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身体

 召喚屋の拳が、床を殴った。


 ——ドゴッ!


 殴った場所から少し離れたコンクリートが、内側から弾け飛んだ。


 レンはひよりの腕を引いて横に跳ぶ。


「っぶな!」


 さっきまで二人が立っていた場所に、遅れて衝撃が走る。

 床が割れ、破片が飛び散った。


(直接当たってねぇのに、あの威力かよ……)


 召喚だけじゃない。

 あの拳そのものに、見えない“何か”が乗っている。


 召喚屋は、グローブの指先を軽く鳴らした。


「ほらほら、避けてばっかやと、そのうち足もつれるで?」


 ひよりは肩で息をしながら、小さく叫ぶ。


「れ、レンさん、殴るたびに床割れてますけど!!」


「見りゃ分かる!」


 レンは短く返しながら、男の動きを目で追った。


 右の拳で、召喚。

 左の拳で、衝撃波。


 そう決まっているわけでもない。

 けれど、左手を握る瞬間——空気の“硬さ”が変わる。


(あれ、召喚の魔法とは別だな)


 じり、と距離を取りながら、レンは口を開いた。


「召喚士のくせに、妙な殴り方するな」


「“くせに”はひどない?」


 召喚屋は楽しそうに笑う。


「俺らな、“メインの魔法”はそれぞれ別々やけど——

 お互いの魔法、媒介ごと交換して使えるようにしとんねん。」


 左手のグローブを、コツコツと叩く。


「召喚は俺の専門。

 でも、“殴る魔法”ぐらいやったら、こうして借りれるってわけや」


 言い終わるのと同時に、足元で何かが爆ぜた。


「下!」


 レンが叫ぶより早く、床のヒビからゾンビの腕が突き出てくる。


 殴った衝撃で、埋まっていた死体をまとめて揺り起こしているのだ。


 ひよりがとっさに飛び退き、腕を蹴り払う。


「増やさないでくださいよぉ!」


「うるさい、まとまって来てくれたほうが楽だ」


 レンは言いながら、視線だけでひよりの位置を確認する。


 左手首——さっきから、そこが気になっていた。


 淡く紺色の印が浮かんでいる。

 まるで、誰かがそこに魔力を“ひっかけて”いるみたいに。


「ひより」


「はいっ!」


「その印、見せろ」


 ひよりは一瞬だけ目を丸くし、すぐに袖をまくってみせた。


 薄い円のような形。

 爪でなぞったくぼみに、風がひっそり集まっていく。


(……やっぱりか)


 レンは、喉の奥で息を鳴らした。


 自分の魔力が、そこに“逃げて”いる感覚がある。

 さっき視界を重ねたときに、つないだままの回線。


 召喚屋が、にやりと笑った。


「ええなぁ、その印。

 “帰還者のそばにおりすぎた証拠”や」


 ゾンビが数体、のそのそと立ち上がる。

 キメラ・ドラゴンが、残った脚でじりじりと距離を詰めてくる。


「ほら、打ち上げ花火には観客も必要やろ。

 君ら二人、まとめて遊んだるわ」


「遊ばれてたまるかよ」


 レンは、ひよりの肩に手を置いた。


「ひより」


「はい」


「今から、“俺の真似”をしろ」


「……どういうことですか!?」


「考えるな。俺が“右”って言ったら右足、左って言ったら左足にだけ意識向けろ」


「信じていいんですね!?」


「信じろ」


 ひよりは、一瞬だけ眉を寄せ——それでも、こくりと頷いた。


 召喚屋が地面を蹴る。

 ドラゴンまがいのキメラとゾンビの群れが、同時に動き出した。


「右!」


 レンが短く言う。


 ひよりは、言われた通り右足にだけ意識を集中させる。


 その瞬間——


 足首のあたりで、風が“噛んだ”。


 重力が、ほんの一瞬だけ軽くなる。

 床との摩擦がふっと抜けて、勝手に一歩前へ滑り出した。


「わっ!? え、え、え!?」


「止まるな、そのまま!」


 ゾンビの腕が目の前を掠める。

 さっきなら確実に躓いていた距離を、ひよりは転ばず抜けた。


(今の……なに)


 印から、何かが脚に流れ込んでくる感覚。


 レンの声が、すぐ耳元に重なった。


「左!」


 左足が、勝手に前へ出る。

 風が、膝の後ろを押した。


 召喚屋の衝撃波パンチが、さっきまで立っていた場所を吹き飛ばす。


「っぶな……!」


「当たってない。行け」


 レンは、ひよりの視界に自分の感覚を重ねながら、短く命令を重ねていく。


「右、前。もう一歩。止まるな。しゃがめ」


 ひよりは、半分パニックになりながら、それでも指示通りに動いた。


 足元で風が走るたびに、身体が軽くなる。

 踏み込みの瞬間だけ、誰かに背中を押されているみたいだった。


(これ……レンさんの“感覚”だけ、つかってる?……?)


