第111話 静寂を刻む書架
空を衝く巨大な書架が、見渡す限りの地平線まで整然と並んでいた。そこには一冊の本も無く、代わりに掌サイズの「灰色の結晶」が収められた液体入りの瓶が、何億、何十億という数で敷き詰められている。
ザッ、ザッ……。
ロアたちが歩くたびに、硬い石床に反響する音がひどく大きく聞こえた。漂う空気はひどく冷たく、消毒液のような無機質な匂いが鼻を突く。
「……気持ち悪い場所だな。静かすぎて、自分の心臓の音がうるせえくらいだぜ。」
ラグが背後を気にしながら、不快そうに首を振った。彼のような戦士にとって、一切の気配がないこの空間は、戦場よりも神経を削るものだった。
「ラグ。足元の音に気をつけろ。……ここは、単なる倉庫じゃないぞ。」
アルゴスが足を止め、目の前の書架の一つを見上げた。
『C-409:廃棄済みサンドボックス059 記録媒体』ラベルには、そう無機質に刻まれている。
「記録媒体……? アルゴスさん、これって……。」
「ああ。……おそらく、これまでの掃除で削除された世界の、バックアップ・データだろうな。エイラが言っていた『完成され、消去された箱庭』の成れの果てだ。」
アルゴスの言葉に、ロアは息を呑んだ。 目の前にある無数の瓶。その一つ一つに、かつて誰かが生き、笑い、泣いていた「世界の記憶」が、冷たい液体に浸されて保存されている。
「……そんな。……みんな、まだここにいるのに。こんなに冷たい場所に……。」
ノエルが瓶の一つに手を伸ばそうとした、その時。
チィィィィィィィィン……。
ロアの肩にいたルカくん2号・改が、突如として激しく明滅し、耳慣れないノイズを放った。
『……ォ……ア……聞……こ……か……!?』
「えっ……ルカくん!?……ルカの声!?」
ロアが慌ててドローンを両手で包み込んだ。金メッキの表面が熱を持ち、激しく振動している。 「……ッ、ノイズがひでぇな。ルカ、聞こえるか!?」
ラグがドローンに顔を近づけて叫んだ。
『……ガ……か……!?……全……、無事……な……だ……な……ッ! ……だめだ、パケットが……安定……。……現在、……ゼニスの地下……。……フィオナと、お前たちの……座標を……解析……中……だ。……絶対に、死……ぬな……よ、ロア。』
ザザッ、という激しい音と共に、ルカの声は途絶えた。ドローンの光が通常の明滅に戻り、再び静寂が図書館を包み込む。
「……ルカ。生きてるんだね、みんな。」
ロアは胸を撫で下ろした。 途切れ途切れで、内容は半分も分からなかった。だが、あの生意気で自信に満ちた声が聞こえただけで、この果てしない世界の外に独りきりではないのだと確信できた。
「ハッ、あいつらしいぜ。……地上から俺たちをストーキングしようなんてな。」
ラグが珍しく安堵の笑みを浮かべた。だが、その安らぎは長くは続かなかった。
カチ、カチ、カチ……。
前方の書架の陰から、正確なリズムを刻む足音が近づいてくる。現れたのは、全身が真鍮の歯車とネジで構成された、人の形をした「何か」だった。 顔があるべき場所には、ただ一つ、古びた時計の文字盤がはめ込まれている。
「……真鍮の人形?」
ロアたちが身構える中、その人形――マニコットは、一行を無視するように目の前の書架へと歩み寄った。 そして、傍らに置かれた「黒ずんだ瓶」を取り出し、柔らかな布で丁寧に磨き始めた。
「あの……。すみません、ここはどこなんですか?」
ロアが話しかけるが、人形は反応しない。ただ、狂おしいほどの速さと正確さで、瓶の汚れを、その「黒ずみ」を剥がそうと躍起になっている。
「……剥がれないわ。その汚れは、外側じゃない。」
ノエルが悲しげに呟いた。
「人形さん、それは磨いても無駄だよ。……その瓶の中身が、泣いてるもん。……届かない想いが、中から色を変えてるんだよ。」
その言葉が終わった瞬間。 マニコットの手がピタリと止まった。
ギギギィィィッ……。
首が180度回転し、時計の文字盤がロアたちを向く。長針と短針が激しく回転し、警告を告げるような鐘の音が、図書館全体に鳴り響いた。
「――エラー。清掃不能な『ノイズ』を検知。保存データの純度を維持するため、当該バグを即時、粉砕・再抽出しなければなりません。」
人形の指先が鋭い針のように変形し、高精度の切断用レーザーが展開。
「……話が通じないのは、ここも同じみたいだぜ!!」
ラグが剣を引き抜き、ロアもまた、仲間の顔を見て力強く頷いた。
「ノエル。あの子は……あの人形は、ただ『綺麗にしなきゃ』って焦ってる。……だったら、僕たちが教えてあげよう。本当の綺麗(お掃除)が、どういうものか!」
静寂の世界に、聖葬槌の鈍い衝撃音が響き渡る。二つ目の世界での戦いが、今、幕を開けた。
(第111話 終わり)




