表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/44

イケメン

人の気配が、急に薄くなった。


 レンは足を止める。

 待機スペースから少し離れただけなのに、さっきまでのざわざわした空気が嘘のように静かだった。


 ここは元テナントフロアらしい。

 看板の外されたガラス戸が並び、奥には空の棚やカウンターがうっすら見える。

 非常口の緑色のランプだけが、薄暗い廊下を照らしていた。


(この先に非常階段。上階に管理区画……だったな)


 さっき、ひよりが連れていかれたルート


 表のエレベーターとは別に、職員用の階段があるはずだ。


 レンは、ひよりとの視界共有をいったん切った。

 繋いだまま戦闘に巻き込まれるのは、さすがにリスクが高い。


 肩から提げた布巻きの荷物に、無意識に手が伸びる。


「やっと一人になった」


 軽い女の声が、廊下の端から響いた。


 レンは振り向く。


 非常口のランプの下に、女がひとり立っていた。


 二十代半ばくらい。

 髪は派手すぎない茶色で、ゆるく巻かれている。

 カジュアルなジャケットに細身のパンツ。


 ゾンビだらけの世界でなければ、そのまま街を歩いていても浮かない、おしゃれな女性だ。


 その女が、レンを見て口角を上げた。


「中野の帰還者って、君で合ってる?」


「……誰だ」


「んー、自己紹介って必要?」

 女は肩をすくめた。

「新宿コロニー幹部のひとり。

 美女担当って名乗りたいんだけど」


「…」


「あるべきでしょ? この世界でもビジュアルは正義」


 女はつづける


「イケメンで強いなら、仲間にしたいじゃん。絵になるし」


「なにがいいたい」


「監視の子がね、デパートの映像見せてくれたんだよ。

 “使えるうえに画面映えするなら最高ですね”って」


 レンは小さくため息をついた。


「悪いけど、勧誘される気はない」


「だよねぇ」

 女はケラケラ笑った。

「監視レポートにも書いてあったよ。

 “顔立ちは悪くないですが、性格は……素直さゼロ。

 こっち側に落ちるなら、相当追い込まないと無理です”って」


「ちゃんと観察できてるじゃないか」


「でもさ、そういう男のほうが落とし甲斐あるじゃん?」


 女は顎に手を当て、じっとレンを眺める。


「で、これは完全に私の趣味なんだけどさ」



「君みたいなタイプ、口説くの大好きなの

 だから上にはナイショで来ちゃった」


「勝手に来たのか」


「怒られたらそのとき考える。

 イケメンと遊べるなら、多少のリスクは許容範囲!」


 女はひらひらと手を振った。


「ってことで、ちょっと付き合ってよ。

 もちろん、タダで帰す気はないけど」


 言葉とは裏腹に、目の奥は笑っていない。


 レンは半歩だけ後ろに引いた。

 

「安心して。

 いきなり殺したりはしないから。

 イケメンは傷つけたくないし」


「充分に気持ち悪いな」


「ひっど〜い」


 女は頬をふくらませたふりをし、次の瞬間、両手を合わせた。


 カシン、と乾いた音がする。


 女の手には、いつの間にか黒いグローブがはめられていた。

 指の甲には細かい紋様が刻まれ、拳の部分だけ金属のプレートが埋め込まれている。


「……それが媒介か」


「そうそう。君の剣と同じ」

 女は嬉しそうに両手をひねって見せる。

「素手じゃ魔法、出ないんだよね。殴るのに集中できないからさ」


 次の瞬間、女が軽く壁を小突いた。


 「ドン」と低い音が鳴り、廊下全体が震えた。


 殴ったところには、ほとんど傷がついていない。

 なのに、数メートル離れた壁の真ん中に、蜘蛛の巣状のひびが走った。


「……衝撃波か」


「正解。

 直接触ってる場所じゃなくて、

 “先に着地させたい場所”に衝撃を飛ばせるの」


 女は片手を軽く振り上げる。


「たとえば──」


 拳が、空を切った。


 遅れて、レンの足元で床が爆ぜた。


「っ──」


 破片と粉じんが跳ね上がる。

 レンは反射的に横へ跳び、飛び散るコンクリート片を風で払い落とした。


「おー、避けるねぇ」

 女は楽しそうだ。

「距離を取ったほうが安全って思うでしょ?

 でもさ、衝撃って、見えてからじゃ避けにくいんだよね」


 女は、廊下のあちこちを軽く小突いていく。


 殴られていない場所がへこみ、

 天井の蛍光灯が割れ、

 床にひびが走った。


 見えない拳があちこちから飛んでくるような感覚だった。


「ねぇ、こっち側に来なよ」

 女はグローブの拳を肩の高さで構えながら言う。

「帰還者どうしで組んだほうが、絶対楽しいって。

 ゾンビも人間も、好きなように動かせるんだよ?」


「興味ない」


「即答〜。

 じゃあさ──」


 女の声が低くなる。


「“桃瀬りん”のためならどう?」


 その名前が出た瞬間、レンの指先がわずかに強張った。


「……知ってるのか」


「もちろん。あの子、最近の私のイチオシなんだよ?


 あんなおいしい素材、滅多にないって」


 女はわざとらしく肩をすくめる。


「君があの子を追いかけてるのも、監視ログ見れば丸分かり。

 “ももりん、ももりん”って顔に書いてあるし」


「趣味で追い込みに来たってわけか」


「そう。

 例えば──君がこっち側に来るなら、

 ももりんには“優しく”してあげるとか」


「ふざけるな」


 レンは低く言った。


 胸の奥で、何かが静かに切り替わる。


「ももりんを、数字とか画面映えでしか見てない時点で、

 お前らとは一生分かり合えない」


「うわ、ガチ恋じゃん」

 女は楽しそうに身を乗り出す。

「いいねぇ、その顔。ますます絵になる」


「……」


「じゃ、もっといい表情、撮らせてもらおっか」


 女が、今度は窓のほうへ拳を振った。


 鈍い音とともに、遠くの窓ガラスがまとめて砕ける。

 割れた窓から、外の光と風が吹き込んできた。


 粉々になったガラスの向こうに、非常階段の踊り場が見える。

 その先に続く細い路地では、崩れた建物の隙間に、

 無数のゾンビの影が蠢いていた。


「せっかくだし、ステージ変えよっか」

 女はウインクする。

「狭い廊下だと、君も本気出しづらいでしょ?」


 砕けた窓から吹き込む風に乗って、

 外の低い唸り声が重なって聞こえてくる。


 ゾンビたちが、こちらの物音に気づいたのだ。


 レンは短く息を吐いた。


「……ゾンビだらけの路地でデスマッチ、か」


「最高のロケーションじゃん?」

 女は踵を返し、非常階段のほうへ歩き出す。

「さ、外に行こ。

 イケメンがどこまで映えるか、ちゃんと見せてよね」


 レンは剣の柄に手をかけたまま、砕けた窓辺へ近づく。


(悪いな、ひより。

 ちょっとだけ寄り道する)


 ビルの外の路地から、腐った息と足音が押し寄せてくる。


 ゾンビの群れが集まり始めた路地へ向けて、

 レンは静かに一歩、踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