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バトル

 キメラの前脚が、アスファルトをえぐった。


 レンは紙一重で脇に逸れる。

 背中をかすめる風と、遅れて飛んでくる砂埃。

 さっき一度でもまともにもらって、肋骨が悲鳴を上げたばかりだ。


 鞘ごと振り抜いた一撃が、混ざり合った骨の束をはじいた。

 犬とも鹿ともつかない脚が折れ、キメラの体勢が崩れる。


 倒れない。

 別の脚が、無理やり支えに回る。


 ぐちゃり、と音を立てて形を変えながら、また立ち上がった。


 上から、のんきな声が落ちてくる。


「ええなぁ、頑張れるやん。

 やっぱ本物の帰還者は見てて飽きひんわ。」


 向かいのビルの縁に、ローブの男——召喚屋が腰掛けていた。

 足をぶらぶらさせ、指先だけ出したグローブで手すりを叩いている。


 レンはそっちを見ない。

 視線はキメラに固定したまま、路地の端まで後退した。


(逃げ回ってでも、本体を叩く。

 あいつを落とせば、召喚も崩れるはずだ。)


 風を足裏に集める。

 踏み込み、一瞬だけ加速する。


 キメラの懐に潜り込み、鞘で横腹を叩きつける。

 骨が砕け、混ざり合った肉塊が路地に飛び散った。


 が、手応えの割に、動きは鈍らない。


(くそ……異世界の魔物よりタチ悪いな。)


 背中の方から、楽しそうな舌打ちが落ちてきた。


「そろそろ飽きてきたし、ギア上げよか。」


 召喚屋が、指を鳴らした。


 レンの足元で、空気がねじれる。


 ぎち、と嫌な音がした。

 アスファルトの隙間から、ゾンビの腕が這い出てくる。


 一体じゃない。

 二体、三体、四体——。


 路地のあちこちで、同時に“死体”が立ち上がった。


「……どっから引っ張り出してんだよ。」


 レンが低くつぶやく。

 目に見えない座標に、何度もゾンビを“重ねて”いたのだろう。

 地中から引き抜かれたコンクリ片と一緒に、腐った腕が次々と伸びてくる。


 あっという間に、路地はゾンビで埋まった。


 キメラを中心に、円を描くように取り囲まれる。


「はい、レンくん問題です。」


 召喚屋が、屋上から笑う。


「真正面から全部相手したら、君の魔力じゃ足りへん。

 逃げたら、後ろのメインストリートが大変なことになります。

 ——どうしたらええと思う?」


 レンはちらりと背後に視線を送った。


 自分の背中側には、低いビルの壁。

 その向こうは、このコロニーの“幹”になっている通路だ。


 避難してきた人間たちが、昼夜問わずひしめいている場所。


 召喚屋は、レンの視線の先を言い当てるように続けた。


「そっち側に、大事な“生活道路”があるやろ。

 君が大風のひとつもぶっ放したら、どうなると思う?」


 ゾンビの首が、一斉にレンの方へ向く。

 ここで風を大きく動かせば、押し流されたゾンビが壁に叩きつけられ、そのままなだれ込むだろう。


 レンは舌の先で奥歯を押した。


(数に対して範囲魔法が一番効く。

 でも、ここでやったら終わりだ。)


 異世界にいた時みたいに、万能に魔法を振り回せるわけじゃない。

 前衛も後衛も、仲間で埋まってるパーティー戦でもない。


 今回は、自分しかいない。


 ゾンビの足音が、じわじわと近づいてくる。

 キメラが低く唸った。


 召喚屋は、相変わらず楽しそうだった。


「ほれ、どしたん。逃げへんの?

 さっきまでみたいに、風でぴゅーっと。」


 レンは小さく息を吐いた。


「……うるせぇな。」


 剣の柄に、指を深くかける。


 逃げ道を探る感知の線を、わずかに別方向へねじる。


 風の流れが、路地から少し外れた位置で渦を巻き始めた。


(やりたくなかったけど……しゃあない。)


 頭の中に、別の声がよみがえる。


『レン、精霊に頼るってことはね——万能じゃないの。』


 異世界で出会った風使いの女が、笑いながら言っていた。


『呼んでるあいだ、お前の魔法は全部“あっち”に持ってかれる。

 風も剣も使えない。君が使えるのは、炎だけ。

 それでも困らない戦い方ができるときだけ、切り札にしなさい。』


(あのときは、“困ることなんてない”って思ってたんだけどな。)


 レンは、剣を鞘ごと持ち上げた。


 ゾンビの一体が飛びかかってくる。

 振り向きざまに肩口を鞘で打ち据え、距離を取る。


 息を吸う。

 胸の奥に残っている魔力を、全部剣に押し込むイメージで。


「——頼むぜ。」


 小さく呟いた瞬間、剣がふっと消えた。


 鞘の中身が、風に変わる。

 腕の横で“ひとつ”にまとまった。


 目に見えないはずの風が、淡く輪郭を持った。

 人の掌ほどの大きさで、触れればすり抜けそうなくらい薄い。


 それでも、そこに“意志”があった。


 風の渦の中心に、小さな瞳が瞬く。


「……久しぶりだな。風の魔法を使える時点で、まさかとは思ってたんだがな。」


 レンが言うと、風がふるりと震えた。


『でも、あたしがいて助かったでしょ?』


 声にならない声が、確かにそう言った気がした。


 同時に、レンの全身から“風の感覚”がすうっと抜けた。


 いつもなら、足元で待機している風の流れが、指先から消えている。


 キメラが吠えた。

 ゾンビたちが、合図を受けたように一斉に飛びかかってくる。


 レンは後ろに跳ぶ。


「ルーチェ。」


 肩越しに、ひとつだけ名前を呼んだ。


 風の塊が、一瞬だけ明るくなった。


 次の瞬間、路地の上空で“音のない爆発”が起きた。


 空気が逆巻く。

 圧縮された風が一気に解放され、内側から外へ向かって弾け飛んだ。


 ゾンビたちの身体が、まとめて持ち上がる。

 足が地面から離れ、壁の方へ、空き地の方へ、路地の出口の方へ。


 一体としてまとまる前に、バラバラの方向へ吹き飛ばされた。


 レンの背中側——避難路に繋がる壁の前だけ、風がきれいに抜けていく。


 そこには一筋だけ“風の通り道”が出来ていた。


 キメラもまとめて押し流される。

 壁に叩きつけられ、混ざり合った骨がさらに変形した。


 召喚屋が、思わず声を漏らした。


「……はは。やるやん。」


 レンは肩で息をしながら、空中に浮かぶ風の塊を見上げる。


「悪いな。もうひと仕事、頼めるか。」


 ルーチェは、くすっと笑ったように揺れて、ゆっくりと薄くなっていく。


 召喚屋は薄ら笑いをやめた。


「切り札、まだ隠しとったんや。」


 レンは答えない。


 剣はない。

 風も、もう使えない。


 それでも、目の前の男の顔だけは、はっきり見えた。


「ひとつ言い忘れてたな。」


 レンは、じり、とアスファルトを踏みしめる。


「俺は金曜のドラえもんより、木曜日のポケモンの方が楽しみだったんだよ。」


 召喚屋は静かにグローブを直す


「ごめんけど、ポケモンはゲームしかやってへんわ。」


 レンは、口の端だけで笑った。


 路地の空気が、じわりと熱を帯び始めていた。

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