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桃農家

進んだ先の部屋は、思っていたよりも普通だった。


 四角いテーブルが一つ。

 その周りに、パイプ椅子がいくつか並んでいる。


 壁はコンクリートむき出し。

 天井の蛍光灯は一本だけで、少し暗い。


(取り調べ室って感じじゃない……けど、就活の“グループ面談”っぽさはあるな)


 ひよりは、扉のそばに立ったまま周りを見回した。


 さっきまで一緒に試験を受けていた、短髪の青年と眼鏡の女性。

 それから──自分を含めて、三人。


「次の試験はここでするんですか?」


 ひよりが小さく尋ねると、入り口まで案内してきた男は、事務的な口調で答えた。


「ああ。

 動きの良かった方には、前線班や補助班など、少し踏み込んだお話をする必要がありますので」


(……ももりんも、これ進んだのかな)


 ひよりは、心の中だけでつぶやく。


 職員が扉を閉める。

 空気が一段、重くなった。


 短髪の青年が、ひよりを見て立ち上がりかける。


「あ、あの……さっきは、本当にありがとうございました!」


 ちょっと噛みながらも、勢いだけは真っ直ぐだ。


 眼鏡の女性も、慌てて頭を下げる。


「出口前のあれ……わたし、一人だったら絶対に無理でした。

 あなたが前に出てくれなかったら、ここにいません」


「いえいえいえいえ!

 やめてくださいそういうの、私もいっぱいいっぱいでしたから!」


 ひよりは、全力で手を振った。


(実際、途中からほぼレンさんだったし……)


 心の中だけで本音を付け足す。


「でも、本当に助かりました。

 あの足を狙うっていうのも……」


 眼鏡の女性が、胸の前で手をぎゅっと握る。


「“倒さなくていい”って言われたとき、正直意味が分からなかったんですけど……」


「僕、あのコンテナのふた投げるところで、人生最大の遠投しましたよ」


 短髪の青年が、少し照れくさそうに笑った。


「いえ、お二人が私を信じてくれたからこそですよ!

 なかなかできることじゃないですって!」


 変に距離を置かれるより、こうやって話してくれるほうが、ひよりも楽だった。


「とりあえず、全員生きててよかったですね」


「ほんと、それです」


 三人で、ちいさく笑い合う。


 ひよりも、一番隅の椅子に腰を下ろした。


(……レンさん、今どこで何してるんだろ)


 さっきの“感覚共有”の余韻がまだ残っていて、

 自分の指先なのに、さっきまでの動きが嘘みたいに感じる。


(あとで絶対文句言う。

 でも、その前に──)


 ももりんのこと。

 新宿のコロニーのこと。


 聞けることがあるなら、一つでも多く拾っておきたい。


 そんなことを考えていたときだった。


「……あの」


 短髪の青年が、少し迷ったように口を開いた。


「ひょっとして……“ひのひよ”さん、ですか?」


 ひよりは、椅子から跳ね上がりそうになった。


「えっ?」


 “ひのひよ”。


 それは、ももりん用アカウントの、ひよりのハンドルネームだ。


 青年は、気まずそうに頭をかきながら続ける。


「その……アイコンの雰囲気と、さっきの声が、ちょっと……。

 “ひのひよ感想まとめ”いつも見てたんで」


「……だれ?」


 思わず素で返してしまうと、青年は慌てて手を振った。


「あっ、えっと!

 僕も、ももりんのファンで……。

 “桃農家”やってました」


 眼鏡の女性が、小さく呟く。


「桃農家……?」


「うん、ファンネームです。

 私たち、ももりんの“桃農家”」


 ひよりは、つい反射で乗ってしまう。


 青年も、ほっとしたように笑った。


「ですよね!?

 あのハッシュタグで感想まとめてたの、めちゃくちゃ助かってたんですよ。

 配信追えない日とか、“ひのひよまとめ”だけ読んで追いついたりして」


「そんな使われ方してたんだ、あれ……」


 ひよりは、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。


「じゃあ……あなたも、ももりんを追ってここまで?」


「はい。

 “新宿に大きいコロニーができる”って話が出たときから、

 ずっとその方向の情報を集めてて」


 青年は、指折り数えるように話し始める。


「最後に“確定で”ももりんを見たのは、池袋側の簡易ステージです。

 あそこから、“新宿に向かう”って配信で言ってた。

 “途中で合流してくれる自衛隊の車両があるから、それに乗って一気に行く”って」


「合流は、できたの?」


「それが……途中のログが、抜けてるんですよね。

 動画も、テキストも。

 “出発します!”のあと、いきなり

 “電波が不安定です、みんな気をつけて”って一文だけ残ってて」


 そこで途切れている。


 ひよりは、ゆっくり息を吐いた。


(……新宿には来てる可能性が高い。

 でも、“どんな状態で”かは分からない)


