ラグが剣を骨で支えながら、砂埃だらけの顔でため息をついた。
「俺に聞くな」
崖の上から——声が降ってきた。
砂漠の民たちの声だ。驚きと、困惑と、それからじわじわと滲み出してくる歓声。ローブを纏った老人が、崖の端から両手を広げ、薄れかけた遺跡の輪郭を指差している。
「……還ってきた。還ってきたぞ!! 先祖の声が……!!」
ロアは砂だらけになった手を眺めて、小さく息を吐いた。
「うん。ちゃんと、お掃除できた」
(第136話 終わり)




