選抜
しまった。
ビルの非常階段を登りながら、レンはようやく気づいた。
(ももりんの情報……聞いてねぇ)
あの女幹部は、最後まで余裕の笑みを浮かべていた。
炎刃を見ても、大風でゾンビを吹き飛ばしても、怖気づくどころか楽しそうだった。
そして、ゾンビだらけの谷間から助けてしまった。
ただ──
(どうせ助けるなら、ももりんの居場所ぐらい聞いとけよ、俺)
自分にツッコミを入れ、レンはため息をつく。
腕と肩が重い。
炎刃と暴風の反動が、ちゃんと筋肉に残っている。
(魔力はもう体には残ってなくて、剣にしかねえはずなんだけどな……疲労だけはきっちり残るか)
それでも、ここで座り込んでいる暇はない。
(ひよりのほうが問題だ)
新宿コロニーに紛れ込んでからすぐ、「選抜候補」という妙な名前をつけられて、ひよりだけ別区画に連れていかれた。
(選抜……って言ってたな)
外に出る任務。
戦力として使えそうな人間をふるいにかける制度。
(あいつのことだから、それなりに立ち回るだろうけど……)
レンは階段の踊り場で足を止めた。
(……試すか)
レンは軽く目を閉じた。
ひよりの顔を思い浮かべる。
短めの髪。
少し困ったように笑う口元。
(ひより。見せてくれ)
心の中でそうつぶやき、剣を意識の中心に置いたまま、魔力の向きを少し変える。
視界の縁が、ゆっくりと揺れ始めた。
* * *
天井が、近い。
ひよりは、少しだけ仰向けになりながら、白い天井のシミをぼんやり眺めていた。
(……やだなぁ、就活の会場みたい)
立ち上がるのも面倒で、椅子にも座らず床に体育座りしている。
さっきまで、レンと一緒だった。
軽い口調の職員に腕を掴まれたのは、ほんの少し前。
(わたし、そんなに戦えそうに見えました……?)
ぐるりと周りを見る。
窓のない大きなホール。
折りたたみ椅子がずらっと並び、十代から三十代くらいまでの男女が座っている。
ひよりの腕には、灰色の布が巻かれていた。
「選抜候補」と雑な字で書かれた腕章だ。
(ネーミング……)
ステージの上には、無理やり“偉そうに”見える椅子と机。
その椅子に、軍服ともジャケットともつかない服を着た男が座っている。
さっきまで、大きなスクリーンで「選抜制度のご案内」とやらを見せられていた。
まとめると──
・選抜に合格すれば、安全で食料に余裕のある区画に移れる
・代わりに、外の任務に就いてもらう(ゾンビ討伐・物資回収など)
・能力に応じて“ふさわしい役割”を与える
悲しいことに、こういうテンションの文言には慣れてしまっている。
ステージの男が指で机を「コン」と叩いた。
「一次試験を始める」
低くよく通る声が、ホールに広がる。
「一次は適性検査だ。
健康状態、精神状態、過去の職歴、対人傾向──そういったものを確認する。
書類と簡単な質問だ。落ち着いて答えろ」
職員が用紙を配り始める。
一枚の紙とペンが、ひよりの前にも置かれた。
名前・年齢・出身地・家族構成。
その下に、いくつもの質問が並んでいる。
【Q1.これまでにゾンビを直接倒したことがありますか】
【Q2.はい、と答えた方は、その際の状況をできるだけ詳しく書いてください】
【Q3.あなたは誰かを守るために自分が犠牲になる覚悟がありますか】
【Q4.ゾンビ発生以前のご職業、特技などを書いてください】
【Q5.あなたがもっとも大切にしている人・もの・場所をひとつ挙げてください】
(うわ、重っ)
ひよりは思わず眉をひそめる。
(Q5……こういうのアンケートで聞く?)
