第128話 大樹の隠れ家と星空の記録
機械とスクラップの無機質な世界から一転、そこはむせ返るような命の匂いに満ちていた。
「すごい……。こんな場所が、あの上位階層の中に隠されていたなんて」
ノエルが、信じられないものを見るように無意識にため息をついた。
天を衝くほどの巨大な『世界樹』が何本もそびえ立ち、その太い根の隙間を縫うように清冽な小川が流れている。足元には柔らかで青々とした芝生が絨毯のように広がり、宙には淡く発光する青い蝶たちが優雅に舞っていた。
「上位の監視から外れ、意図的に『保護・保存』されている自然環境のシミュレーション区画デス。……おそらく、ガレンさんがこの場所のプログラムを書き換えて、不可視のセーフハウスにしたのだと思いマス」
リンが、飛んできた青い蝶をそっと指先で受け止めながら言った。
彼女の表情には、以前のような冷たい無機質さはなく、自らの肌に触れる木漏れ日の暖かさと瑞々しい空気に、静かで純粋な感動を覚えているようだった。
「やっぱり、爺ちゃんか。……あっちを見て!」
ロアが指差した先。最も巨大な世界樹の根元に、大人五人が余裕で入れるほどの大きなウロ(空洞)が開いていた。中に入ると、壁面には淡く発光する水晶体がいくつも群生しており、天然のランプのように空洞内を優しく照らし出している。
金属の端末やモニターなどは一切ないが、代わりに部屋の中央に鎮座する一際大きな緑色の水晶に、見覚えのある『爺ちゃんの刻印』が彫り込まれていた。
「自然の鉱物に、記録回路を直接偽装しているんだな。ひどくアナログに見えるが、これなら追跡られにくい」
アルゴスが感心したように壁の水晶を撫でる。ロアはゆっくりと中央の水晶に歩み寄り、想奏槌をそっと押し当てた。途端に、水晶が共鳴するように低い音を立て、ガレンの温かい声が空洞内に響き渡った。
『――ここへ辿り着いたってことは、お前さん、もしかして「カイムの奴」とやり合ったのか?』
図星を突かれたような言葉に、一行は思わず顔を見合わせた。 声は、少しだけ寂しそうに続く。
『あいつの「絶対消去」から生き延びたなら上出来だ。お前さんも気づいていると思うが、あいつは根っからの悪党ってわけじゃねえ。……いや、誰よりも優しかったからこそ、あいつは自ら「冷徹な処刑人」になる道を選んだんだ』
「優しいから……?」
ロアが呟く。 無機質にエラーを消去し、自分たちをゴミと呼んで徹底的に排除しようとしたあの男が。
『あの馬鹿は優秀すぎた。あいつはな、俺たちがエラーやバグを「直して(創造して)」残していくたびに、マスターシステムへの負荷が蓄積しちまうことに気付いたんだ。……このまま全ても救おうとすれば、重みで上位階層(世界そのもの)が完全に崩壊するってな』
水晶の光が、ガレンの悲痛な声を代弁するようにまたたいた。
『カイムは演算で弾き出した。「世界全体を存続させるためには、どうしても10%のエラーを切り捨てて完全に消去しなければ、残り90%が破滅する」と。……あいつは、残り90%を何としても救うために、誰よりも血を吐くような思いで心を殺し、不確定要素を排除する執行者になったんだ』
沈黙が落ちた。ラグが険しい顔で腕を組み、ノエルも唇を噛みしめる。彼らは掃除屋として、エラーを悪とみなして戦ってきた。しかしカイムにとっては、ロアたちのような「バグを温存しようとする者」こそが、世界全体を滅びに導く最大の脅威だったのだ。
「……だからって」
ロアが、静かに、しかし力強く想奏槌を握り直す。彼の視線の先には、新しい心を得て、木漏れ日の中で不思議そうに自然を見つめているリンの姿があった。
「あの10%の『切り捨てる分』に、リンちゃんみたいな悲しんでる人たちを入れていい理由にはならないよ。僕は……目の前で泣いてるおふれ(バグ)がいるなら、絶対に直す! だから爺ちゃん、力を貸して!」
ロアの強い意志に呼応するように、緑色の水晶が眩い光を放ち、想奏槌の先端へと吸い込まれていく。 ロアの頭の中に、新しい『創造』の概念がインストールされた。それは単なる物質(壁や足場)を作るだけでなく、対象の武具に「重み」や「反発」などといった『概念そのもの』を付与・強化する、高度なルール書き換えのパッチだった。
直後。
ズズン……!!
ひどく重々しい地鳴りが、隠れ家のウロを大きく揺らした。
「カイムの野郎がもう追いつきやがったか!?」
ラグが大剣を抜いて外へと飛び出す。だが、森の木々を薙ぎ倒しながら接近してきていたのは、黒い外套の男でも、無機質な機械の猟犬でもなかった。
「オオオォォォォォォォォッ!!」
地響きを上げて現れたのは、巨大な古代の岩石と絡み合う太い魔樹の蔦、そして全身に鋭い緑の鉱石を纏った、体長十メートルを超える『巨大な自然の獣』だった。 今まで上位階層で相対してきたような、無機質な金属や電子回路の姿はそこには一切ない。まるで古い伝承に語られる「森の守護獣」のような威容そのものだった。だが、その無数の目は赤黒いバグのノイズに侵され、狂乱状態に陥っている。
「……あれは『環境防衛ゴーレム』。自然区画を外部から守るための自律環境機能ですが、エラーに侵食されて狂暴化していマス!」
リンが、ゴーレムの全身を覆う鉱石の波長を解析して即座に叫ぶ。
「チィッ、とんだ歓迎だぜ!」
ラグが黒獅子の大剣を構え、アルゴスが剣に紫電を迸らせる。ゴーレムが太い丸太のような岩の腕を、真っ直ぐに隠れ家の大樹へと振り下ろした。
「させないよッ! 行くよみんな、森のお掃除だ!!」
ロアが新しく手にした『概念創造』に想奏槌を輝かせ、暴走する巨大な森の守護獣へと跳躍した。
(第128話 終わり)




