第108話 廃棄された箱庭たち
世界樹の眩い根のトンネルを抜け、一行は光の海を渡った。重力感のない浮遊の果てに、ようやく泥だらけの靴裏が硬い大地を踏みしめる。
ザリッ……。
奇妙な音が鳴った。足元にあったのは土や砂ではない。透き通ったガラス屑のような、無数のデータ結晶だ。
「……ここは……僕たちの知ってる世界じゃない……。」
ロアが顔を上げ、小さく息を呑んだ。
視界の果てまで広がるのは、見渡す限りの赤銅色の夕暮れ。だが、その空は平和なものではない。 頭上には、真っ二つに割れた巨大な時計塔、水が逆流したまま凍りついた滝、千切れて空に横たわる石畳の街道などが、無重力の海をただようように何百、何千と浮かんでいた。
――静寂。音の一切が存在しない、圧倒的な廃墟の世界。
「うわっ……なんだこりゃ。まるで、世界を丸ごとぶち壊して捨てた、特大のゴミ捨て場じゃねえか。」
ラグが巨大な剣を肩に担ぎながら、頭上を漂う巨大な瓦礫を見上げて呻いた。彼の言う通りだった。空を漂う残骸の中には、見覚えのある「スクラップタウンの煤けたパイプ群」のようなものや、「ゼニスの白銀の壁」の破片、果ては彼ら自身の故郷に似た村の風景すら混ざっている。 だが、どれもどこか形がいびつで、色褪せ、半透明に透けていた。
「ここは、上位階層の第3領域――『廃棄区画』よ。」
エイラが、足元のクリスタルを一つ拾い上げながら静かに告げた。彼女のヘーゼル色の瞳が、夕暮れの光を反射して、ひどく悲しげに揺れている。
「廃棄区画……? じゃあ、この空に浮かんでる気味が悪い残骸は、全部……。」
「ええ。マスターシステムによって『完成』され、そして不要となって『削除』された、並行世界の箱庭たちの残骸よ。」
(衝撃。その言葉の理不尽な重みに、アルゴスとラグの息が同時に止まる)
「待て! 完成したのに、捨てられたって言うのか……!? 完璧な世界を作ることが、あのシステムの至上命題だったはずだろう!」
アルゴスが信じられないとばかりに声を荒げ、紫電の装甲を軋ませた。
「マスターシステムにとって、エラーのない『完璧な状態』とは、計算処理がすべて終わったという事なのよ、アルゴスさん。……悲しみも、争いも、変化もない。それ以上の処理が発生しないデータに、リソースを割く意味はない。だから、システムは容赦なく削除を実行し、ここに捨てるの。」
エイラは何でもないことのように、拾ったクリスタルを指で強く弾いた。
パリンッ……。
小さな音を立てて、一つの小さな世界であったはずのデータが、光の粒子となって砂に還り、消えた。
「……じゃあ、僕たちのいた箱庭世界がまだ消されてないのは……!」
ロアの鋭い問いかけに、エイラは振り返り、真っ直ぐに一行を見据えた。
「そういうこと。あなたたちの生まれた箱庭は、最下層からゼニスに至るまでバグ(エラー)にまみれていて、一向に計算が収束しない『最悪の欠陥品』だからよ。……だからこそ、マスターシステムの削除対象から漏れ続け、かろうじて生き残っているの。」
ロアの肩に乗ったルカくん2号・改が、ピピ、と短い電子音を鳴らしてエイラの言葉を裏付けた。
(静止。ロアの脳裏に、かつてガレンがいつも煙草を吹かしながら言っていた言葉が閃く)
『いいか、お掃除はな。ただ綺麗にするだけじゃない。世界を愛するためにやるんだ』
「……じいちゃんは、知ってたんだ。完璧なシステムになんてしちゃダメだって。バグだらけの不完全な泥臭い世界こそが、僕たちが『明日を生き残るための唯一の条件』だってこと……!」
ロアが、腰の聖葬槌を力強く握りしめる。単にシステムを綺麗にするだけじゃない。完璧にしようとする論理の刃から泥臭い命を逃がし、世界を終わらせないための命がけの調整。それが、伝説のお掃除屋が残した一番の大きな愛だったのだ。
「その通りよ。ガレンさんは、システムに逆らってでも、あなたたちの」
エイラの言葉が、突如として途切れた。
ピィィィィィィィィィィィィンッ!!!
ルカくん2号・改が、耳をつんざくような警戒音を鳴らし、真っ赤に激しく明滅する。
「ロア!上よ!」
ノエルの鋭い叫び。 その直後。赤銅色の美しい夕暮れを真っ二つに引き裂くように、極太の『純白のレーザー』が死角である頭上から一行に向かって降り注いだ。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
(爆発。ガラス屑の大地が深くえぐり取られ、猛烈な破片の嵐が巻き起こる)
「……ッ、なんだ!? 敵か!?」
ラグが素早く背負い板を展開して盾にし、ロアとノエルへの爆風を防ぎながら前方を睨みつける。 もうもうと立ち込める土煙の向こうから、音もなく「それ」は現れた。
(無機質。真っ白な装甲に身を包み、機械的な複数の翼を持つ巨大な『上位執行者』)
『――警告。廃棄区画内に、未登録の深刻な外部バグ(エラー)を検知。 マスターシステムの権限において、即時デリート(再フォーマット)を実行します。』
一切の感情を持たない合成音声が、冷酷に死を宣告する。 同時に、執行者の両腕から多数の銃口が展開され、チィィィィンと耳障りな甲高い音を立てて高密度のエネルギーをチャージし始めた。
「……お出迎えみたいね。あれが、彼らのお掃除役よ。」
エイラが、ため息をつくように呟いた。
「俺たちのやってた事と同じってわけか! 上等だ、お掃除屋の看板の奪い合いといこうぜェ!!」
ガシャァァァンッ!!
ラグが巨大な鉄剣をガラスの大地に叩きつけ、獣のような好戦的な笑みを浮かべる。アルゴスもまた、装甲から青白い紫電の火花を激しく散らしながら、仲間を守るように一歩前へ踏み出した。
「お掃除屋は、俺たちの専売特許だ。……ロア! 前衛は俺とラグが引き受ける。ノエルは援護を! お前は……そいつの『芯』を一発で抜け!!」 「うんっ! いくよ、みんな!!」
(開戦。ロアの聖葬槌が、静寂の廃棄区画で極彩色の光を解き放つ)
捨てられた並行世界の箱庭たちが眠る巨大な墓場で、彼らの「世界の外」での初陣が、今まさに火蓋を切った。
(第108話 終わり)




