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第101話 新しい朝と手紙、上位階層への階梯

 朝陽が、丘の上の老木を黄金色に染め上げていた。


 数日前まで、世界の理を揺るがすほどの激闘が繰り広げられていたとは思えないほど、高台は静まり返っている。  


 風が吹き抜けるたび、冬枯れの枝が「カサリ」と乾いた音を立てるだけだ。 老木の根元には、二つの小さな石の墓標が、寄り添うように並んでいた。


「……行くんだね、ロア」


 少し離れた場所で、ノエルが静かに問いかけた。 彼女の銀髪が、朝の光を反射して白く輝いている。


「うん。……シオンも言ってたから。まだ、世界の掃除は終わってないって」


 ロアは二つの墓標を見つめたまま、聖葬槌の柄を強く握り締めた。 膝をついてナハトが泣き崩れていたあの夜の冷たさは、もうない。 代わりに、手のひらには槌から伝わる、微かな、けれど確かな鼓動のような振動があった。


「……寂しくなるな。あの生意気なガキと、無愛想な人形がいねぇのはよ」


 ラグが、巨大な二枚の背負い板を調整しながら、鼻を鳴らす。 その顔は、喪失を飲み込んだ大人の男の、どこか吹っ切れたような清々しさに満ちていた。


 ロアが、静かにその場に屈み込んだ。 二つの墓標に触れようとした、その時だ。


 キィィィィィィィィィィィィン……。


 突如として、何もない虚空から翡翠色のクリスタルが浮上し、激しく明滅した。


「……ッ、なんだ!? バグか!?」


 ラグが瞬時に身構える。 だが、その光はロアたちを攻撃するものではなかった。 クリスタルがホログラムとなって空中に展開され、聞き覚えのある、あの不遜で気高い少年の声が響き渡った。


「――やれやれ。僕の予測演算によれば、君たちがここへ来る確率は98.2%。……相変わらず、不合理なまでに義理堅い奴らだ。」


「シオン……!?」


 ロアが目を見開く。 そこに映っているのは、最期の消えそうな姿ではない。 全盛期の、傲岸不遜な管理階層としてのシオンの像だった。


「驚く必要はない。これは僕が消失する前に仕込んでおいた、時限式の予約メッセージだ。……わざわざ最後を看取りに来たロアへの、管理者としての最低限の配慮ログに過ぎない。」


 像の中のシオンは、腕を組み、相変わらず挑戦的な笑みを浮かべていた。


「ロア。君がその槌を振るい続ける限り、この箱庭の境界はやがて限界を迎える。……管理者が不在となった今、この世界を繋ぎ止められるのは、お前という最大のエラーだけだ。」


 シオンの隣に、もう一つの小さな影が形成される。


「……補足します。……私、ナハトの予備プロセスも、このメッセージに統合されています。……ロア。私たちが居なくなった後の、上位階層マスターシステムへの接続パス……マスターキーを、あなたの槌にインストールしました。」


 翡翠の光が、ロアの聖葬槌へと吸い込まれていく。 槌の金属部が、ドクン、と一度だけ熱く脈動し、かつてない重厚な輝きを宿した。


「……ふっ、いいかロア。上位階層は、この箱庭のように優しくは無い。そこはバグ(ゴミ)が直接淘汰される、剥き出しの演算地獄だ。……僕という管理者が不在のまま、君のような不合理な人間がどこまで通用するか。……せいぜい、僕の計算を狂わせて見せろ。」


 シオンの像が、ゆっくりと粒子になって解け始める。


「……最後の掃除、ちゃんとやり遂げろよ。……ロア。」


 その言葉を最後に、クリスタルの光は静かに、けれど力強く消滅した。

 朝の光の中に、一時の静寂が訪れる。 ロアの目には、悲しみではなく、次なる戦いへの静かな火が灯っていた。


「……ああ。……分かってるよ。シオン、ナハト。」


 一行が村の出口へと向かうと、そこには一人の男が立っていた。 精悍な顔立ち。短く刈り込まれた赤茶色の髪。  腰には、村を、速度と熱を込めて守り抜いた一振りの長剣。 アルゴスだ。

 その隣には、銀の甲冑を纏った神聖騎士団長――フィオナが、相変わらずの不機嫌そうな顔で杖を突き立てていた。


「……本気で行くつもりなの? ラグ。」


 フィオナが、背負い板を調整するラグを冷ややかに射抜く。 だが、その指先が微かに震えているのを、彼女は手袋ごと杖を握りしめて隠した。


「ハッ、当たり前だろ。こんな得体の知れねぇ深淵に、ガキ共を放り出せるかってんだ」


 ラグが鼻を鳴らすと、フィオナはふいっと視線を逸らし、自らの背後に立てかけてあった赤黒い布包みを、乱暴にラグの胸へと押し付けた。


「……何だこりゃ?」


「……いつか約束したでしょ。あんたの失くした剣、私が探してやるって」


 ラグが驚いて布を解くと、中から現れたのは、かつての愛剣よりもさらに重厚で乱暴な切っ先を持つ、漆黒の大剣だった。


「神聖騎士団の宝物庫の奥底で埃を被っていた、規格外の黒獅子の大剣よ。……特別に貸し出してやったんだから、絶対に返しに来なさいよね。これ以上私の管理記録に行方不明者を増やされるのは、不愉快なだけだから」