 最悪の想像を、頭から追い出す。


「そのログ、よく覚えてますね」


「まあ、僕が集めたというか……

 “集めてもらってた”というか」


 青年は、少しだけ視線を落とした。


「ももりん界隈に、やたら情報通な桃農家の子がいるんです。

 前から、現場レポとか、移動ルートとか、めちゃくちゃ細かく流してくれてて。

 その子が、“今も一緒にいるはずだ”って言ってたんで……」


「一緒に、って……ももりんと?」


「はい。

 “新宿に向かうルートに合流できた”ってところまでは、そいつのDMで追えてたんですけど……

 そこで電波が完全に死んだみたいで」


 ひよりは、拳を膝の上で握りしめる。


「じゃあ、その子が今も無事なら……

 ももりんのそばに、桃農家が一人ついてるってこと?」


「少なくとも、“そうなっててほしい”ってことですね」


 青年は苦笑した。


「僕は途中でルート外れて、こっち側から新宿コロニーを目指してたら、

 気づいたらここに拾われてました」


「……それでも、十分だよ」


 ひよりは、素直にそう言った。


「その情報がなかったら、わたし今ここにいないし。

 ももりんが新宿まで来てるって確信も、持ててなかった」


「それは、お互い様ですよ。

 “ひのひよまとめ”がなかったら、たぶん僕、方向も間違えてたんで」


 青年が照れ笑いすると、眼鏡の女性がぽつりと言った。


「ただのファンって……すごいですね」


「ただのファンだからですよ」


 ひよりは、肩をすくめる。


「ただのファンだから、変なところでバカみたいに頑張れるんです」


 短髪の青年が、少し真面目な顔でひよりの手元を見た。


「あの、もう一個だけ、聞いていいですか」


「はい?」


「さっきみたいに、ゾンビ相手にああいう動きができる人って……

 正直、“ただのファン”だとは思えなくて」


 眼鏡の女性も、小さく頷く。


「わたしたち、本当にひよりさんが前に出てくれたおかげで……。

 “命の恩人”って言っても、大げさじゃないです」


「いやいやいや、やめてくださいホントに、ハードル上がるから……!」


 両手をぶんぶん振りながら、ひよりは顔を赤くした。


「ただ、ちょっと……“教えてもらった”だけで」


「教えてもらった?」


「はい。

 ……外で会った、すごい人に」


 “帰還者”という言葉は、出さない。

 ひより自身、その言葉を知らない。


 青年は、自分の左手首をぽりぽりとかいた。


「すごい人、って言えば……こっちにも何人かいますけどね」


「この新宿に?」


「どこまで本当かは分かんないっすけど。

 ゾンビの群れを一人で止めたとか、素手でビルの壁よじ登ったとか、

 そんな話が時々こぼれてくるんで」


 眼鏡の女性が、不安そうに笑う。


「そういう人って、多分“上の区画”にいますよね……」


「“普通の人”とは別枠、って感じで」


 青年は肩をすくめた。


「で、そういうヤバい人のそばにいるやつに、変な痣が出るとか出ないとか」


「痣?」


 ひよりが首をかしげると、青年は少しだけ迷ってから、左手首の内側を見せた。


 薄い紺色の痣のようなものが、ぼんやりと浮かんでいる。

 よく見ると、円をかじったみたいな、歪な形をしていた。


「……それ、怪我じゃないんですか?」


「覚えがないんですよ、これ。

 気づいたら出てて。

 前にいた区画で、“すごい人”の秘書みたいなことさせられてたんですけど

 その頃からですね」


「お医者さんには?」


「この状況で、ちゃんと診てもらえる医者なんていないっすよ。

 熱が出るわけでも、痛むわけでもないし。

 ただ、たまに変にあったかくはなるんですけど」


 それ以上、青年も説明できないらしい。


 彼自身、この印の意味を知らない。



 ひよりは、自分の袖口をこっそり握りしめた。


 今のところ、肌は何も変わっていない。

 それでも、さっきまでの“感覚共有”を思い出すと、

 手首の内側がじんわり熱くなるような気がした。


(印の正体なんて、今は分かんなくていい。

 でも──

 

 そのとき、扉がノックもなく開いた。


 さっきとは違う、中年の職員が顔を出す。


「特別候補のみなさん。

 悪いが、順番に話を聞かせてもらう」


 短髪の青年の名字が呼ばれ、眼鏡の女性の名前が呼ばれ──

 三番目に、「北川ひより」と呼ばれた。


「じゃ、またあとで」


 青年が、小さく手を振る。


「ももりんの話、また聞かせてください。

 こっちの情報も、ちゃんと出しますんで」


「うん。

 交換ってことで」


 ひよりは立ち上がり、袖を引っ張って手首を隠した。


 廊下に出ると、さっきよりも人の気配が少ない。

 遠くで、選抜説明会のざわめきだけがぼんやりと聞こえている。


(ももりん。

 “電波が不安定です、みんな気をつけて”の先)


 その続きを、この街で探さなきゃいけない。


「……まずは、話を聞こう」


 自分にそう言い聞かせて、ひよりは職員の後に続いた。


 その頃、コロニーの外。


 別のビルの屋上で、レンは風の流れの異変に眉をひそめていた。


 見下ろす路地で、ゾンビたちが同じ方向にそろって首を動かす。

 誰かに“まとめて引かれている”みたいな、不自然な動き。


(……嫌な感じだな)


 剣の柄にそっと手を添える。


(ゾンビだけじゃない。

 何か、“別のもの”が混ざってる)



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