14.
「――レイズ、40」
珍しくアンダー・ザ・ガンのトシキがチップを場に叩きつけ、レイズで攻めを選択してから状況に変化が生じた。
恐らくはトシキに勝負手が入ったのだろう、ならばここはブラインドでも何でもない自分は損失ゼロで降りられるのだから降りるべきだろうとアルレッキーノは考え、無言のまま降りる準備をし――。
「お受けしんす」
受ける必要もないのにコールを宣言したマハディを前に、一瞬だけ固まった。
トシキが攻めに回ったのだから、今回は十中八九トシキの勝ちの場だ。それに万が一マハディが勝ったとして、彼らに得はない。
そのことから考えて、このマハディのコールの意図は、分かりきっていた。トシキにわざと負けてチップを流すつもりなのだ。
(……ほう、そう来たか)
トシキの勝ちは殆ど決定事項だろう。ここでアルレッキーノが参加したところで特に旨みもない。合理的な判断に基づきそのまま「フォールド」とカードを場に伏せて、順番をベリェッサに譲った。
どうせコールだろう、と流し見る。
しかし、ベリェッサはすぐに動こうとはせず、しばらく目を瞑って決意を固めるかのように沈黙を保っていた。
「……。ねえ、トシキ。そういえば君には借りがあったね」
「? どうなさいました、ベリェッサ令嬢」
突如切り出すベリェッサの表情には、何故か覚悟のようなものが浮かんでいる。
それだけで、アルレッキーノは分かってしまった。おいおい、本当か、と思わず呆れ笑いしてしまいそうな気分だ。
ベリェッサは微妙な面持ちで、「ごめんね」と呟いていた。
「君は、アントニにもう一度命を吹き込んでくれたでしょ? 一度は全てを諦めていた彼に、もう一度、全然異なる新しい美しさを教えてくれたんだ」
「いえいえ、そのような大それたことなど。彼が自らその命を取り戻したのです」
「そうかな、どうだろう。形が描けなくなった彼に、精緻の美とお別れするための手伝いをしてくれたのは他ならない君だよ。君がいなかったら彼は呪われたままだった」
「いいえ、まさか。本当の意味でアントニの心の整理を手伝ったのは、一緒に天使の絵を描く事で彼の願いを本当の意味で叶えようとした、貴方だったはずで――」
「でも、それはさようならをそっと手伝っただけなのさ。本当の意味で命を吹き込んだのは、君なんだ」
迷いを告白するような、あるいは胸の奥底にある想いを打ち明けるような、そんな様子でベリェッサは深く息を吐いていた。
泣いているのか、とアルレッキーノは思った。感極まって泣くとは、男のように振舞っているのにいかにも女ではないか。彼女のいかにも少女らしい面に、きっと自分以上にトシキも面食らっているだろう、とアルレッキーノは考える。
「君はいつもそうなんだ。人に夢を見せるのが上手なんだ。何でそんなに上手なのか分からないぐらいだよ。……ボクはそんな君が好きだ」
「ベリェッサ令嬢……」
「何でだろうね。君の言葉を聞いていると、その夢が叶いそうな気がするんだ」
「……。どうか落ち着いてください」
「えへへ、変だよね。ボク、別に君から直接夢を教えてもらったわけじゃないのにさ。……アントニの言葉の端々に、夢をアントニに語った君がいるんだ」
一方、ここに来て初めて動揺らしい動揺を見せるトシキに、アルレッキーノは少し新鮮さを覚えていた。もしも他人の視点から話の内容を推察していいのであれば、きっとトシキとベリェッサは思い違いをしている。
トシキの最初の否定は、トシキがしたかった本当のことはベリェッサがしたのだ、という意味だ。トシキの方が本物に目を覚まさせられた、という、一種の憧れのようなものがトシキの方にこそあった。
きっとベリェッサはそれでも、アントニに吹き込まれた命と、その命の熱にあてられてしまったらしい。アントニに共感するあまり、その命の熱を語ったトシキの言葉の欠片にほだされてしまったようだ。
実に滑稽だ、とアルレッキーノは思った。
「ねえ知ってる? ボクって変人扱いされててさ、ボクと一緒に美術作品をみて楽しそうにしてくれる人っていなかったんだ。君以外はね。ボクよりも美術作品の知識に詳しい人なんて、初めて見た」
「……そうですか」
「そして、ボクより業が深そうな人も初めて見た。知ってたよ。君もアントニの絵に憧れたんでしょ? アントニの絵がもっと綺麗なものを描いていくなら、美しいものを叶えていくなら、その姿をもっと見ていたいって、そんな憧れ。……その憧れを、君はアントニに吹き込んだんだ」
「……」
「ねえ。ボクにも夢を見せてよ。キャリアプランだっけ? 君はキャリアプランナーなんでしょ」
チップを全て前に差し出し、彼女はトシキへとこう告げた。
