第11話 提案する男
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ようやくデイジーが落ち着いたのは、三杯目の紅茶がすっかり冷めてからの事だった。
「……すみません、ご迷惑をおかけして」
赤くなった目元にハンカチを当てると、デイジーは深く頭を下げた。
「大丈夫だ。それより……信じられないな」
ガーランドは憤りを隠しきれない顔をしていた。
デイジーから何があったのか聞いた彼は、しばらく唖然としていた。いくらなんでも信じられなかったのかもしれない。
だが、それが事実だと分かると、今度は強い怒りをにじませた。
「それが本当なら、とても家には帰せない。君の身が危険だ」
「……今日はどこかに泊まって、近いうちに部屋を見つけようと思います。荷物もあるし、引っ越すにもお金がかかるから……」
マックスから多少は取り立てたものの、残りは後でと言われている。今は金がないという言葉を信じていたが、まさかこんな形で嘘が発覚するとは思わなかった。
自分の見る目のなさに、ほとほと嫌気がさしてくる。
マックスは反省などしていなかった。
それどころか、デイジーを利用するだけして、最後には捨てようと思っていた。
こんな男の言葉を信じていたなんて、悔やんでも悔やみきれない。
唯一の救いは、彼の求めに応じなかった事だ。
マックスの誘いは執拗で、強引に触れてこようとする事も多かった。ほとんどは猫なで声だが、たまに腕をつかんだり、脅しめいた強い言葉を使う事もあった。そんな時、デイジーは足を踏ん張って、絶対折れないと心に誓った。
そうでないと、いつか無理やり押し切られそうで怖かったのだ。
「引っ越すなら、俺が力を貸そう。物件はあるし、希望があれば相談に乗る。ただ……話を聞く限り、今君が独り暮らしをするのは危険な気がする」
ガーランドは難しい顔をしていた。
「そいつが引っ越し先に現れたら、何をするか分からない。逆上して家に押し入ってきたら、君の力じゃ防ぎ切れない」
「それは……」
想像するだけで、ぞっと総毛立った。
「君さえよければ、しばらくは俺のところで暮らさないか?」
「え……」
「うちにはバーンズもいるし、他の使用人もいる。部屋数も多いから、どの部屋を使っても大丈夫だ。ちょうど今は引っ越しの準備をしている最中だから、ひとりくらい紛れても分からない」
どうだろうと聞く彼は、ひどく真面目な顔をしていた。
榛色の綺麗な瞳は、よく見るともう少し色が濃い。つやつやした宝石のような輝きに、知らず目を奪われた。
――なんて、やさしい人なんだろう。
ただの顔見知りに、ここまで親身になってくれるなんて。
おかみさんといい、彼といい、デイジーにここまでよくしてくれる。
知り合った時間はマックスの方がずっと長いが、そんな事は関係ない。人と人との出会いにおいて、時間など意味がないと知った気がした。
「……ありがとうございます、ガーランドさん」
「じゃあ――」
「でも、そこまでご迷惑はかけられません。自分でなんとかします」
これ以上頼ってしまったら、どうしていいか分からない。
ポケットにはガーランドからもらった紙切れが入っている。それがあるだけで、勇気を分けてもらえた気がした。だからマックスとのいざこざが終わっても、手放せずにいた。
きっと連絡などしないはずなのに、どうしても捨てられない。
そんな風に思う自分の感情を、デイジーは測りかねていた。
この人はもうすぐ王都に戻る。そうしたら、デイジーとは二度と会う事もない。
だから、彼には頼れない。
これ以上忘れられなくなるのは困るのだ。
思い出すたびに、泣きたくなってしまいそうで。
「……そんな顔をしないでくれ」
困ったようにガーランドが呟いた。自分がどんな顔をしているか、よく分からなかった。
「さっきも言ったように、俺は君の力になりたい。それは俺のわがままで、俺がしたいことだ。だから、できるなら、君にそのわがままを聞いてほしい」
「……でも……」
「力になりたいんだ。そうしたいと思ってる。頼む、デイジー嬢。この通りだ」
どうか願いを聞いてくれ。
助けると言っているのは彼なのに、頼み事をしているのも彼の方だった。
マックスとはまるで違う。この人を取り巻く空気はとてもやさしい。
それに導かれるまま、デイジーは小さく頷いていた。
「……でも、本当にいいんでしょうか」
「当然だ!」