 印が、じんじん熱い。


 召喚屋が、舌打ちした。


「なんやそれ。

 さっきまで逃げ腰やったくせに、一気に距離詰めてきよる」


 さらにもう一歩踏み込もうとした瞬間、レンが制した。


「止まれ」


 ひよりは、滑り込みながら踏みとどまる。


「ここから先は、俺じゃなくてお前の距離感だ。

 ——殴れるか?」


 目の前には、召喚屋の胸元。


 近い。


 左のグローブが、わずかに構えを変える。


 ひよりは、息を飲んだ。


「やってみます……!」


 握った右拳に、印の熱が流れ込んでくる。

 足元の風が、今度は“止まらせる”ために膝を固めた。


 召喚屋の拳が、同時に振り下ろされる。


 ——ドン。


 衝撃波が来る、そのほんの手前で。


「今だ、ひより!」


 レンの声が、頭の奥で叫ぶ。


 ひよりは、全部まとめて前に出した。


「——っ!」


 自分の拳と、レンから借りた一瞬の加速。

 床を蹴る風と、印から伝わる“軌道”。


 全部をぶつけるように、召喚屋の懐へ飛び込む。


 衝撃波が頬をかすめる。

 鼓膜がきしむ。


 それでも、拳は止まらなかった。


「っっ……!!」


 ひよりの拳が、召喚屋の鳩尾にめり込んだ。


 一瞬、空気が止まる。


 遅れて——衝撃が逆流した。


 召喚屋の体が、後ろへ吹き飛ぶ。

 さっきまでゾンビが起き上がっていた床を、何枚も転がっていく。


 ドラゴン・キメラが、主人の動揺に合わせてぐらりと揺れた。

 糸が切れたみたいに、身体がばらけていく。


 レンは、肩で息をしながら呟いた。


「……上出来だ」


 ひよりは、その場にへたり込みそうになりながら、必死で踏ん張った。


「い、今の……私……?」


「そうだよ」


 レンはひよりの手首にちらりと目をやる。


 紺色の印が、まだうっすらと光っていた。


(やっぱり、“一部だけ”だな。

 移動の癖と、踏み込みのタイミングだけ——そこに流し込める)


 全部、言葉にするほど暇はない。


 召喚屋は、腹を押さえながら起き上がろうとして——その場に膝をついた。


「……いてて……なかなか、やるやん……」


 口元は笑っている。

 

 レンは、一歩前に出た。


「まだやるか」


「やめといたるわ。

 これ以上やったら、上から怒られるしな」


 召喚屋は、腹を押さえたまま立ち上がる。

 指を鳴らすと、床に転がっていたゾンビたちの気配が、すっと薄れた。


 残っていた死体も、糸を切られた人形みたいに動かなくなる。


「今日は、“データ取り”ってことで勘弁したる。

 レン、ひよりちゃん」


 フードの奥の目が、二人を見た。


「君らのコンビ、だいぶ気に入ったわ。

 ——次は、ちゃんと殺しに来るから」


 そう言い残して、召喚屋の姿がふっと掻き消えた。


 魔法の気配ごと、風の中から消える。


 静寂。


 ひよりは、その場にぺたんと座り込んだ。


「……足、ガクガクなんですけど……」


「普通だ。初めてあんな踏み込みしたら、だいたいそうなる」


 レンは、かろうじて笑った。


 ひよりは、左手首を見つめる。


 紺色の印は、さっきよりも少しだけ濃くなっている気がした。




 指先で、そっとなぞる。


 ステージの端では、ももりんがその様子をじっと見ていた。


 誰にも聞こえないくらいの小さな声で、ひとことつぶやく。


「……やっぱり、ーーーーーーー


 それが、羨望なのか、安堵なのか、自分でもわからなかった。


 ひよりとレンの呼吸は、まだ少しだけ、同じリズムで揺れていた。

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