第102話 境界の案内人
――感覚が、一度完全にバラバラになり、再び「計算」され直すような。
筆舌に尽くしがたい浮遊感と共に、ロアたちは特異点の扉を通り抜けた。
耳元で鳴り響いていた爆音は、一瞬にして消え去る。
代わりに訪れたのは、鼓膜が痛くなるほどの、透き通った静寂だった。
――足元に広がる、幾何学的な絶望。
「……え、ここ……」
ロアが最初に目を開いたとき、そこは「宇宙」と呼ぶにはあまりに不自然な空間だった。
頭上に広がるのは、暗闇ではない。
極彩色にうねる演算の星雲が、オーロラのように空を覆い尽くしている。
その間を縫うように、幾何学的な光の線が結ばれ、巨大な星座の図形を描き出していた。
「うっ……胃の腑が引っくり返りそうだ。……おい、地面はどこだ!?」
ラグが呻き声を上げ、虚空を泳ぐように手足をばたつかせる。
彼らは今、緩やかな重力に導かれるように、ゆっくりと「下」へと降りていた。
眼下には、まるで硝石を積み上げたような、透き通った巨大な光の回廊が見える。
「……魔力が、震えてる。……ロア、気をつけて。ここは全部、純粋な『言葉』でできてるみたい」
ノエルが、銀髪を揺らしながら周囲の「空気」に触れた。
指先が空気に触れるたび、小さな電子の火花がパチパチとはじけ、小さな波紋が広がっていく。
「……これが、世界の裏側。……箱庭の主たちが畏れた、神の領域か。」
アルゴスが重厚な鎧の音を鳴らし、背中の大剣に手をかける。
その赤茶色の髪が、周囲の星雲の光を反射して、幻想的な輝きを放っていた。
やがて、一行の足先が、冷たく硬い「光の回廊」へと着地した。
電子の火花が、静かに散る。
「……みんな、大丈夫? ……シオン、ナハト。見てる?」
ロアが、肩に乗った「ルカくん2号・改」を撫でながら、虚空に呼びかける。
返事はない。
だが、手にした聖葬槌は、かつてないほど激しく熱を帯び、ドクン、ドクンと脈打っている。
まるで、この広大な空間そのものと呼吸を合わせているかのように。
「……ふふっ。ようやく届いたみたいね。……掃除屋さん。」
不意に、すぐ近くで鈴を転がすような、穏やかな声が響いた。
一行が弾かれたように振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
(静止。視線が、一つに交差する)
肩にかかるほどのアッシュブラウンの髪が、柔らかなウェーブを描いて揺れている。
透明感のある大きな瞳は、ヘーゼル色の光を宿し、ロアたちをどこか懐かしむように見つめていた。
「ノエル、下がって!」
ラグが咄嗟に前に出るが、少女は戦う様子もなく、光の柱に背を預けていた。
彼女の身に纏う服は、この世界の光を透過し、淡く輝いている。
「そんなに怖がらなくていいわ。……私はエイラ。この境界の案内人よ。」
エイラと名乗った少女は、ロアの腰にある黄金の槌に視線を落とし、小さく微笑んだ。
「……その槌の重さ。ガレンさんの匂いがする。……あのおじいさん、最後に自分の一番大切なものを、本当にあなたに託したのね。」
「爺ちゃんを知ってるの……!? エイラさん、君は一体……!」
ロアが一歩踏み出すと、エイラは首を横に振り、周囲の広大な超自然的な宇宙空間へと手を広げた。
「説明するより、見たほうが早いわ。……ついてきて。
あなたたちがこれから何を掃除しなきゃいけないのか。……この世界の本当の姿を見せてあげる。」
エイラが指を鳴らすすると、一行の立つ光の回廊が音もなく動き出した。
加速していく視界の先、演算の星雲が割れ、そこには――
――剥離される世界。
崩壊し、バグの繭に包まれた「巨大な世界の断片」が、無数に浮かんでいた。
(第102話 終わり)




