休店論争 1
目の前で心当たりのないクレームをつけられ、上からは何やら騒いでいる。
仕事をしようとしていた店主はそれどころではなくなってしまった。
「どいつもこいつも仕事の邪魔しやがる! 一体全体どうなってやがんだ!」
いつもと違うのはセレナが伝染したかのように、店の中は日常からかけ離れつつある。
もっともオカルト要素は何もなく、店主がいつも以上に荒れているのは、ほぼ徹夜で仕事をした結果の寝不足のせい。
しかし足音を荒く鳴らして歩く店主は誰も見たことはない。
面倒くさいの一言がこの世界での口癖になっている店主は、割り切った考えや冷めた物の見方をするので感情的になることは少なく、そうなったときは『天美法具店』に移動し、ここからいなくなるからだ。
そうして階段を上がる店主の険しい顔は、二階の床の上が見えた瞬間に一気に消えた。
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ウィリックを森に連れて行き、自然に還す儀式を行った後に『法具店アマミ』に帰ってきた一行。
店主からの「お帰り」の言葉を受け、セレナは周りに支えられながら二階に上がっていった。
そして自分のベッドに腰掛けるがそこで一気に気が緩んだのか、隣でリメリアに支えてもらってはいたが、上半身はベッドの上に倒れ込んだ。
「……昨日から食事してないでしょ。落ち込む気持ちは分かるけど、せめて何か口にしなきゃ」
「……何が分かるのよ……」
二階にいる『ホットライン』のメンバーは、気遣いを受け入れるつもりのないセレナの言葉ですべてを察した。
この世界での宗教は、自然の成り行きの事実に基づいて成立している。
命を失う時もその一つ。
肉体を失った魂は自然に還り、その後に新たに誕生する体に、前世の経験や記憶を完全に消去されて宿るというもの。
しかし命を失う時と、儀式により肉体が消滅する時の二回だけ、その自然の摂理から外れることが出来る。
魂は生前一番親しい者のそばに、その者がこの世で命を終わる時まで永遠に寄り添うというもの。
そしてそれが天命の動きの流れであり、この国の宗教であり、この世界での常識。
そしてこの国の名前の由来でもある。
ずっとウィリックに憧れていたセレナは、討伐が成功したらそれを機にこの仕事をウィリックと共にして、一緒に毎日を過ごすつもりだった。
そしてどちらかが先に命尽きた時、命長らえている方に魂となってずっと寄り添う。
セレナはそんな生涯を思い描いていた。
それが叶わなくなった今、せめて彼の魂に寄り添いたかった、寄り添ってもらいたかった。
しかしセレナはその二回のチャンスで、彼の魂を感じ取ることが出来なかった。
そのまま森で行った儀式を終えて帰ってきたということは、もう二度と永遠にウィリック似合うことは出来なくなったということでもある。
「生きていれば必ず死ぬわけだし、死ぬのは一緒ってことも少ないケースだよ。諦めきれないって気持ちは分かるし、簡単に諦められるほど淡白でも冷静でいられるって性格でもないことも知ってる。けどもうこうなってしまったら受け入れるしかないよ」
「……私にだって分かってるわよ、そんなこと……。でも……納得できるわけないじゃない! ……どうして……どうして私だけ……助かったの? どうしてあの人は助からなかったの……」
セレナは枕に顔をうずめながら悲痛の言葉を吐いている。
それ以上誰も慰めの言葉は出てこない。
彼らも大切な人との永遠の別れを何度も体験している。
しかし誰も、慰めの言葉のおかげで立ち直ることが出来た実感は一度もない。
二階の空気は冷たく凍る。
「セレナ……は……」
作業部屋にいたキューリアが、他のメンバーに遅れて二階に上がってきた。
セレナのベッドに近づいた彼女もその空気に飲まれ、セレナの身を案じる言葉を途中で止める。
誰もがしばらく、セレナのすすり泣きをただ聞くだけ。
そのまま時間は静かに過ぎていった。
「……一人だけでも、行ってくる」
そのままぽつりとセレナは呟いた。