 ラグはその重みを確かめるように握りしめ、不敵な笑みを浮かべて新しい巨大な剣の柄を叩いた。


「おいおい、相変わらず可愛げのねぇ団長さんだ。だが……最高の餞別だぜ。安心しな。掃除が終わったら、またあんたの淹れた苦いコーヒーでも飲ませてもらうさ。」


 ラグとフィオナの間で、言葉にならない信頼が交わされる。


「……行くのか、ロア。」


 アルゴスが、ロアの前に一歩踏み出した。 傍らで見守るメイドのリゼが、静かに一礼する。  彼女はもう、主人の後を追うつもりはない。 この村で、主の帰るべき場所を守る。それが彼女の選んだ新しい『理』だった。


「お気になさらず、アルゴス様。村のことは私たちが守り抜きます。……あなたは、あなたの真実を見届けてきてください。」


 アルゴスは力強く頷き、ロアの横に並んだ。


「ロア。……地上の守護者としての役目は、もう一通り終えた。次は、ガヴェイン家の戦士としてではなく、一人の『旅人』として、お前の槌に俺の雷を貸してやりたい。……連れて行ってくれるか?」


 ロアの顔が、パッと明るく輝いた。


「もちろんだよ、アルゴスさん! 心強いなぁ!」


 ロア、ノエル、ラグ、そしてアルゴス。 新しく編成された四人が、村の境界線を一歩踏み出した。  それを見送るフィオナとリゼの影が、朝陽に長く伸びていく。


 ――その時だった。  ッパァァァァァァァァァァァァァァアアンッ!!!!!


 静かな朝の空気を切り裂くような、凄まじい蒸気笛の音が響き渡った。 一行が驚いて振り返ると、村へ続く街道の向こうから、猛烈な黒煙と火花を撒き散らしながら何かが突っ込んでくる。


「な、なんだぁ!? バグの怪物か!?」


 ラグが咄嗟に身構えるが、それは怪物ではなかった。  無骨な鉄骨を組み上げ、巨大な車輪を四つ備えた、見たこともない蒸気バギーだ。 バギーは猛スピードで一行の目の前まで来ると、盛大に砂煙を上げながら急停車した。


「おーい! ちょっと待ちやがれ、掃除屋!!」


 運転席から飛び出してきたのは、ゴーグルを額に上げた、あの生意気で不敵な笑みを浮かべた天才エンジニア――ルカだった。 その後ろからは、兄に振り回されて目を回している弟のテオも、フラフラと降り立ってくる。


「ルカくん! それにテオくんも! どうしてここに……!?」


「どうして、じゃねえよ! お前ら、シオンたちがいないってのに、丸腰で上位階層マスターシステムに乗り込もうってのか? バカか! 自殺志願者か!」


 ルカは呆れ顔で腰を叩くと、助手席から黄金色の翼を持つ小さな球体を取り出した。


「ほらよ。特製——ルカくん2号・アッパーレイヤー・カスタムだ!」


 ルカが放り投げた球体は、空中でお掃除屋の槌の周りをくるくると飛び回り、ロアの肩にちょこんと着地した。


「前の2号の演算ユニットを15層まで並列化して、ついでに上位階層の超高負荷ノイズにも耐えられるように金メッキでシールドしといてやった。……これがあれば、どこにいたって俺様が地上からサポートしてやれる。……あっちでお掃除なら、解析屋は必須だろ?」


「ルカくん……! ありがとう、本当に助かるよ……!!」


 ロアが黄金の球体を撫でると、ルカくん2号(改)は「ピピッ」と嬉しそうに電子音を鳴らした。


「……アルゴスさん。絶対に、死なないで戻ってきて。リゼさんのためにも。……兄さんの解析を信じて、ロアくんを支えてあげて」


 テオが、少し照れ臭そうに、けれど真剣な瞳でアルゴスたちに告げる。 アルゴスは黙って頷き、ルカとテオ、そしてリゼの姿をその目に焼き付けた。


 傍らで、フィオナは一度だけロアたちの方に視線を向け、小さく顎を引いた。 その一瞬の瞳には、今まで見せたことのない種類の、祈りと寂しさが入り混じった感情が宿っている。


「……任せろ。地上は、お前たちに託したぞ。」


 蒸気バギーの余熱が陽炎となって揺れる中、一行はついに、世界の果て――特異点の扉へと辿り着いた。


 かつて開いたはずの扉は、今やマスターキーを得た聖葬槌に呼応し、眩いばかりの純白の閃光を放ち始める。 だがその時、ロアの肩にかけられたボロボロの革袋。その底に仕舞われていたものが、かつてない激しさで熱を帯びた。


「……えっ!? 熱いっ!!」


 ロアが慌てて袋をまさぐり、中からそれを取り出した。  かつて、ガレンから「これだけは持って行け」と手渡された、掌に収まるサイズの透明な石だ。  その隣には、未だ解読できずにいた分厚い日記も収まっている。


 石は、シオンの遺したマスターキーの輝きと同調するように、翡翠色と白銀の入り混じった眩い光を放ち、ロアの全身を優しく包み込んだ。


「これ……爺ちゃんからもらった石だ。……今、ピッケルと笑ってるみたいに光ってる……!」


 石の発する「物理的な権限」が、シオンの「論理的な鍵」と重なり合う。 不安定だった特異点の扉が、完全に計算上の正解を導き出し、黄金の幾何学模様となって安定した。


「……みんな、準備はいい?」


 ロアが、仲間たちを振り返る。  ノエル、ラグ、そしてアルゴス。  全員が力強く頷く。


「掃除屋、ロア! 世界の外へ、出発だよ!!」


 黄金の光が扉を粉砕し、四振りの魂がその向こう側――


 無数の演算星屑スターダストが渦巻く、果てしない上位階層マスターシステムの深淵へと、一気に飛び込んでいった。


(第101話 終わり)


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