閑話3
まるで生き物のようだった。
大きさを変えながら、ゆらゆらと、地面を舐め続ける。
その生き物の名前は炎。
足がすくみ、思考停止に陥っていた私は、どんな顔をしていたのだろう?
駆けつけた同僚たちは私に何を言い、何を思い、何をしていたのだろう?
その生き物が活動を止めた時、タイミングを計ったように太陽が顔を出し始めていたのは、その姿を私に見せる為だったのでは無いか?
あの光景を、私は一生忘れないだろう。
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『やらかした』だの、『ヤバイ、怒られる』だの。
消火が終わって、私がふと思い浮かべた言葉は、今思い返してみれば、まるでジョークだ。それもセンスのかけらも感じられないジョーク。
それでもその時は、その程度にしか考えていなかった。
当然、その程度では済まない。
私が焼いてしまったのは、試験場だったと聞いたのは翌日になってから。
警備にとって、どこの畑が何を作っているか? そんな事は関係ない。
そう思っていた、自分のバカさ加減が嫌になる。
3ヵ月か、長ければ半年ぐらい、給料から少し返済金を支払う事になりそうだ、そう覚悟をしていた。
だが、そんな予想は全くもって話にならないし、覚悟でもなんでもなかった。
答えは私の10年分の給料よりも多い賠償額。
現実味の無い金額に、笑いも出ない。
不幸中の幸いは、私が働いていたのが規模の大きな農園だった事。
おかげで、一括返済は求められない。
けれども、
『私は一所懸命に働いていた』
『仕事をしていた。結果少し失敗しただけだ』
『私になぜそんな返済をさせるのか!?』
そんな不満をもった。
失火罪で捕まっていないのは、被害届を出さない農園のお陰なのに。
その優しさに感謝すべき時に、流石に口には出さなかったといえ、その恥じ知らずな思考は、思い返せば悶絶ものだ。
だけれど、その時は不満しか出てこなかったのだ。
誰だって10年間も、タダ働きなんて出来るわけが無い! と。
10年経てば私は25歳だ。
親に甘え、タダ飯ぐらいの居候に甘んじて、ようやく返済が終わる時には結婚適齢期はとうの昔に過ぎている。
それなりの容姿はしていると自負しているが、そんな年で残っている物件なんて、禄でもないだろう。
当然相手もそう思う。
結果、軽んじられるわけだ。
お互いに伴侶を軽んじる。
そんな人生は耐えられない。
……でも、絶対にそうなるとは言えないし。
もしかしたら、明日か、明後日か、1年後か、どこかのお金持ちに見初められて。
そう夢想する事で心のバランスを取っていたと今ならわかる。
時間がたって落ち着くまで、醜態をさらさずに済んだのだから、その妄想が無駄だったわけじゃないだろう。
と言っても、当たり前だがすぐに気づく。ありえない、と。
10年間実家で居候をしている人間に、そんな事が起きたら奇跡だ。
それなら、返済に業を煮やした農園が、どこかの金持ちに売り飛ばす方がまだ現実的。
奴隷や、人身売買なんて、この国では建国時から無いけれど、それぐらいの事は良くあるし。
結局、私には選択肢が3つしかない。
本当はもっとあるのかもしれないけれど、3つしか思いつかなかったのだから、3つしかない。
奇跡を祈って後悔するか。
もっと稼げる仕事を探すか。
体を売るアルバイトをするか。
奇跡は祈りたくない、
でも、体も売りたくない。
友達でそういった仕事をしている子は少なからずいたから、その仕事を否定するつもりはないし、その子達を否定したくもない。
誰にだって事情はある。
不可抗力の事もあれば、私のように自業自得な事も。
だけど、私に他の方法がある以上、生娘のままその仕事を選ぶ事は、どうしてもしたくない。
結局は消去方で、もっと稼げる仕事――つまり冒険者をする事にした。
もちろん、冒険者だって貞操の危機がたくさんあるのは知っている。
古来、女兵士の主目的はアレ。
けれども、実力があればそういった事態にはならないはず。
……最悪な事態になっても、不特定多数の相手をするよりはマシだろう。
大丈夫、私は魔法適正もかなり高いから、それなりに戦えるはずだ。
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そういった経緯で冒険者登録をしたは良いが、結局はすぐに行き詰った。
