第115話 崩壊する叡智、新たな座標
轟音と共に、天を突く書架がボクセル状の光となって霧散していく。完璧に管理されていた図書館は、今やその「完璧さ」を失い、マスターシステムのパージ(強制消去)によって空間ごと削り取られようとしていた。
「おい、冗談じゃねえぞ! 逃げ道まで消えかかってやがる!」
ラグが崩落する巨大な歯車を剣で弾き飛ばしながら、ロアたちを促して中央広場を駆け抜ける。 足元の石床さえもが、デジタルノイズとなって足元から崩れ落ちていく。
「ロア、……手にある瓶が、……光って!」
ノエルの声に、ロアは胸元の「ガレンの瓶」を見つめた。空になったはずの瓶の底で、残された極彩色の光が、聖葬槌の「マスターキー」と同調し、かつてない激しい脈動を始めている。
「……爺ちゃんの想いが……槌に吸い込まれていく……?」
ロアが槌を掲げると、その輝きが黄金色の聖葬槌へと溶け込み、槌の表面に全く新しい複雑な幾何学模様が刻まれた。
『……ハッ!……こいつは……驚いたぜ……!』
ルカくん2号から、ルカの興奮した叫び声が響いた。地上の解析モニターには、通常ではあり得ない「情動データによるプログラムの再編」が映し出されていた。
『……おい、ロア!……そいつはただの武器強化じゃねえ。……過去の記憶を……「理の不文律」として……槌にインストールしやがった!……これなら、上位世界の論理を……根底から書き換えられるはずだ!』
「ルカくん……! これ、なんていう力なの……?」
ロアの問いかけに、ルカはしばし沈黙した後、テンションを一段上げて言い放った。
『――ふん、決まってんだろ! 俺様が今、最高にイカした名前をつけてやる! いいか、そいつは……『想奏槌』だッ!! ……過去の残響を力に変えて、この腐ったシステムの理をブチ壊す。お掃除屋の孫にゃ、これ以上ない名前だろ!!』
「……『想奏槌』……。うん、かっこいいや!」
「名前はともかく、威力は本物みたいだぜ! ロア、その力でゲートの『歪み』を叩き切れッ!!」
ラグの怒号に背中を押され、ロアは跳躍した。 崩落する図書館の最果て。そこには、マスターシステムがこのエリアを閉鎖するために張り巡らせた「拒絶の壁」がそびえ立っていた。
「……行って、ロア! この世界の『想い』は、私たちが預かったから!」
ノエルの祈りが槌に重なる。 ロアは新しくインストールされたパッチを全開放し、聖葬槌を振り下ろした。
「――『想奏槌』……、お願いッ!!」
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
極彩色の光が空間そのものを剥ぎ取り、拒絶の壁を粉々に粉砕した。 その向こう側にあるのは、どこまでも続く次元の深淵――。
『……通信……限界……だ!……ロア……死ぬなよ……! 次の世界で……また……会……お……。』
ルカの声がノイズの中に消え、一行は光り輝く亀裂の中へと身を投げ出した。
次にロアが感じたのは、頬を撫でる冷たく湿った風だった。
……ザー、ザー……。
どこか遠くで、規則的で静かな雨音が聞こえる。
「……冷たい……雨?」
目を開けると、そこは先ほどの図書館とは対照的な、夜の帳に包まれた世界だった。石畳の路地。ガス灯のような淡い青色の光に照らされた、美しい、けれどどこか寂しげな都市。
「……雨が、降ってる。……ここも、箱庭なの?」
ノエルが、空から落ちてくる青い雫を手のひらで受け止めた。 その雫は肌に触れると、小さな光の粒子となって弾け、美しいメロディのような音を立てる。
「……第12観測区。領域名:『常雨の都』。」
アルゴスが周囲を警戒しながら、自らの端末を読み上げた。
「……かつて、人々の涙を収集するために、システムが敢えて『悲しみ』の感情だけを抽出して作り上げた、実験都市の一つだそうだ。」
見上げる空には、月が二つ。 そして、建ち並ぶ機械仕掛けの塔からは、絶え間なく青い雨が流れ落ち、道行く「人々」の姿はない。
ロアは槌を握り直した。新しいパッチの輝きは、この冷たい雨の中でも、まだ微かに温かさを保っていた。
「……行こう。……今度は、この雨の中で泣いてる誰かを、お掃除して笑わせてあげなきゃ。」
水たまりに波紋を立て、一行は新たな世界の闇へと歩み出した。
(第115話 終わり)