「――ボクは、君に賭ける。オールインだ」
「では、ワシも任せようかのう」
「アリオシュ翁……」
「ワシはカイエンを知っておる」
指をチップにかけながら、アリオシュ翁もまた物静かに、たっぷりの時間をかけて口を開いた。
「あやつは実に気持ちの良い男じゃが、あやつの胸の内の暗い部分はとても深い。五年という無念の年月がそうさせたのじゃろうな」
「……確かにカイエンはそういう男です」
「じゃが、あやつは今前向きに生きておる。生まれ変わったように実に生き生きしておる。……ワシがお前さんを信用するのには、それだけで十分な理由になるのじゃ」
「しかしアリオシュ翁」
「よいよい。お主ならワシより巧く立ち回れるじゃろう。無駄にチップを減らすのはよくないからのう。ワシもおぬしに賭けようぞ」
チップを前に差し出して「オールインじゃ」とアリオシュ翁は茶目っ気たっぷりに言った。
「良かったじゃあないか。泣かせる展開だ。コールしろ、トシキ・ミツジ」
「……アルレッキーノ」
薄く笑ったアルレッキーノは、揶揄するように話しかけた。
「窮地に陥った主人公は、仲間の力を借りて再び立ち上がる。仲間の力と熱い想いを受け取った主人公は、倒さねばならない強敵相手に、負けられない戦いを挑む。そして苦戦の末、遂には勝つ――」
首を振って、一言放つ。
「舐めてやがる」
ワイングラスを手に持ち、香りを楽しむように一口飲んでから、アルレッキーノは少し姿勢を楽にしてくつろいだ。半笑いの表情のまま彼は言葉を続けた。
「負けられない理由が、その強敵にもあるとは誰も考えないのか?」
「……お喋りは後で聞く」
「今この場で即興で負けられない理由を作り上げる。第三者の感情移入を誘い、勝たねばならない雰囲気を作り上げる。……俺は、こういう展開をあまり好みはしない」
何故か、とアルレッキーノは指を立てながら答えた。
「そうなる前から、負けられない本物の理由があったのではないか? 仲間の想いとやらを受け取る前から、もっと真摯に、切に願うものがあったのではないか? 仲間の想いとやらの曖昧なものを受け取って、急に強くなるというのはつまり、今までの想いは本物ではなかったのではないか?」
「……黙るんだ、アルレッキーノ」
トシキの制止をもアルレッキーノは無視をした。
「最初から本物を願っていた強敵が負けるというのも実に気に食わない。――さあ受けろ、俺が手ずから貴様を潰してやる」
「……」
「受けろ。それがお前の最善だ。――受けないのは、この人の運命を左右するような場で覚悟もなくブラフを打ってしまった最低の勝負師、クズ中のクズだけだ。俺は、そんな奴に生きる資格を認めはしない」
だろう? と言わんばかりの視線を投げかけ、トシキの反応を待つ。それだけでトシキもまた、気付いたようだった。
「……アルレッキーノ、こうなることを知っていたのか」
「ああ。いずれ俺が勝ち続ければ、お前がチップを補填するためブラフを打ってスティールに走らざるを得なくなることも、そしてお仲間がお前のためにオールインすることも、全て読んでいたさ」
くつくつ、と喉の奥で器用に笑ってみせるアルレッキーノ。
トシキも気付いた通り、アルレッキーノは彼を嵌めたのだ。いや、嵌めたというわけではなく、正確に言うとトシキを試したとも言える。トシキの行動と、トシキの運命を試したのであった。
「お仲間はお前のお荷物になりたくはない。むしろ、真実の目を持つお前が一番勝率が高いのだから、お前に託すのが一番合理的に見える。……だから、どうせチップをどんどん減らしていくのならお前に差し込むはずなのだ」
「……」
「だが一方で、お前も当然手をこまねいて待つようなたまじゃあない。時にはブラフに走りスティールを狙うだろう。……それが、お前を一番厳しく追い詰める罠を招くと知らずにな」
「……」
「さあ。今まで真実の目に頼って運試しを避けてきたお前にとって、遂に訪れた運試しの時間だ。……とはいえ答えはもう出てしまっているがな」
言いながらアルレッキーノは顎でトシキを促した。
さて、うまく行けば面白いのだが、とアルレッキーノは思ったが。
「……。コール。偶然だが俺は最強手だった。悪かったな」
「は、面白くない」
アルレッキーノは途端に興醒めしてしまった。「生憎、まだ俺とお前には運命があるらしい」とだけ言葉にして、「……まだ足りないか」と心情を少しだけ吐露した。
「遂に、わっちの番になり申した」
そんな中、マハディの様子はというと、彼女は少しだけ周囲とは異なる雰囲気を漂わせていた。トシキに託す、という選択をした二人とはまた異なる。
