初めての常連客と初めてのトラブル 4 店主が守るべき物 セレナが守るべき者
翌朝。
セレナは普段通りにいつもと同じ時間に目覚め、ベッドから立ち上がってそのまま下に下りる。
「テンシュ、おはよっ。風邪ひいてない?」
セレナからの呼びかけに店主は反応して上半身を起こす。
「う゛あ゛ぁ……。あ゛―……あん? 何だこの女……」
「寝ぼけてるなぁ、店主。昨日注文受けた仕事最後までやり遂げて、お風呂にもいかないですぐ寝ちゃったでしょ」
起こしに来てくれたセレナの顔を見ても店主はすぐに思い出せない。
しばらくぼんやりして周囲を見渡す。
店の中というのは分かる。『天美法具店』に似てはいるが絶対に違うことが分かり軽く混乱するが、作業机の上を見てようやく寝る前まで何をしていたかを思い出した。
「あ……、あぁ……。そうだったな……。あれもこれも中途半端でうちに戻るってのも落ち着かなかったからな……。モテるのはうれしいが、宝石に囲まれる方がいいな……」
店主はとぼけたようなことを言うが、セレナに冷たい視線を浴びせている。
「何訳分かんない事言ってるのよ。モテるっって……あ」
セレナが寝るときにはいつもネグリジェを着ている。
目覚めははっきりしたものの、体のラインが一目で分かるその姿のままだったことをすっかり忘れていた。これでは寝ぼける度合いがどっちがひどいのか分からない。
慌てて二階に戻り、普段着に着替える。
「あー、もう! ほんっと恥ずかしい! で、テンシュー? 目ぇ覚めましたー?」
「……あぁ……。目が覚めたけど、お前のあの格好さぁ……」
「そこはノータッチでお願いします」
「すごくどうでもいい」
セレナの希望通りのノータッチの言葉だが、意外とセレナの心に堪える。
セレナにややふくれっ面の表情をさせた店主はそんな彼女の思いを気にも留めずに背伸びをした。
「にしても、まさか一日で出来るたぁ思わなかったな。まぁ誰からも咎められずに、自分が好き勝手に思う存分仕事ができるっていううれしさが原因だな。気持ちよく仕事に集中できた。あぁ、そうそう、お前の術のおかげでもある。金属の輪っかが一瞬で鎖にできるんだもんなぁ」
セレナの物作りとしての腕前は今一つという評価を出していた店主は、昨夜の彼女の仕事ぶりを見て再評価した。
それを証明する品物が、誰の目から見ても新品の装いでカウンターの上にいくつか置かれ、残りは手前に立てかけられている。
血と汗と涙の結晶、というにはかなり、相当、とてつもなく大げさな表現だが、互いの能力を尊重し合い、同じような労苦を重ねて出来た品物だ。
おそらく店主宛ての報酬は持ってくるだろう。しかし店への収入にはなりはすまい。
もっともそれは覚悟の上。こちらにとって間が悪かったというべきか、向こうにとっては都合よく飛び込めたというべきか。
新装開店後だったら、一時行方不明だったセレナのことを心配していた者達が押し寄せてきただろう。
そうなると貧相な姿をしている者達を相手にしている場合ではないと断っていただろうし、よしんば受け付けてもらえたとしても注文の品が完成するまでどれくらい待たなければならないか見当もつかなかっただろう。
しかしかくして、現実として装備品は手渡せる物として仕上げることが出来た。
「あとはあいつらが来るだけか。セレナに任せてもいいんだろうが、作った責任者がいないとしまらねぇかな」
『天美法具店』に戻るか彼らが来るまで待つかどうするか迷ってる間に、セレナは朝ご飯をどうするか聞いて来た。
その直後、店のドアを叩く音が聞こえてきた。
「やれやれ、せっかちな連中だ。朝一番にも程があるだろうよ」
「待ち切れないお客さんはこういうものです。はい、今開けます」
おどけた口調で店主の相手をしながらセレナは入り口を開錠する。
ところが入って来たのは昨日の五人ではなかった。
細めのビーグル犬のような顔に頭の左右から角のような物が生えている男と、絵本の挿絵でよく見かける蝶の羽が背中についた妖精のような姿がそのまま大きくなった女の二人。
