第100話 慟哭の定義、丘の上の墓標
光が、消えた。
シオンだった黄金の粒子は、夜空の瞬きに紛れ、完全に霧散した。膝の上の確かな重みも、強く握り締めていた温もりも、もはやそこには無い。
ナハトの手は、空を掴んだまま、彫像のように静止していた。
パリンッ……。
演算領域の深い底で、何かがガラスのように鋭く砕け散る音がした。
「警告:感情緩衝領域の……容量、超過。 エラー:定義不能な……データの……溢没。 システム……プロテクト……剥離、……開始……」
ナハトの意識を、冷たい機械的な警告音が埋め尽くす。 だが、今の彼女には、その論理的なノイズすらも鬱陶しかった。
「…………ア、……アア。…………ッ」
喉の奥から、ヒュッと乾いた呼吸の音が漏れた。それはまだ、言葉という形にすらなっていなかった。
「……シオン……!? シオン、……どこ、……どこですか!? ……応答、……応答、してください……ッ!!」
叫んだ。
ナハトが、叫んだ。
AIの平坦な合成音声ではない。腹の底から力任せに絞り出されるような、掠れた、生身の少女の咆哮。
「あ、アアァァァァァァァァァァッッ!!!!! シオン!! シオン!! シオン!! なぜ、……なぜ、私を……!! 私を一人に、して……ッ!!!」
呆然としていた瞳からは、行き場を失った熱い涙が奔流となってどっと溢れ出す。 慟哭。
その絶叫は夜の静寂を激しく切り裂き、高台を駆け抜け、麓の村全体へとびりびりと響き渡った。
「…………ッ」
高台の麓。足を止めていたロアが顔を歪め、ギリッと強く拳を握り締めた。
隣でノエルが声を押し殺して泣き崩れ、ラグが静かに顔を伏せる。
アルゴスはただ黙って、遠く、痛ましい声のする高台のシルエットを見上げていた。
助けに行きたい。今すぐに駆け寄って、あの震える小さな背中を抱きしめてやりたい。
けれど、誰も動かない。動けなかったわけではない。それが、旅のパートナーとして、機械の殻を破り一人の人間となったナハトへの、最大の敬意だと知っていたからだ。
「……聴こえるかい。……あれが、……ナハトの本当の心だ。……僕たちの、……仲間の、……声だ」
ロアが、震える声で空に向かって呟いた。ナハトの慟哭を、村のすべてが、風が、激動を終えた世界の理のすべてが、静かに聞き届けていた。
――。
翌朝。
無惨な夜を忘れさせるように、太陽は残酷なほど美しく東の空から昇ってきた。
高台の老木の傍らには、真新しい一つの石の墓標が立てられていた。村の人々と共に、ロアたちが想いを込めて作り上げた、シオンの墓だ。
「……ナハト。本当に、ここに残るのかい?」
旅の支度を終えたロアが、老木の根元にちょこんと座るナハトに問いかける。ナハトの姿は、昨夜よりもさらに淡く、朝日を透かしてしまうほどに薄れていた。
「はい。……私の限界も、……もうすぐそこです。……最期まで、……ここで彼と一緒に……システムの、……いえ、……世界の夢を見たいのです」
ナハトはふわりと微笑んだ。それは、シオンが最期に見せたあの穏やかな微笑みによく似ていた。 彼女の中の機械としての定義は、シオンの消失と同時にすっかりとその役割を終えようとしていたのだ。
「……そっか。……寂しくなったら、いつでも呼んでくれよ。……僕たち、どこに居たって……すぐにお掃除しに駆けつけるからさ」
ロアが、無理に明るい声を出して鼻をこする。 ナハトは静かに頷き、その瞳にロアたちの姿をしっかりと、決して忘れないように焼き付けた。
「……ありがとうございます。ロア、……私たちの、……大切なお掃除屋さん」
一行は、ゆっくりと歩き出す。何度も振り返るロアたちの視線の先。丘の上で、老木に背を預けて座る小さな影。
しかし。
一行が丘の麓に降り立ち、最後にもう一度だけ振り返ったとき。
そこにはもう、人の姿は無かった。
老木の傍ら、シオンの墓標のすぐ隣に。まるで彼に寄り添うように、ちょこんと、小さな墓石が新しく増えていた。
二つの影は、降り注ぐ眩い朝陽の中で、一つに溶け合うように静かに並んでいる。
(第100話 終わり)