「は、どうせお前もオールインだろう? 全く笑わせる話だ」
「――その通りでありんすよ」
ぞっとするほど艶やかで、それでいてどこかに恋情を潜ませているような、酷く冷たい声が返ってくる。
アルレッキーノはその言葉の意味を、言葉通りではなく別の意味で受け取った。つまり、マハディの心であると。
「――もうおんしの為に、全てを捧げる女はおりんせん」
一枚、その細く白い手でそっとチップを前に置くマハディ。
「――もうおんしの為に、涙を流す女はおりんせん」
更に一枚、チップを重ねる。丁寧な手つきが、静かな語り口調と相まって、周囲の皆はしばらく言葉を忘れているようだった。
「――もうおんしの為に、そっと隣を歩く女はおりんせん」
一枚ずつ積み重ねる行為が、まるで一つずつ異なる何かを積んでいっているような行為に思われるような、そんな重い雰囲気の中、マハディは懐かしむように言葉を続けている。
「――おんしはご存じおっせんでありんしょう、おんしの指に恋をしていたこと」
その声に滲んでいるのは、彼女が溜め息と共に零した、ひっそりと恨むような思慕。
「――おんしはご存知おっせんでありんしょう、おんしの声に恋をしていたこと」
或いは、彼女の中の少女のように純真な部分に守られた、仄かな思慕。
「――おんしはご存知おっせんでありんしょう、おんしの背中に恋をしていたこと」
或いは、振り向いてくれないことを悲しむような、淋しさで幾重にも折り重なった思慕。
「――おんしに心がときめいたこと、それだけは本物だと思っておりんす」
彼女の中に渦巻いていた、ぞっとするような思いが、言葉を介してようやく積み上げられていく。
「――あのときめきのためなら、わっちは何でも出来申した」
りん、と澄んだ鈴の音がした。
「嗚呼。――思い出って、いつも、いつなるときも素敵でありんすね」
ついに最後のチップから指が離れたとき、マハディの言葉に手弱女の色気が幽かに香って、そのまま影を潜める。
「――さようなら」
マハディの微笑みの意味を、アルレッキーノは理解した。理解をしながらも、アルレッキーノはそれを引き留めようとも思わなかった。
「どうぞ、そこの良い人さん。受け取ってくんなんし」
「……マハディさん」
当てつけるような流し目と、その象徴めいた光景が、全てを物語っている。しっとりとした情感は、アルレッキーノの理解し得なかったものだ。
マハディの行為は、全てが情感である。それはアルレッキーノの苦手な物に他ならない。
「こいつぁ、そっと側に寄り添いたいと願ったまま、行き場を失った心にありんす」
「……」
「同じ悲しみをさせないよう、ヘティちゃんを、宜しくお頼み申しんす」
トシキは、しばらく動かない。動かないままマハディと、そして言葉を失っていたヘタイラとを見比べている。
そのまま今度はベリェッサを見て、アリオシュ翁を見て、ゲームから脱落している森熊を見て、そして今度はテーブルを見ている。
テーブルの向こうに立っている、言葉を失ってマハディを眺めているヘタイラを、トシキは見ている。
アルレッキーノにとって不愉快な時間が流れる。しかしそれでもトシキは、皆を見回して、時間だけをたっぷりと消費することを止めない。
夢を見せてとベリェッサが願ったものも、お主を信用するとアリオシュ翁が託したものも、心を受け取ってとマハディが手渡したものも、どれも結局は、願いだ。
願いを噛みしめるのに時間をかけるのは、それを善かれと思ってなす偽善だ。結論がでているのならばなおさらだ。それぞれの思いを重くしっかりと受け止めた、と主張するための芝居なのだ。
時間をかければ願いが叶うとでも信じているのか。それとも、願いは時間をかけないと人に伝わらないものだというのか。
それは欺瞞だ。アルレッキーノの最も嫌う唾棄すべき行為だ。願いのために何をするでもなく、ただ託すだけの行為に、無意味に時間を浪費させるだけの、パフォーマンスだ。
「お受けします、コールです」
かくして、全てのカードが開かれる。スリー・オブ・ア・カインドで最強手だったトシキは、彼ら全員の思いを受け止めてチップの数を増やしていた。
全く笑わせる話だった。涙を誘うようなあのやりとりが彼を強くしたのではなく、最初から彼のカードが強かっただけなのだ。
あたかも思いを託しただなどと、願いを背負っているだなどと、そんな面をぶら下げて勝負の卓に着く彼らは、勝負を舐めすぎている。
アルレッキーノは、ここからは容赦をしないことに決め込んだ。
幸い、状況は整った。奇遇にも――否、必然ではあったが――アルレッキーノとトシキのチップの枚数は、3000ずつ丁度となっていた。