「セレナ! 無事だったか! 行方不明って聞いていても立ってもいられなくてよ!」
「良かったー。もう会えないかと思ってた。ホント良かった……」
「あ、エッズとパイミン。うん、心配かけてごめんなさいね」
彼らもセレナと旧知の知り合いのようで、再会を喜んでいる。
身の置き所のない店主は入口の傍のショーケースに移動する。ドア越しに外を見るくらいしかすることがない。
「……で、店がいつもと違うようだがどうしたんだ?」
「まさか店仕舞い?」
「え? 違う違う。リニューアルするの。これからはもっと品質良くなるよ」
「あれがそうなのか? なんだありゃ? ……なんかレベル低い物ばかりだな。」
目がいいのか、カウンターの上に置かれた杖と武器を見て、エッズと呼ばれた犬の亜人が近づいていく。
「お前から見たらそうかもな。だがその道具じゃなきゃ扱えねえし逆にレベルが高すぎると道具に振り回される、そんな奴もいる。何よりお前が触らなきゃならねぇもんじゃねぇし触る必要もなかろ?」
店主は犬の亜人よりも先にカウンターに近づいた。
「こいつは店の品物だ。そして今は開店時間じゃねぇ。あんたらは何しにここに来たんだ?」
「お前こそ何者だ? ……魔法も使えねぇ人種かよ。口の利き方に気を付けな。」
亜人の口は一旦閉じられ、そこから牙をむき出しにする。手のひらは力の入った拳に変わり、かすか震えを見せている。
感動の再会の場が、いきなり殺伐な雰囲気に変わる。
「ちょっとエッズ! せっかくセレナに会えたってのに喧嘩腰になる必要もないでしょ?」
妖精風の女がなだめるが、男の憤りは止まらない。
「お前にも分かんだろ? 人種だぜ? 何の力もない奴のくせに、この店はどんな店か知らねぇんだぞ? いいか? 俺達やここの常連客はな」
男の話を途中で返す店主は、威嚇する男を涼しげな顔で受け流す。
「知らねぇ。俺が知る必要はねぇ。今までのここのことなんざ、俺にとっちゃすごくどうでもいい話だ。一つ言えるのは、誰かのために俺が作った物を粗末に扱うなってことだ」
「待って、エッズ。私が無事に帰って来れたのはこの人のおかげなの。この人には……」
セレナが後ろからエッズを呼び止めた。
しかし急に怒り出したその感情を全く止める気はないその男は、視線を店主から外さない。
「あぁ、そうだろうなセレナ。だが俺にとっちゃ、非力なくせに歯向かってくるのがうぜぇんだよ! お前が作ったぁ? お前が何者か、それこそ俺にとっちゃどうでもいいって話だよ!」
セレナも男に店主の事を説明するが、エッズと呼ばれた男は聞く耳を持たない。
荒れる店内の中で、急に店主が閃いた。
「じゃあお前がこいつを手伝ったらどうだ? そしたら俺も必要なくなる。非力な奴が退場して、力ある奴が入って来るんだ。いいことじゃないか。なぁセ」
「バカなこと言わないで! テンシュさんしかあの力持ってないのよ?! 誰も代役が出来る人はいないの!」
来訪者二人は目を見開き、彼女の言葉で驚く顔をセレナに向けた。
セレナがエッズとパイリンと呼んだ二人の来訪者はセレナとは昔からの知り合いで、彼女の店に世話になったこともある。
その二人は様相が変わる店に関心を持つが、店主の作った道具をけなすエッズ。
この店の過去の事に無関心の店主はその客に向かって、文句があるなら自分の代わりに店の手伝いを焚き付ける。しかしセレナがその客よりも非力な、魔法も使えない人族の方が大事と宣言したのだ。
「おい、セレナ。こいつよりも俺の方が劣るって言いたいのか? いくらなんでもそりゃ有り得なさすぎる」
「ちょっと、落ち着きなさいよ。まだセレナから何も説明聞いてないじゃない。ところでこの人は……」
店主は女の言葉を遮り、セレナを睨み付ける。