今ならなんとなく理由もわかる。
力も、覚悟も、情熱すら無いのだからうまく行く訳がない。
具体的に困ったのはパーティーだ。
一人で出来る仕事なんて、結局収入は前と余り変わらない。
私と組もうなんて人は、新人か、アレ目当ての新人に毛が生えた程度の冒険者がせいぜい。
新人じゃ収入は増えないし、毛が生えた程度じゃプライドを捨てる対価に見合わない。
せめて私に全属性の適性があれば、中堅パーティーくらいなら誘ってもらえるのに……。
100人に1人と言われている才能を、本気で切望したのはこの時が初めてだった。
不貞腐れたくなりながら、なんとか糊口をしのいでいた、そんなある日。
ある噂を聞いた。
全属性適正を持っていた同級生のクリスが、冒険者を志望しているという噂。
中学の騎士科で模擬戦無敗。
既に正騎士並の力を持ち、回復魔法まで使えるという大物新人。
更には美人の女性ときたもんだ。
当然だが、どこのパーティーもスカウトしたがっていた。
だからこそ、場末の冒険者の私もその噂を聞けた。
これだ! そう思った。
自分の能力が彼女のメンバーとしてふさわしいと思えるほど、自分の事を過大評価はしていないけれど、それ以上になりふりを構っていられる程、私に余裕は無い。
久々に出会ったクリスを、一目見た印象は美人。
前日に聞いた噂によれば、百合趣味の癖に、だ。
名家に生まれ、容姿に優れ、才能に恵まれ、苦労知らず。
そのくせ、向上心があり、能力も高い。
なんだろう、この完璧超人は?
ただ……お人好しなのよねぇ。
彼女とカフェで話しながらそんな事を考えていた。
ふつう、これだけ恵まれている人間を見れば、私は嫉妬する。悪感情を抱く。
でも優しいを通り越して、お人好しというか、悪く言えば甘ちゃんというか、そういう欠点も少しはあるから憎めない。
はっきり言って、お人好しなところにつけこもうとしていた私としては、願ったり叶ったりなんだけど、こうまであっさりと願い通りになると、訳も無く不安になる。
まあ何だかんだ言っても、彼女とパーティーを組めて助かったと思ったのも事実だ。
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一緒に行動をするようになって、彼女の事が色々と見えてきた。
優柔不断な一面がある。デリカシーのない一面がある。迂闊な一面がある。
……どこが完璧超人なんだか。
同年代の女の子達に比べて、未熟にしか思えない普通の男の子達と何も変わらない。
でも、克己心があるのに、独りよがりじゃない。
優しいくせに、戦う時は別人のように強く、的確で、迷いが無い。
そして、彼女は大きな悩みを抱えている。
きっと誰にも理解出来ない内容だろう。
苦しく、つらく、悲しい、悩みだろう。
それでも彼女が、あんなにも影が無く良い子なのは、理解者でありたいと、彼女と親しい皆が思っているからだろう。
もちろん、私だって思っている。
強くてカッコいい、弱くて可愛い。
相反するものを併せ持ち、悩みを抱える。
私と同じ、ただの人。
どこにでもいる男の子。
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彼と組んで半年近くなる。
私たちは数日後にこの街を出て、公都へ行く。
賠償金はすでに半分くらい返済出来た。
農園の経営陣からも、許可は貰っている。
彼はすっかり『百合姫』の二つ名で呼ばれ、Aランクに昇格した。
おまけで私個人もBランクになった。
滅多に行かないけど、酒場などで飲む時、口の悪い連中には『ファームクラッシャー』の二つ名で呼ばれている。いや、ただの悪口だろうけど。
だけど、その呼び名、その気さくな態度は、私が冒険者として、ある程度認められた証だろうとも同時に思う。
彼とパーティーを解消して、この街に残っても、2年も頑張れば借金も返せるのだろうとも。
それでも、私は彼についていく。
別に、恋とかじゃない。
そりゃあ、彼が体も男の子だったのならば、全力で恋をしただろう。
高収入、優しく、まじめで、実家は名家のお金持ち。
お兄さんを見るに、絶対に顔もイケメン。
もちろん男の子だったら、一緒に冒険者なんかせずに、私とは縁のない世界で生きている事はわかってる。
だから、彼が女の子で良かった。
話がずれた。
なぜ彼についていくか?
