第133話 歯車と蒸気の街
空間のゲートを抜けると、むせ返るような石炭の煙と熱い蒸気の匂いが一行を全身ごと包み込んだ。
「プハッ……! な、なんだここは!?」
ラグが煙を払いながら激しく咳き込む。晴れ渡った空の下にあった自然区画や浮遊島とは似ても似つかない。そこは分厚い잿色の雲に覆われた、鉄と煉瓦で出来た巨大な都市だった。
建物の外壁には無数の真鍮の歯車がゴロゴロと音を立てて絶えず回り、至る所の煙突から白い蒸気が勢いよく吹き出している。そして何より、頭上の煤けた空を、空を這う巨大なクジラのような『飛行船』がいくつも行き交っていた。
「わぁ……! すごいデス! 見るもの全部が鉄と煙で動いてマス!」
「本当に、私たちがいた世界とは全く違う文明の星なんですね……!」
リンが目を輝かせてキョロキョロと周囲を見回し、ノエルも感嘆の声を漏らす。 そこはまさに、高度な蒸気機関と歯車技術によって独自の発展を遂げた『スチームパンクの世界(箱庭)』だった。
足場から大通りを見下ろすと、そこには精巧な機械仕掛けの馬車が行き交い、シルクハットを被った紳士や、ゴーグルを帽子に引っかけた職人たちなど、数え切れないほどの人々が活気ある声を上げて生活していた。
「……こんなにたくさんの人が、普通に生きて笑ってるじゃないか」
ロアの瞳に、静かな怒りの色が滲む。眼下を歩く彼ら一人一人が、上位階層からすれば自分たちと同じ「重さを圧迫する一つのデータ」に過ぎないのだ。そしてカイムは、この街に暮らす彼らごと『不要なエラーの世界』として、今日中に削除(消去)しようとしている。
『ロア、のんびり見物してる暇はねえぞ。あれを見ろ』
そう言って、街のほぼ中央にある一際巨大な建造物をルカくん2号・改のポインターで指し示した。 それは、天を穿つようにそびえ立つ、街の心臓部とおぼしき巨大な『大時計塔』だった。その時計塔の頂上には、この街の人間には視認できないであろう不吉な【赤い削除マーカー】がシステム言語で重々しく点滅していた。
「あのマーカー……書庫のホログラムで見た、削除指定のアンカーか!」
『ああ。あの時計の針が頂点に達した時、カイムの放ったデリート波がここに到達して、この世界は完全に消滅する。……タイムリミットだ』
「なんで、こんな街が削除の標的に選ばれたの?」
『俺の解析ツールが拾ったシステムログによれば……原因は【赤錆バグ】だ』
ルカが忌々しそうに説明する。それは、この蒸気都市の動力源に最近発生している特有の不具合であり、機械に異常な錆を発生させてシステムを狂暴化させる一種のウイルスらしい。
「ちまちまと原因のバグを直すより、世界の容量が限界に近いなら、エラーを起こす街ごと削除した方が早い」
とカイムは判断したのだ。
その時だった。
「キャアアアアッ!?」
「逃げろ! 荷役用のスチームゴーレムが暴走したぞ!!」
すぐ眼下の中央広場から、悲鳴と怒号が上がった。見れば、荷物を運ぶための全長三メートルほどの無骨な蒸気ロボットが、全身を不気味な『赤い錆』に覆われ、蒸気を荒々しく吹き出しながら周囲の市民に向かって暴れ回っていた。あれが、ルカの言う『赤錆バグ』だ。
「おいおい、あんなのに市民が巻き込まれたらひとたまりもねえぞ!」
「行くぞラグ!」
アルゴスとラグが即座に大通りへと飛び降りる。 ラグが大剣の腹でゴーレムの鉄の腕を弾き返し、アルゴスが素早い身のこなしで逃げ遅れた市民を庇うように立ち塞がった。
「アルゴスさん、ラグ! その機械を『壊さないで』!」
後から飛び降りてきたロアが叫ぶ。
「あいつが赤錆のせいで操られているだけなら……ここで僕らが壊しちゃったら、カイムがやろうとしてるルール(削除)と同じになっちゃう!」
「無茶言うな! ならどうやって止めるってんだ!」 「僕が、直すんだよ!」
ロアは想奏槌を強く握りしめ、赤く錆びついて暴走するスチームゴーレムの真正面へと飛び出した。
「お兄ちゃん、危ないデス!」 「ロアくんっ!」
リンとノエルが叫ぶ。 ゴーレムの太い鋼鉄の腕が、ロアを押し潰さんと真っ直ぐに振り下ろされた。 だが、ロアは逃げることなく、振りかぶった想奏槌を下から強烈にカチ上げた。
「――お掃除、完了っ!!」
ガキィィィィィンッ!!!!
想奏槌と鋼鉄の腕が激突し、極彩色の光が弾ける。だが、ゴーレムの体は「破壊」されなかった。想奏槌から放たれた『修復』の光がゴーレムの全身を行き渡り……その表面を覆い尽くしていた赤黒い異端のサビだけが、ボロボロとひび割れて剥がれ落ちていったのだ。
プシュー……。 すべての赤錆が剥がれ落ちた瞬間、ゴーレムは憑き物が落ちたように動力の暴走を止め、おとなしくその場に「停止」した。
「すごい……! ロアくん、本当に壊さずに直しちゃったんだ……!」
ノエルが安堵と感嘆の声を上げる。 ただ敵を殴り壊すのではなく、エラーの根源だけを叩き落として元通りにする。それこそが、ガレンがロアに託した『掃除屋(修復者)』の真骨頂だった。
「あ、あんたら……一体何者だい?」
へたり込んでいた市民たちが、驚きと畏敬の目でロアたちを見つめる。 ロアは想奏槌を肩に担ぎ、ニカッと不敵な笑みを浮かべた。
「僕たちは、通りすがりの『お掃除屋』。この街の汚れ(バグ)を、全部ピカピカにしに来たんだ!」
ロアの視線は、赤錆バグの発生源であり、カイムの削除アンカーが打ち込まれた街の中心――巨大な『大時計塔』へと真っ直ぐに向けられていた。
(第133話 終わり)