「なぁセレナ。余計な問題持ち込むなって言ったよな? それと好きにさせてもらうとも言った。店の手伝いをしてくれたあいつらへの報酬としてこの道具をあいつらに渡す約束をした。貶すなり褒めるなり、そりゃ何言っても構わんさ。けど無関係な奴がその物に近づいて何しようとするかくらい分かるんだよ。俺の力を使えばな」
店主の口調は静かだが、激しい怒りが顔中に現われている。
店主にはどんな力を持っているか診断できるばかりではなく、その力の流れも読み取ることもできる。 しかしそんな能力を持っていないセレナにも、その物品を小馬鹿にするような顔をしたエッズが、何をしようとしていたか何となく分かった。
「セレナ、お前と再会できるっつって喜んでここに駆け込む奴らも多いだろうよ。水を差す気はねぇし、会話に入れねぇっつって拗ねるガキでもねぇ。この世界じゃ俺はセレナしか知らねぇし、この世界での過去の出来事も知らねぇしある意味無関係だしな。知ろうとは思わねぇ。けど、そいつとこの道具が出来上がった事情だって無関係だろ。常連だか何だか知らねぇが、常連だって弁えるべきことだってあるだろうが!」
注文の品を誰の手にも触れられないところに保管しなかった店の手落ちだろう。
だからといって、赤の他人がそれに触れなければならないという義務はないし理由もない。
セレナは店主の怒鳴り声が止まった後彼に正面を向き、歓迎されざる来訪者二人の前に立ちはだかる。
「んだよ、セレナ。俺に何か文句があるってのか? だったら俺の仕事はあの五人の」
「私はっ! テンシュの味方です! あなたの力は、あなたの価値は、私が身をもって知ってます!」
旧知の間柄の二人の味方をする者とばかり思っていた店主は、セレナの言葉に思考が止まり、言葉を忘れた。
セレナは店主をカウンターに押しやってから後ろの二人に視線を移す。
「エッズ。確かに私の身を案じてくれたのはうれしい。けどテンシュさんの言う通り、それはあなたの知らない人達にとって必要な道具なの。その道具を作ったのは私達だし、それを欲しいと言った人のために改良された物なの。エッズのために作った物だったら作り直すべきでしょうけど、そうじゃないでしょう?」
「セレナ……お前何言ってんのか分かってんのか? 俺をバカにしたも同然だぜ?」
「エッズ……いつも言ってるでしょ? なんでそんなに喧嘩っ早いの! 大体……」
パイミンと呼ばれた女が男をなだめるが、男の方は耳を貸さない。
エッズは固く握った拳の肘を曲げる。それは何の体勢か、誰もが察知した。
条件と引き換えに話を聞いてもらうという口約束だけで大喜びしていた彼ら。
自分たちから進んで希望に満ちた目で仕事を手伝い、話を聞かせた彼らはそれぞれが選び、それぞれが考えた理想の欲しい物を語った。
その期待に間違いなく応えられる、店主とセレナが時間との勝負で作り上げた道具。
来訪者の男の片足が動くその目的は、道具を踏み躙り壊そうとする行為であることを店主は見破る。
それをしたら自分の体はどうなるか。そんな思考までもが停止した。
職人としての本能は、その持ち主の体を動かそうとした。
しかしそれよりも早くその男の鼻先を、地面から天井に向けて白い光が駆けぬけた。
エッズは一瞬何が起きたのか理解できなかった。
そしてその男の動きが一瞬止まるが、彼にも、そして店主にも何が起きたのか理解できなかった。
当の本人よりも、彼の後ろで始終見ていたパイミンは一瞬で顔を青くする。
セレナはというと、天井に向かって拳を突き上げていた。
白い光の正体は、セレナの握り拳から発生していたもの。
「あの人とあの人、どちらかを選べって言われたら、どっちにしようか迷うことはある。でもテンシュとあなた達だったら、私は間違いなくテンシュを選ぶ。あなたを馬鹿にしてる訳じゃない。テンシュは恩人で、この店のパートナーで、この人の安全を保障してるの」
店主はその光を見ただけで、それが何を意味しているのかを理解した。
その光がもしエッズの顔に当たっていたら、真っ二つに出来るほどの鋭利な刃物と同じ効果を持っていた。