私の予想じゃ、きっと彼はこの街を出た後はたくさんの嫌な目に遭う。
彼の実家や親族の威光なんて、この街を出れば、ほとんど無いのだ。
偏見を持たれ、差別される。
それを口に出さない理由が、この街以外は無い。
もちろん彼は乗り越える。その力と、その覚悟と、その情熱で。
でも乗り越えられる事と、傷つく事は別の話だ。
彼が偏見に晒されるのならば、私は一緒に憤りたい。
彼が差別を受けるのならば、私は一緒に抗いたい。
彼が傷ついたのならば、私は彼を守りたい。
だって彼は、相棒で、恩人で、大切な友人なのだから。
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今日は珍しく、彼と一緒の酒場に来ている。
街を離れるにあたって、最後の決起会という奴だ。
『本当について来てくれるのか?』なんて、もう一度確認されたけど、『ついて行きたい』と私の気持ちを伝えると、彼は心なしか嬉しそうだった。
彼は街を出るにあたって、馬を購入した。
私も、全身脱毛をした。
私は月からの使者との付き合いは、結構長いし安定もしている。
それでも残念ながら成人していない以上、簡易的なものだけれど。
彼は体質的に、髪の毛以外余り毛が生えないらしい。
そんな所まで、美人補正をしなくても良いでしょうに。
――二人とも相当酔っぱらってしまった。
酒場では酔いたくなかったので、彼の家で二次会をしていたら、タガが外れて相当飲んでしまったらしい。
だから、彼に話してしまったのだろう。
あの夜の忘れたい記憶を。
あの朝の忌まわしい光景を。
途中から、わめいていたか、泣いていたか、定かではないのだけれど、そんな私の懺悔を、彼は黙って……いや違う、要所に相づちを入れて聞いてくれた。
「仕方ないと思うけどな」
わめいていたか、泣いていたか、
ともかく、タチの悪かったであろう私に、そう彼は言ったのだ。
「野次馬ってな、普通は一定の人数から余り増えないものだ」
「どういう意味よぉー?」
「そのままの意味。でも際限なく増える例外がある」
「何よしょれ」
いけない。呂律が回っていない気がする。
「火事の場合が例外。普通の野次馬は立ち去る人と、新たに来る人である程度の人数から増えない。だけれど、火事は例外」
「にゃんでよ?」
あぁ。完全にダメだ。
「人間は、原初の本能で火を恐れるんだよ。だから火災現場で火を見ると立ち止まってしまう。結果再現なく野次馬が増える」
「う…ん」
「だから火災を見て、足が竦むのは、まあ仕方ない事なんだよ」
つまり?
「ちゅまり?」
「余り自分を責めるな。あれ生き物みたいだから見てしまうだろう? 教訓は生かすべきだと思うが、仕方のない事だから」
あぁ、やっぱりあれを見てしまう事は、生き物みたいという感想は、当たり前の事なのね。
……でも、
「にゃんでそんな事知ってるにょ?」
「……騎士科で習うんだよ。防災についてな」
「しょっか……」
ちょっと気持ちが楽になった。
自分が後悔している事を、自己嫌悪に陥いったあのトラウマを。
彼が理解し、仕方ないと肯定してくれたから……。
「クリシュは優しいねぇー」
「……はん。そんな事ないさ」
――駄目だ。泣きそう。
ていうか、眠すぎる……。
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「全く。二人そろって気持ちよく酔いやがって」
気持ちよさそうに寝始めたフィオを、ベッドに転がして布団をかけてやる。
「しかし、泥酔すると、高確率で同じ話をして、最後には泣きやがる……」
よっぽどトラウマなのだろうが、絡まれるこちらの身にもなって欲しい。
本当にガキは面倒だ。
――けれども、こいつらが『諦め』を覚え、『折り合い』をつけた人生なんて、今はまだ見たくない。
そう思ってしまう、俺も大概ガキだろうけど。
……話しに付き合い過ぎたせいか、思考がフィオみたいになっている気がする。
頭がクラクラしてきた。ともかく俺も限界だ。
寝ちまおう。って、クソ。
今日はソファーで寝るしかないか。
いつも拙作にお付き合い頂き、ありがとうございます。
以上で2章終了です。
3章は9月19日開始予定です。




