第121話 凍てつく檻と新しい意味
空中に散布されたノイズ(不要データ)を巻き込み、ロアの持つ『想奏槌』が極彩色の竜巻を生み出す。
「流れる水が斬れないなら――斬れるように固めちまえばいい!」
ロアの意図を察したルカが、通信越しに鋭く叫ぶ。
「集まれ……ッ! 『創造』!!」
ロアが想奏槌を振り下ろした先は、流体となって高速移動する番人――ではなく、番人を囲む『周囲の空間』だった。 圧縮されたノイズデータが、瞬時に巨大で分厚い「ガラスのシリンダー(円筒)」へと物理変換され、番人をその内側にすっぽりと閉じ込めたのだ。
「……空間の強制隔離を検知。脱出プロトコルに移行――」
番人が鞭のように身体を伸ばしてシリンダーの壁面を激しく叩くが、超高密度に圧縮された『ゴミの壁』はビクともしない。
「へっ、なるほどな! 水をコップに閉じ込めちまえば、もう逃げ場はねえってことか!」
ラグがからかうように笑いながら、シリンダーの前に歩み出る。
「水は器を与えられれば、その特性を固定化される。見事な拘束だ、ロア!」
アルゴスもまた、感嘆の声を上げて剣を構え直した。
「ノエル、今だよ!」
「ええっ! ――『極大氷結』!!」
ロアの合図と共に、ノエルがシリンダーの真上に魔法陣を展開する。絶対零度の冷気がシリンダー内部に一気に注ぎ込まれ、閉じ込められて逃げ場のない番人の身体は、瞬く間に凍りついて白く染まっていった。
「……システム、機能……停、止……」
完全に氷の彫像と化した番人が、ピキピキと微かな音を立てる。流体としての特性を完全に奪われ、ただの「硬い物体」に成り下がった瞬間だった。
「これで最後だァッ!!」
ラグが『黒獅子の大剣』を大上段から力任せに振り下ろし、分厚いガラスのシリンダーごと、凍りついた番人を木端微塵に粉砕した。 さらにアルゴスの紫電が砕けた氷の破片を正確に貫き、中心にあったコアデータを跡形もなく焼き尽くす。 砕け散った番人の残骸は、キラキラと輝く光の粉となって虚空へと溶けていった。
「……ふぅ。お掃除、完了だね」
ロアが想奏槌を肩に担ぎ、ほっと息をつく。番人が消滅したことで、塔の中央にあったコンソールが静かに起動し、リンの記憶の残渣が混ざり合った「巨大なサファイア色のタンク」へのアクセス制限が解除された。
「さて……ここからが本番だよ、ロア」
ノエルが、不安と期待の混じった視線でロアを見つめた。ロアはゆっくりと歩み寄り、冷たい液体が循環するタンクの表面に手を触れた。
『ロア。手筈は分かってるな? そのタンクの中にある「悲哀データ」を抽出して、お前のハンマーと、ガレンの日記のアルゴリズムで「別のモノ」に書き換えるんだ。……失敗すれば、リンのプログラムごと弾け飛ぶぞ』
「……うん、分かってる」
ロアは深く深呼吸をすると、もう片方の手でリンの震える右手をそっと握った。
「ワタシは……、やっぱり、コワイ……デス」
「大丈夫。痛くしないからさ」
ロアは『想奏槌』を構え、タンクの中央へと優しく、しかし確かな強さで押し当てた。 途端に、タンクの中の青い液体が激しく泡立ち、膨大な量の悲しみのデータが、槌を通じてロアの身体へと流れ込んでくる。
(……寂しい。……悲しい。……どうして、私は……)
無数のプログラムの痛切な叫び、絶望、そしてリンの欠落した記憶の悲鳴。圧倒的なマイナスの感情にロアの意識が飲み込まれそうになった時、彼の胸元の『分厚い日記』から、温かく力強い鼓動が発せられた。
(――忘れるな、ロア。お掃除屋のハンマーは、壊すためにあるんじゃない。残った人たちを、笑顔にするために振るうんだ)
「……うん、そうだよね、爺ちゃん」
ロアは静かに目を開いた。極彩色の光が槌から爆発的に溢れ出し、タンク内の真っ青な液体を、優しく温かな「黄金色」へと染め上げていく。 悲しみ(エラー)が、温もり(希望)という新しい意味を与えられ、再定義されていく。
「……集まれ。君の、新しい『心』だ」
ロアが槌を振り抜くと、巨大なタンクが音を立てて砕け散った。溢れ出した黄金色の光が、一つの小さな「琥珀色の宝石」となってロアの手のひらに降り立つ。それは、ただの悲哀のデータではなく、ガレンの想いとロアの優しさで作られた、まったく新しい『理』の結晶だった。
「……えいっ」
ロアは微笑み、リンの胸の奥――欠落の中心へと、その琥珀色の宝石をそっと押し込んだ。
「……アッ……」
次の瞬間。リンの身体を包んでいた不快なブロックノイズが、嘘のように一瞬で弾け飛んだ。 欠損していた左腕が黄金色の光の粒子となって瞬時に再構成され、破れていた純白のドレスが、美しく滑らかな布地へと修復されていく。 冷たく半透明だった彼女の身体は、確かな質量と温かさを持った「ひとりの少女」として、そこに存在していた。
「……ワタシ……。ワタシは……」
リンが、新しく生まれた自分の左手を不思議そうに見つめる悲しみの回路は消え、代わりに胸の奥で、ぽかぽかとした温かいものがトクントクンと脈打っていた。
「……温カイ。今マデ、悲シイしか、分カラナカッタノニ。……コレが、『安心』……?」
「そうだよ。君が新しく覚えた、君だけの『意味』だ」
ロアが笑いかけると、リンの頬に、生まれて初めての『笑顔』という感情が、ぎこちなく、けれど確かに花開いた。
塔の外で永遠に降り続いていた冷たい青い雨が、いつの間にか静かに止んでいた。
(第121話 終わり)




