第10話 慰める男
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「デイジー嬢? こんなところでどうしたんだ?」
ふらふらと歩いている最中、デイジーは誰かに呼び止められた。
「ひどい顔色じゃないか。大丈夫か?」
「……ガーランドさん」
仕事帰りらしいガーランドが、革製の鞄を手に立っていた。
「近くに俺の店がある。よかったら休んでいくといい」
「いえ……私、お使いを……ベレの葉を、届けないといけなくて……」
「俺が届けてくる。食堂でいいのか?」
いつもなら遠慮するはずなのに、声が出ない。なんとか頷くと、彼はデイジーをエスコートして、近くにある建物へ連れて行ってくれた。
彼の店は表通りに面した三階建てで、この辺りでは一番大きな建物だった。
「すまないが、彼女に何か温かいものを出してくれ。それと何か、甘いものを」
「いえ、私……」
「遠慮はいらない。荷物はこれか?」
デイジーの持っていた包みを受け取り、「すぐ戻る」と言い置いて出ていく。あっという間に見えなくなった背中を見送っていると、湯気の立つ飲み物が運ばれてきた。
「どうぞ、熱いココアです」
「……ありがとうございます……」
「そのままでもおいしいですが、ミルクをたっぷり入れるのもお勧めですよ」
運んできたのは白髪の紳士だった。細身のスラリとした体つきで、一分の隙もない服装をしている。
それなのに、こちらを見る瞳には茶目っ気のようなものがあふれていて、ほっと息がつける感じがした。
「……じゃあ、二口目はミルクを入れて」
一口飲むと、濃厚な甘さが広がった。
「おいしい……」
「それはよかった。そのまま飲むのもお勧めなのです」
デイジーが目を丸くすると、可愛らしくウインクする。それを見て、ようやく張りつめていた気が抜けた。
「……ごめんなさい、突然お邪魔して。あの、私、もう帰ります。ガーランドさんには後日お礼を……」
「いえいえ、お嬢さん。まだおもてなしは済んでおりません。坊ちゃんが甘いものをとおっしゃったので、ぜひ召し上がっていただかなくては」
真面目くさった顔で言い、その直後、「しまった」と目を丸くする。
「どうしましょう。ココアをお出ししてしまいました。甘い飲み物に甘いものはくどすぎる。困りましたね、坊ちゃんに叱られてしまいます」
「あ、あの、大丈夫です。ココア、とてもおいしかったです。ありがとうございます」
「そういうわけにはまいりません。そうですね……よろしければ、二杯目は紅茶をお出ししても?」
「え、いえ、あの」
「年寄りのわがままだと思ってお付き合いください。とてもおいしいお菓子があるのですよ」
いかがでしょうと微笑まれれば、なんとなく断る機会を逸してしまった。
二口目はミルクをたっぷり入れたココアを楽しみ――本当にとてもおいしかった――口直しにと、鮮やかな色の紅茶が出される。見た目よりもスッキリした味で、ココアの甘みを流してくれた。
一緒に出されたのは、綺麗な焼き目のついたカップケーキだった。
クリームで繊細に飾りつけされ、銀の粒が散らされている。お菓子というより、見て楽しむような可愛らしさだ。中に真っ赤なベリーのジャムが挟んであり、その色合いも美しい。
まじまじと見つめていると、「どうぞ、お味見を」と言われる。デイジーはおそるおそる口に運んだ。
「……! おいしい」
「それはよかった」
こちらもお勧めなのです、といたずらっぽい表情で言われ、デイジーは思わず笑ってしまった。
「本当においしいです。うちの店でも出せればいいのに」
「作り方は簡単ですよ。お教えしましょうか?」
「え?」
実は私の手製です、と告げた紳士は、少しだけ得意そうな顔をしていた。
「申し遅れました。私はバーンズと申します。こちらで秘書の真似事をしております」
「秘書?」
「秘書兼、執事兼、料理長でしょうか。何しろ人使いの荒い方で」