突然のことで、誰もがその意味を分かりかねなかった。
ゆっくりと上体を浮き上がらせながら起きるセレナ。
いつもの穏やかな、誰もが和むような表情は消え、誰も見たことのない、背筋に寒気が走るほどの殺気を漂わせている。
斡旋所で『上位二十』のカテゴリーに入るチームの一つ、『ホットライン』ですら一瞬彼女に怯え、たじろいだ。
「……どこに、行くの?」
このフロアの空気、そして彼女の剣幕に何とか抵抗してようやく声を出せたリメリアが尋ねる。
しかし誰もが同じ答えを予想している。できればそうであってほしくない。そんな答えは聞きたくはない。
だからこそ、それを確認し、安心したい。
だが残念ながら、彼らの予想は当たっていた。
「あの巨塊を、一人きりでも斃してくる」
予想は当たってはいたものの、それでも耳を疑う彼ら。
三度にもわたって国の軍事力を崩した存在。
多くの兵や冒険者達、そして一般住民の命を飲み込んだ魔物。
そんな魔物にたった一人で何かが出来るわけがない。
無駄死にもいいとこである。
その出陣、戦死のどこにも意味も意義もない。
「い、行かせられるわけないでしょう! どうやって退治するつもりなんです?! 私も噂や話を聞きましたが、巨塊本体を見ることすら出来なかったって聞きますよ?!」
「ライヤーの言う通りよ! 悲しいでしょうし悔しいでしょうし恨んでたりもするでしょうけど、落ち着くことも必要よ?!」
セレナは『ホットライン』から押しとどめられるが、彼女の目線は彼らには全く向けられていなかった。
階段に向かおうとするセレナを、後ろから羽交い絞めにして抑えようとするエンビー。
しかし片腕一つで大男の彼の拘束を振り払い吹き飛ばした。
調度品などは何もなく、壁に仕切られてない場所にあるのはキッチンのそばのテーブルと椅子くらいなもの。
それが幸いして、二階の家具のどれにもぶつかることはなく床に傷をつけることもなかったが、エンビーは床に尻もちをついたまま呆然としている。
セレナ一人と六人で模擬戦も何度かしたことはあるが、こんなに簡単にあしらわれることはなかった。
六人同時に相手にしてもなお、手加減をされていたのかもしれない。
あるいはいつもと違って感情をむき出しにしたことによって普段は出すことのない底力が表に出たのか。
セレナの腕を抑え、足に絡み、体にしがみつく四人。
何とか抑えて落ち着かせようとするが、セレナはまるっきり相手にしない。
ようやく我に返ったエンビーも加勢するが状況はあまり変わらない。
さっきのエンビーのように、片腕ずつ、片足ずつ振り回して付きまとう彼らを吹き飛ばす。
『ホットライン』のメンバーは、何の策も手立てもなしに巨塊がいる現場に行こうとするセレナに、のされても吹き飛ばされても執拗に止めに入る。
セレナの顔は誰にも見せたことのない、憎悪にかられた怒りの表情を露わにしていった。
互いに衣服、装備に乱れや傷が目立ち始める。
しかしセレナの体自体には傷一つつかない。逆に『ホットライン』の面々は、血がにじむ箇所が増えていく。
「い……いい加減に……」
震えながらキューリアがセレナの正面に立つ。
「しなさいよっ!」
叫ぶと同時に目一杯力を込めてセレナの横っ面に平手打ち。
バチィッ! と湿った音が二階に響く。
キューリアの手形のもみじがセレナの頬に浮かぶ。
が、間髪入れず何も言わずにセレナが平手を打ち返す。
店主が階段から見た光景がそれ。
店主の怒りが一気に消えるのも無理はない。
キューリアは、店主の目の前まで飛ばされた。
階段の手すりにぶつかるも、キューリアは階段の方には気にもせず、またゆっくりと立ち上がりセレナを睨む。
何かに憑りつかれたように怒りの感情に身を任せているセレナに向けてキューリアが吠える。
「セレナ……あなたさ……。テンシュに……テンシュさんのことはどうすんのさ!」
セレナは一瞬だけ体を震わせた。
店主は階下の位置の階段の上で、意表を突かれたようにぽかんとする。
そんなキューリアは店主がそこにいることに気が付かないまま、セレナに叫び続けた。