とりあえず、嘘八百を書くほど器用でもない。
Q1には素直に「はい」と書く。
レンと逃げながら蹴り落とした分は、たぶんカウントしていい。
Q2の状況欄には、できるだけレンの存在が目立たないようにぼかして書いた。
Q3の「犠牲になる覚悟」には、ペンがしばらく止まる。
ももりん。
桃瀬鈴。
そして、今はいないレン。
(……こういうの、ちゃんと「はい」って書ける人って、すごいな)
ひよりは、悩んだ末にこう書いた。
『守りたいと思った人のためなら、たぶん』
Q5は、迷わず書く。
『ももりん』
書き終えると、少しだけ胸がすっきりした。
(どうせ、ここまで来た理由、たどれば絶対ももりんに行き着くしね)
用紙が回収され、
今度は訓練場らしき場所へ案内される。
後ろのシャッターが重い音を立てて開いた。
打ちっぱなしのコンクリート。
壊れた家具やコンテナが散乱している。
天井付近には見張り用の通路。
スピーカーから、先ほどの男の声が落ちてきた。
「これから二次試験を始める。
三人一組で中に入り、奥の出入口までたどり着け。
途中で諦めた者は、選抜対象から外れる」
(“外れる”って、具体的にどうなるのか説明してほしいんですけど……)
ひよりは心の中で文句を言いつつ、並ばされる。
同じ組になったのは、短髪の青年と、眼鏡の女性。
二人とも、不安そうに周りを見回している。
「よ、よろしくお願いします」
とりあえず挨拶すると、二人もぎこちなく会釈した。
訓練場に入ると、スピーカーが続ける。
「この区画には、ゾンビを放つ。
数は多くない。
武器は、そのへんにあるものを使え」
ひよりは、レンの声を思い出した。
『むやみに戦わない。
逃げ道と遮蔽物を先に見る』
コンテナのふた。
折れた椅子。
曲がったパイプ。
ざっと見渡して、すぐに口を開く。
「あの、ちょっとだけ、ゾンビから逃げるコツ、知ってます」
短髪の青年がびくっと振り向いた。
「え?」
「今から言うこと、守ってくれたら……三人とも外に出られると思います」
眼鏡の女性も、不安そうな目でこっちを見る。
「まず──」
コンテナのふたを指さす。
「あれを、あっちの壁に向けて思いきり投げてください。
ゾンビは“音”に寄ってきます。
そっちに集まってるあいだに、こっちの通路を抜けましょう」
「な、なるほど……」
「途中で出てきたゾンビは、“倒さなくていい”です。
膝とか足首とか、足だけ狙ってください。
立ち上がれないあいだに通り抜けます」
これは、完全にレンの受け売りだ。
(わたしはそんなに優しくないけど……まあ、今は便利だから使わせてもらお)
スピーカーから電子音が鳴った。
「試験、開始」
奥のシャッターが開く音。
低いうめき声。
ひきずるような足音。
「投げてください!」
ひよりの声に、青年がコンテナのふたを掴んで思い切り投げた。
金属がコンクリートに当たる音が、訓練場に響く。
ゾンビの気配が、そっちへ流れていくのがわかる。
「今です!」
三人は走り出した。
迷路みたいな通路を曲がるたび、
ひよりの心臓は跳ね上がる。
角を曲がったところで、一体のゾンビがこちらを向いた。
近い。
ひよりは足を止めない。
すれ違いざま、折れた椅子の脚を振り下ろす。
「ぐしゃ」と膝の辺りでいやな音がした。
ゾンビが片膝をつき、その場でもつれる。
「今のうちに!」
二人も必死でついてくる。
汗で手のひらが滑る。
喉が焼けるみたいに乾いてくる。
(れんさん、見てます? こういうときだけでも頼ってくださいよね……)
そんな愚痴を心の中でこぼした瞬間、
頭の奥が、ふっと熱くなった。
誰かに“見られている”ような感覚。
(……あ、視界共有、繋いでますね、これ)
レンが、自分の視界を覗いている。
そう思った途端、妙な緊張が走る。
(うわ、変なところ見せられないじゃん……!)
そのくせ、足はちゃんと動く。
通路の先に、赤いランプのついた扉が見えてきた。
「あれ……!」
眼鏡の女性が叫ぶ。
扉の前には、一体のゾンビが立っていた。
さっきまでと違い、姿勢が妙にいい。
呼吸しているみたいに肩が上下している。
目も、濁りきっていない。
(……これ、絶対ただのゾンビじゃない)
ひよりの首筋を、冷たいものがなでた。
上の見張り通路に、人影がいくつか見える。
ライフルを構えている者。
腕を組んで見下ろしている者。
その中に、微かにレンさんに似た“空気の違う”気配を感じた。
スピーカーが言う。
「出口前の個体は、特別だ。
倒す必要はない。
無事に通過さえできればいい」
つまり──
(“どう通るか”を見られてる)
誰を前に出し、誰を守り、
自分はどこに立つか。
全部、採点対象だ。
ひよりは椅子の脚を握り直し、
二人に向き直った。
「二人とも、わたしの後ろにいてください」
「で、でも……」
青年が言いかける。
ひよりは首を振った。
「大丈夫です。
“倒さなくていい”なら、なんとかします」
喉がからからで、声が少し震えた。
でも、足は前に出る。
(れんさん)
心の中でだけ、名前を呼ぶ。
(ちゃんと見ててくださいよね)
ももりんに胸を張って話せるくらいには、
かっこよく通り抜けてやるから。
ゾンビの真正面に立つと、
濁りかけた目が、はっきりとこちらを捉えた。
ひよりは、椅子の脚を構えたまま、
一歩、また一歩と距離を詰めていった。




