第120話 号泣の塔と保存された悲しみ
『常雨の都』の中心にそびえ立つ『号泣の塔』は、近づいて見ると石造りの建築ではなく、何万本ものガラスのパイプと巨大な歯車が複雑に絡み合った、巨大な「蒸留装置」のような構造をしていた。 都市中に降り注ぐ青い雨は、街の路地や水路を伝って渦を巻きながら、この塔の地下へと音を立てて吸い込まれていく。
「ここが中枢……。とんでもない量のデータが流れ込んでいるわ」
ノエルが塔の表面を流れる水流に目を細める。
「開けるぜ。下がってな」
ラグが『黒獅子の大剣』を大上段から振り下ろし、塔の入り口を塞いでいた分厚い隔壁を紙切れのように叩き斬った。 唸りを上げて鉄の扉が内側へ吹き飛び、塔の内部が露わになる。
一行が足を踏み入れた先は、天井が見えないほど巨大な吹き抜けの円筒形空間だった。壁沿いには巨大なクリスタル製のタンクがいくつも並んでおり、その中を、街に降っていた雨よりも遥かに濃い、深く澄んだ「サファイア色」の液体が脈打つように循環していた。
「……きれいな青」
その幻想的な光景に、ロアが思わず呟く。だが、腰の通信デバイスから響いたルカの声は、震えるほどの嫌悪を含んでいた。
『綺麗だって? 冗談じゃねえぞ、ロア。……こっちの解析モニターじゃ、地獄みたいな光景が広がってやがる』
「ルカくん? それって……」
『その青い液体の正体は、純度100%まで圧縮された「悲しみ」と「絶望」だ。さっきのお前らが戦ってたバグなんて目じゃねえ。……ここは、エラーを起こして泣き叫ぶ無数のデータから、一番美味しい『悲哀』だけを抽出・保存するための、巨大なワインセラーみたいなもんさ』
「……趣味の悪い。上位階層のシステムは、我々の感情を資源か何かと勘違いしているらしいな」
アルゴスが剣の柄を握る手に力を込め、顔をしかめた。
「……ワタシノ……」
ふいに、最後尾を歩いていたリンがふらりと歩み出て、一番手前にある巨大なガラスタンクにペタリと手をついた。 半透明に明滅する彼女の顔が、わずかに苦悶に歪んでいる。
「リン? どうしたの?」
「……ココニ、アリマス。……ワタシから切り取ラレタ、ワタシノ『役割』ト、ワタシノ『記憶』の残渣……。それが、このタンクのドコカニ、混ざり合っていマス」
リンの目から流れる青い涙が、タンクの中の液体と共鳴するように微かに光を放った。 この塔は、リンの過去(本来のデータ)も容赦なく吸い上げ、他の人々の悲しみと一緒にミキサーにかけて保存していたのだ。
「……分かった。それなら、このタンクの液体を全部引っ張り出して、僕がハンマーで『リンだけの形』に打ち直してあげる」
ロアが力強く頷き、想奏槌『想奏槌』を構えた。
「――警告。非認可プロセスによるコア領域への物理干渉を検知」
その時。 塔の上層から、機械的で澄み切った女性の音声が響き渡り、空中に幾重もの魔法陣のような青いリングが展開された。
「……何か来るぞ!」
アルゴスが即座にノエルとリンの前に立ち塞がる。 青いリングの中から静かに舞い降りたのは、透き通った水だけで構成された、ドレス姿の美しい人型の防衛兵器だった。 顔にあたる部分には目も鼻もなく、ただ一つの「涙の雫」の紋章が刻まれている。
「『悲哀の番人』……。感情リソース保護のため、侵入者をデリートします」
番人が両手を振るうと、不可視のドレスの一部が鞭のように鋭く伸び、ラグとアルゴスに向かって凄まじい速度で襲いかかった。
「チッ、水鉄砲の親玉かよ!」
ラグが漆黒の大剣で飛来する水の鞭を弾き返す。だが、鞭は大剣の刃に当たった瞬間に液状化して衝撃を逃がし、直後に裏側からラグの腕を鋭利な刃のように深く切り裂いた。
「っ痛ぇ!? この野郎、ただの水じゃねえぞ! 鋼鉄より重くて硬ぇ!」
「ラグ!」
「俺はいい! ロア、アルゴス! こいつは物理じゃ斬れねえぞ!」
ラグの叫びと同時に、アルゴスが疾雷となって番人の懐に飛び込み、雷光を纏った剣を突き刺す。だが、番人は自らの腰から下を即座に霧状に分解させ、アルゴスの渾身の一撃を空振りに終わらせた。
「躱したか……!」
『ロア! そいつは「悲哀」の液体そのものだ! 定型がないから、普通の物理攻撃や魔法じゃダメージが通らねえ!』
流体となって素早く形を変える番人を前に、ロアは一瞬息を呑んだ。だが、すぐにその瞳に力強い光を取り戻し、想奏槌を強く握り直す。
「普通の攻撃がダメなら……僕が、あいつを倒せる『形』をここに作ってあげるよ!」
ロアは想奏槌を振り被り、番人ではなく、周囲の空中に漂う「不要データ(ノイズ)」の群れへと狙いを定めた。
(第120話 終わり)