ぱぁっと笑顔になったガーランドが、満面の笑みでデイジーを見る。
「あとは俺に任せてくれて構わない。引っ越しだが、よければ今すぐ準備するか? 彼は夕方まで仕事だろうし、荷造りの時間は十分にある」
「い、今すぐ?」
「それと、故郷の場所を教えてくれ。君のご両親の名前も一緒に」
ガーランドは水を得た魚のように生き生きしている。目の輝きが増し、てきぱきと大量の指示を出していく。今まで気づかなかったが、奥に別の部屋があり、従業員が控えていたようだった。
あっという間にすべての準備を整えると、彼は本当にその日のうちにデイジーの荷物をすべて運び出してくれた。
あまりの手際の良さに唖然としたが、バーンズはにこにこ顔だった。
「あんなに嬉しそうな坊ちゃんの顔、久々に拝見しました。お嬢さんのおかげですね」
「いえ、そんな……」
「期間限定ということではありますが、こちらの町へ来て本当によかった。坊ちゃんにも、忘れられない日々となったことでしょう」
「…………」
そうだ。
ガーランドはもうすぐいなくなる。それを忘れないようにしないと。
デイジーはそっと胸を押さえた。
かすかに痛むその理由には、気づかないふりをした。
***
デイジーに用意されたのは、二階の客間だった。
先ほどの建物から少し離れた場所にある、瀟洒な屋敷だ。あそこは店舗兼事務所で、自宅はこちらになっているらしい。
仮の住まいという事だが、隅々まで手入れが行き届き、居心地のよい空間だ。引っ越しは二月後の事らしく、まだのんびりした空気があった。
「浴室は各階にあるから、この階のは君が使ってくれ。水道も使えるし、水回りは完備されている」
「ありがとうございます、ガーランドさん」
「俺はひとつ上の階にいる。バーンズも同じ階だから、何かあったら言ってくれ」
「分かりました」
「それと――仕事については、どうしたい?」
そう聞かれ、デイジーは少しためらった。
冷静になってから、デイジーも今後の事について考えていた。
今日の夜、マックスが家に帰ったら、デイジーがいなくなった事を知るだろう。二、三日はごまかせても、それ以上は無理だ。デイジーを捜しに、彼が仕事場にやってくる可能性は高い。そうなったら、おかみさんに迷惑がかかってしまう。
けれど、いきなり辞めるのも、それはそれで迷惑になりそうだ。
どうしようと考え込んでいると、「もしよかったら」とガーランドが提案した。
「落ち着くまで、ここで働いてみないか?」
「ここで?」
「引っ越す準備に忙しくて、生活に手が回らないんだ。手紙の仕分けに、ちょっとした宛名の代筆と、できれば料理も頼めるとありがたい。給金は弾むよ」
「でも、そんな」
この屋敷に置いてもらえるだけでありがたいのに、そこまで甘えるわけにはいかない。それに、おかみさんにも聞いてみなければ。そう言うと、ガーランドは首を振った。
「大丈夫だ。君さえよければ、俺から話を通しておく。君ほど腕はよくないが、飲食店で働いていた知り合いがいる。そいつに頼んで、しばらくは手伝いに行ってもらう」
それなら、おかみさんの店も安心だ。
「でも、いいんでしょうか」
「構わない。言っただろう。君の力になりたいんだ」
微笑むガーランドは本当に嬉しそうだ。
なんていい人なんだろう。赤の他人のために、ここまで色々してくれるなんて。
だがそう言うと、彼はなぜか少し落ち込んだ顔をした。
「……そう、だな……。他人……赤の、他人、か……」
「ガ、ガーランドさん?」
「……気にしないでくれ。思った以上にダメージが大きかった」
今の会話のどこにどうダメージがあったのか分からないが、デイジーが慌てて言い添える。
「ガーランドさんはいい人です。素敵な人です、素晴らしいです、憧れます!」
「…………」
「本当にいい人です。その……ええと、きっと女の子はみんな夢中になると思います!」
「君も?」
「え」
「デイジー嬢も、そう思ってくれるのか?」
見ると、ガーランドはデイジーを見つめていた。
それに答えられず、デイジーが口ごもる。
「……すまない。冗談だ」
ちょっと笑うと、ガーランドは「じゃあ」と告げて行ってしまった。これから友人に連絡を取り、おかみさんにも連絡してくれるらしい。
彼がいなくなった後、デイジーは胸に手を当てた。
トクトクと鳴る心臓の音が、普段よりも少し速い。
その理由については、やっぱり考えないようにした。




