第126話 黒き執行者カイム
「……おい。なにかおかしくねえか?」
猟犬の残骸が光の粒子となって消えていく中、油断なく周囲を警戒していたラグが、ふと訝しげな声を上げた。
つい先ほどまで、視界を遮るほど激しく吹き荒れていた赤茶けた『砂嵐』が、まるでビデオの再生を途中で止めたかのように、不自然に、ピタリと止まっていたのだ。
風の音すらない。不気味なほどの完全な静寂。空域を支配するシステムの重圧が、肌をジリジリと焦がすほどに跳ね上がっている。
「ラグ、あれ……!」
ロアの震える指の先。先ほどロアが『創造』で組み上げ、アルファ個体との戦いにおいて防壁となっていた分厚い鉄骨や歯車が絡み合う巨大なスクラップの山。
まるで目に見えない巨大な万力で押し潰されたかのように、ぐにゃぐにゃと飴細工のように圧縮され、そして音もなく空間から消滅していく。
一直線に抉り取られた鉄の残骸の中心から、規則正しい足音を響かせて『一人の男』が歩み出てきた。
黒い軍服風の外套。冷酷な氷のように透き通った瞳。 そして男の腰には、ガレンの想奏槌に似たシルエットでありながら、周囲の光すらも吸い込むような不吉な『漆黒のハンマー』が提げられていた。
「……お前が、あの忌々しい雨の街を突破したという、ガレンの後継者か」
男の低く冷たい声が、広大な砂塵の谷に異常なほど明瞭に響き渡る。距離はまだ数十メートルもあるというのに、ラグもアルゴスも、目に見えない強大な刃を直接喉元に突きつけられたような錯覚に陥り、冷や汗を流していた。
「お前が……ルカくんたちが言ってた、システムの番犬のボス?」
「カイムだ。……上位中枢の絶対防衛を司り、世界の『理』を遵守する執行者」
カイムは立ち止まり、ゴミを見るような目でロアを冷たく見下ろした。
「ガレンの奴に似た目をしているな。だが……あの馬鹿以上の甘さを孕んでいる。世界を持続させるためには、バグや感情といった不確定要素は冷徹に『削除』しなければならない。にも関わらず、奴はバグを新しい形に『変質』させて残すなどという、システムの法則を根底から狂わせる重罪を犯した」
カイムの視線が、ロアの背後に隠れるように立ちすくむリンへと移る。
「……その後ろの個体が、お前の犯した最も悍ましいエラーの具現化というわけだ。直ちに俺が、その不愉快な例外を存在ごと消去してやる」
「……指一本、リンちゃんには触れさせない!!」
ロアが想奏槌を強く握り締め、リンを庇うように前に出る。
「爺ちゃんの忠告、覚えてるな! 正面からあのハンマーと打ち合わせるなよ!!」
「承知している!」
ロアを怒鳴って下がらせ、ラグとアルゴスが瞬時に左右に展開する。二人の凄まじい脚力が赤茶けた大地を深く抉り、一瞬にしてカイムの死角――左右の完璧な挟撃態勢へと入り込んだ。
「オラァァァァッ!!」
「シィッ!!」
ラグの『黒獅子の大剣』による岩山をも砕くフルスイングと、アルゴスの長剣から放たれた極限の紫電の刺突。規格外の装甲ですら粉砕する二人の必殺の同時攻撃が、丸腰のように直立するカイムを完全に捉えた――と、見えた。
「――無意味だ」
カイムが、腰の黒いハンマーの柄に片手を添え、まるで服の埃を払うかのような無造作な動作で、軽く空気を殴りつけた(・・・・・)。
カキィィィィンッ……!!
甲高い、ガラスが割れるような美しい音が虚空に弾けた。 衝突音ではない。ラグの大剣の持つ圧倒的な運動エネルギーも、アルゴスの迸る紫電の魔力も――黒いハンマーが描いた軌跡に触れた瞬間、何事も無かったかのように『空間ごと綺麗に消滅』させられたのだ。
「なっ……!?」
「力が、直接消え――ぐあぁぁぁっ!!」
自身の放った攻撃の力そのものを『無』にされ、行き場を失った二人は、ハンマーを振った際に見えない衝撃波をもろに受け、木の葉のように遙か後方のスクラップの山へと赤子のように吹き飛ばされた。
「ラグ! アルゴスさん!!」
ロアが絶望的な悲鳴を上げる。上位階層の厳しい戦いをここまで生き抜いてきた歴戦の戦士たちが、ただの一振り、文字通りの『手も足も出ない』状態であしらわれたのだ。
『ロ、ロア……! ア、アイツのハンマーから異常なデータ欠損波長を検知……ッ!』
ギリギリのジャミングの合間を縫って、ルカくん2号・改が悲鳴のような警告を発する。
『アイツのハンマーに……物理法則は存在しねえ! 触れた事象を問答無用で「無かったこと」にする、絶対的なパラメーター削除だ……ッ!』
「ルールの書き換えではない。一切の残骸すら残さない、ただ純粋な『消去』の理。それこそが、この『葬刃槌』の力だ」
カイムは瓦礫に倒れ伏す二人の大人を一瞥すらすることなく、ゆっくりと、逃げ場のないロアとリンの目の前へと歩み寄ってきた。
「見せてみろ。ガレンが遺したそのおもちゃ(想奏槌)と、お前の甘ったるい『創造』の力を。……俺の前で、どれほど無力なのかを教えてやろう」
黒い軍服を翻し、カイムがゆっくりと黒いハンマー『葬刃槌』を構える。
ロアは歯を食いしばり、震える手で自身の想奏槌の長い柄を握りしめ、圧倒的な絶望の前に立ちはだかった。
(第126話 終わり)




