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廊下は静かだった。


さっき「選抜」の男たちが去ってから、

このフロアを行き来する足音はほとんどない。


レンは待機スペースのドアを少しだけ開け、

誰にも見られない角度を探して廊下に出た。


布でぐるぐるに巻いた長物の荷物は、

いつものように肩から斜めに提げている。


中身が剣だと気づく者はいない。

少なくとも、気づいてほしくはなかった。


(ここから先、正面からついて行っても、どうせ門前払いだろうな)


ひよりが連れていかれた方向は分かる。

問題は、その先だ。


エレベーターか、階段か。

どのフロアで曲がり、

どんな扉をいくつ抜けるのか。


それを知らないまま突っ込めば、

一発で怪しい侵入者だ。


レンは、廊下をゆっくり歩きながら、足元の“流れ”を読む。


空調の風。

人の気配。

遠くでかすかに鳴る機械の音。


(……距離は、そう離れていない)


ひよりのいる方角は、濁った川のような気配になって

ぼんやりと伝わってくる。


ここから先を、どうするか。


レンは、一度だけ目を閉じた。


(……使うしかないか)


わざわざ、ひよりを連れてきた理由…


***


異世界にいた頃、レンはほとんど一人で戦ったことがない。


前衛の戦士。

後衛の魔術師。

回復役の僧侶。

補助のエルフ。


それぞれが役割を持ち、

誰かの背中を見ながら動く形が当たり前だった。


そんな中で、レンが特に頼りにしていた魔法がひとつある。


『視界共有、ってやつね』


静かな森の中。

夜営の火の気配から少し離れたところで、

エルフの女が淡々と説明していた。


『あなたが発動者。

 あなたの視界を軸に、“繋いだ相手”の目にも

 同時に世界を見せる』


「……つまり、相手の目から見える景色も、

 俺から見えるってことか」


『正確には逆。

 あなたが見ている“俯瞰”に、相手側の視界を重ねる感じ。

 あなたがスキルを起動したときだけ、ね』


彼女は器用に指を鳴らしてみせる。


『注意点は三つ。

 ひとつ、相手が許可していないと繋がらない。

 ふたつ、相手側からは“あなたに見られている感覚”が

 うっすら伝わる。

 みっつ、範囲はそう広くない。街ひとつぶんなんて到底無理』


「……それでも十分だ」


視界共有。


派手な攻撃でも、防御でもない。

だが仲間と一緒に戦うには、これ以上ないほど便利なスキルだった。


敵の位置。

仲間の動き。

建物の構造。


一人が見た情報を、

もう一人の頭にもほぼ同時に流し込める。


だからこそレンはずっと、

“誰かと組んで動く戦い方”に慣れきってしまった。


***


デパートの廃フロアでの特訓を思い出す。


売り場だったスペースにダンボールを積み上げ、

簡易迷路みたいにして、

ひよりとふたりで視界共有の練習をした。


『れんさんが起動したら、視界がちょっと二重になる感じ、ですよね』


『ああ。慣れればすぐ戻せる。

 気持ち悪かったら言えよ。やめる』


『大丈夫です。

 どうせならちゃんと“戦力”になりたいんで。

 ……変なとこ見ない限りは』


『何をだよ』


『分かってるくせに♡』


軽口を叩きながらも、ひよりは真面目に繰り返し練習に付き合ってくれた。


そのときレンは思った。


(この娘は“一人で戦う”タイプじゃない。

 誰かの隣にいる方が、絶対に強い)


だから連れてきた。

視界共有の“相棒”として。


***


(……よし)


レンは目を開け、深く息を吐いた。


誰もいない廊下の角で、壁に背を預けるようにして立ち止まる。


剣に触れ、意識だけを内側へ向ける。


スキルの回路をたどる感覚。


遠くにいる相手の名前を、心の中で静かに呼ぶ。


(――ひより)


視界が、わずかに揺れた。


世界の輪郭が、二重にかすれる。


一瞬だけ軽い酔いに似た違和感があって――すぐにおさまる。


何度も特訓で味わった、あの感覚だ。


***


ひよりは、その瞬間を待っていた。


(そろそろ、来る)


そう思った矢先、視界の端がふっと白くにじむ。


(……来た)


驚きはない。

デパートの売り場で、何度も繰り返し経験した感覚だ。


頭の奥がぞわっとするような、

肩越しから覗かれているような気配。


でも、それは不快ではなかった。


(れんさん、見てますよね)


心の中でそっとつぶやく。


返事はこない。

このスキルは会話用じゃない。


それでも、ひよりは少しだけ胸を張った。


“ひとりで”連れてこられたわけじゃない。

一緒にいるわけではないけれど、レンさんがついている


男たちは階段を上り、三階、四階とフロアを抜けていく。


途中の踊り場には、

「居住フロア」「物資倉庫」と書かれた紙が雑に貼られていた。


五階で、一度立ち止まる。


男の一人がカードキーを取り出し、金属製のドアにかざした。


「――ビッ」


鈍い電子音とともに、ロックが外れる。


「ここから先は、勝手に戻るな」


男はそれだけ言って、ひよりを中へ押し入れる。


中の空気は、少し冷たかった。


蛍光灯の光が白すぎて、病院の廊下に似ている。

壁はきれいだが、窓はなく、足音がやけに響く。


(五階、カードキー、病院っぽい廊下……)


ひよりは、心の中でその単語を並べるように意識を集中させた。


情報を整理して頭の中に並べる癖は、

レンとの特訓で身につけさせられた


“ちゃんと見ておけば、あとで役に立つ”


レンがそう言ったから、彼女はそれを信じている。


男たちはそのまま廊下を進み、途中で右へ曲がる。


扉の前で止まり、ノックもせずにドアを開けた。


「新規一名、連れてきました」


中から、低い声が返る。


「入れ」


ひよりの視界が、ゆっくり部屋の中に入っていく。


白い部屋。

中央に簡易ベッド。

壁際には金属の台と、いくつかの機材。


白衣の人物がひとり、こちらに背を向けて何かを書いている。


(……白衣。

 でも、この人が“一番上”って感じじゃないな)


ひよりは、“レンが見ている”ことを意識しながら

白衣の背中を眺めた。


「座って」


白衣が振り返らずに言う。


ひよりは、ベッドの端に腰を下ろした。


その瞬間、視界共有の繋がりが、すこしだけ強くなった気がした。


(れんさん。ちゃんと座りましたからね……)


***


レンは、ひよりの視界から一度、自分の視界へ切り替える。


廊下にはまだ人の気配がない。


(……五階の“管理区画”。カードキーのドア。白衣の検査室。

 ひよりの位置は、もう十分把握できた)


次に必要なのは、そこまでの“安全な経路”だ。


真正面から階段を上るのは、さすがにまずい。

では、別のルートは?


レンは薄暗い廊下の天井を見上げた。


配管。

ケーブル。

点検用のハッチ。


(こんなきれいに管理されたコロニーなら、“裏口”はいくつもあるはずだろ)


こういう時、一人で突っ込むよりも、チームで動く方が得意だ。


仲間が先に見たものを、自分も見る。

自分が描いた道を、仲間にも踏ませる。


レンは、もう一度だけひよりの視界を覗く。


白い部屋。

白衣。

無機質な光。


(少し時間を稼いでおいてくれ。その間に、こっちも準備する)


心の中でそう呟き、レンは静かに歩き出した。


新宿コロニーの“上”にあるものを、

少しずつ、引きずり出すために。

Xにキャラクターのおおまかなイメージなどを投稿しています。良ければみてください!


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