よよよと泣き崩れる真似をしたが、その口ぶりには主に対する愛情があふれている。聞けば、彼は料理が趣味らしく、たまにガーランドの食事まで作っているという話だった。
「とはいえ、ここ一年ほどはすっかりご無沙汰ですが。どうやらお気に入りの店を見つけられたようで、そちらに入りびたりです。おかげで、すっかり腕がなまってしまいました」
「それって……」
言うまでもなく、デイジーが働く店の事だ。
でも、料理を作ってくれる人がいたなんて知らなかった。もしそうなら、あれほど頻繁に食堂へ通う必要はないはずだ。お金も馬鹿にならないし、時間だってかかる。まして、ガーランドは忙しいはずなのに。
「もしやお嬢さんは、そちらのお店の関係者では?」
バーンズに聞かれ、デイジーはぎくしゃくと頷いた。
「……ガーランドさんには、ご贔屓にしていただいています」
「それはそれは。こんな素敵なお嬢さんがいるとは一言もおっしゃらなかったのですよ。坊ちゃんは本当にお人が悪い」
「いえ、そんな――」
デイジーが否定しようとした時、ふたたび正面の扉が開いた。
「ただいま。……何の話をしていた?」
戻ってきたガーランドが、二人を見て首をかしげる。
「いえいえ、少しばかり世間話を」
バーンズは微笑んで答えない。それを見て、ガーランドが渋い顔をした。
「余計なことを言ったんじゃないだろうな。……ああ、失礼、デイジー嬢。おかみさんに話は通しておいた。今日はもう帰っていいそうだ」
「あ、ありがとうございます」
「よければ家まで送っていく。馬車も用意したんだが、立てるか?」
――家。
それを聞き、ひゅっとデイジーの喉が鳴った。
「……デイジー嬢?」
「いえ、あの、私……」
大丈夫だと言おうとしたのに、口がうまく動かない。指先が冷たくなり、体が勝手に震えてくる。
青ざめてうつむいたデイジーに、ガーランドは眉をひそめた。
「……バーンズ。馬車を帰してくれ」
「かしこまりました」
一礼してバーンズが外へ行く。それを見送り、ガーランドはデイジーに向き直った。
「嫌なら答えなくていい。もしかして、帰りたくないのか?」
「あの……あの、私……」
「家に帰りたくないなら、俺がなんとかする。事情は話さなくてもいいから、君の願いを言ってほしい」
家に帰りたいか、帰らずに済んだ方がいいか、何かできる事はあるか。
「……できれば、頼ってほしい。これは完全に俺のわがままだから、無理にじゃない。でも、俺は……君に頼ってほしいんだ」
「ガーランドさん……」
「俺はもうすぐ王都に戻る。だからこそ、そんな顔の君を残してはいけない」
彼の目はいたわりに満ちていた。
思えばいつも、ガーランドはそんな目で自分を見ていた。
見守る、という言葉が近いだろうか。一線を引いた状態ながら、常にこちらを気遣ってくれた。
少しずつ打ち解け、彼と話をするようになって、彼がいい人だと実感した。
だからこそ、分かる。彼は本気で言ってくれている。
(でも……)
うつむいたデイジーに、ガーランドは何も言わなかった。
「……か」
デイジーは懸命に息を吸った。
「帰る、の……怖い、です」
「……そうか」
「帰りたく、ない、です……」
家に戻ったら、今度こそマックスに襲われるかもしれない。
部屋に鍵はついているが、その気になれば簡単に壊せる。あの家はもはや安全ではない。
だからといって、行く場所なんてどこにもない。
じわりと涙がにじみ、デイジーは両手で顔を覆った。
「泣かないでくれ……ああいや、違うな。大丈夫だ、泣いていい」
「……っ、ひっ、く」
「ここは安全だ。大丈夫だから……デイジー嬢。俺がついてる、心配ない」
デイジーには決して触れないまま、低い声が耳に落ちる。穏やかで静かなその声は、竦み上がった心をなだめてくれた。
馬車を帰しに行ったはずのバーンズは、いつまで経っても戻ってこない。
そのまま、デイジーはしばらく泣き続けていた。




