一心の鬼
楽しい!剣術楽しい!!
翌日。きちんと道場にやって来た私は、キラキラとした目で指南を受け、初日から教わった技術や知識を、物凄い速度で飲み込んでいった。芹様も、貴女には才能がある!と驚いてくれて、お世辞なのかもしれないが、それが素直に嬉しくもあった。
何よりも、久しぶりの武術。新しい挑戦。体に染み付いた基礎を応用しつつ、新しい技術を試すという行為の繰り返しは、純粋に楽しく、私は改めて、武術が好きなのだということを自覚していた。
「少し休憩にしましょう。お茶を淹れてきますね」
縁側で、私と、私以外の小さな同門たちと共に、長閑な休憩時間を過ごす。少人数ではあるが、みんな無邪気で活気のある良い子たちで、歳の差がある私にも、分け隔てなく接してくれている。歳こそ一回りも下だったりするが、剣術で言えばこの子たちの方が大先輩だ。休憩中も、剣術の極意やコツを教えて貰ったりした。
「菖蒲さん。つかぬ事をお聞きしますが」
そうして、芹様が淹れてくれた温かいお茶を有難く啜っていると、芹様が言いにくそうに私に声をかけてきた。何だろうと言葉の続きを待つと、彼女の口から、例の人の名前が出てくる。
「白鹿は、元気ですか」
「…………!」
白鹿様と、芹様の関係。気になる部分はそれ以外にも、もう1つある。許嫁、という割には、芹様の口ぶり的に、2人はもう何年も会っていないような印象を受けるのだ。
「はい、元気です。あの、白鹿様とは会っていないのですか?」
「……………」
今度は、芹様が思い詰めたように黙り込んでしまった。軍の規則として、いつでも自由に外出できる訳ではないが、こんな近所にある道場ならちょっとした自由時間で顔を出すくらいはできるだろうし、何なら見回りの最中に立ち寄ることだってできそうだ。けど、白鹿様は駐屯地に戻ってきてからも、一度もここに立ち寄った感じはない。
昔の古巣、しかも許嫁に会いたいとは、思わないのだろうか。
ふと思い出すのは、昨晩の夕食の時のことだ。私が遠回しに好きな人を聞いた時、まるで「踏み込んでくるな」とでもいうような雰囲気を感じて、私も深くは聞けなかった。
白鹿様と芹様の間には、何か、私の知らない事情があるのか。
「………もう、何年も会ってません。少なくとも、白鹿が軍に入ってからは、1度も」
「え………、でも、許嫁、なんですよね?」
「許嫁といっても、白鹿にとっては私の父親が勝手に決めた約束で、私のことを本当にそう思っていたかどうか………」
そこから芹様は、少しだけ昔話をしてくれた。ここにいた頃の、白鹿様の話。私が知らない、子供の頃の話だ。
「白鹿は、天才でした。幼かったから吸収が早かったのもあるけど、同じ時期に始めた私や門下生をあっという間に置き去りにして、先輩すら追い抜いていって…………」
「すごい才能だったのですね」
「父は白鹿に絶大な期待を寄せていました。うちの一心流を背負う存在になるかもしれない、と。うちは娘の私しか恵まれなかったので、父は白鹿を実の息子のように可愛がり、白鹿も、実の父のように慕っていました。………あの頃は、毎日楽しかった」
芹様の目が、縁側の先の庭で、無邪気に遊ぶ己の門下生を見つめる。子供達のその姿が、当時幼かった自分と、白鹿と、沢山の同門と、豪快に笑う父と重なっていく。
「でも、今思えば、そんな父の期待が、白鹿を追い詰めていたのかもしれない」
「……………」
「父の行き過ぎた指導、白鹿ばかりに熱が入って、ここを去って行く人もいた。その頃の白鹿は、強さを得るのと同時に、何だか怖かった。白い鬼とか、一心の鬼なんて呼ばれて、周辺の道場や違う流派の人たちに怖がられてたけど………、私もまるで白鹿が鬼に取り憑かれているように見えて………」
「そんなに鬼気迫る感じだったのですか」
当時の思いは白鹿様本人にしか分からないことだが、やはりここでの日々に何かがあったようだということは確信した。そして、その何かとやらが何なのか、芹様もはっきりと分かっていないのかもしれない。寄せられた大きな期待。白鹿様に肩入れする、先代の師範。その間に、何かが………。
「当時は道場破りや交流戦も盛んで、強くて有名な生徒は二つ名があったのですよ。白鹿はうちの自慢の用心棒だったのです!」
湿っぽい空気を払うように、芹様は打って変わってどこか誇らしげに胸を張りながらそう言った。今でもあの実力を持っているのだ。その話を聞いても何も不思議ではない。もしかしたら今よりも、当時は現役で恐ろしい強さを誇っていたのかも………。
「そして私はその時から白鹿のこと………」
そう言ってまたしてもうっすらと頬を染める芹様。初恋の相手、か。親絡みの交流があったのだから、当時はきっと親密だったのだろう。同じ屋根の下で、同じ流派を習い、共に時間を過ごす。惹かれ合うのも無理はない。
(白鹿様は、芹様のことをどう思っているんだろう)
軍に入るまでの期間、ここで長い時間を過ごしていたのだ。この道場のこと、芹様のことを、白鹿様が忘れている筈がない。きっと何かしらの感情は抱いている筈。
けど………。
(白鹿様、ここでのこと、あまり思い出したくない過去なのかな)
そう感じざるを得ない、昨晩の反応。私が初恋の人、と聞いた時、彼は過った筈だ。芹様の存在が。だからこそ、あのように私の質問を突っぱねた。本当にそういう存在がいなかったら、あんな雰囲気は出せない。
「お疲れ様でした。菖蒲さん、飲み込みが早いから私も教えるのが楽しいです」
「そんな………。教え方が上手なんだと思います。明日も頑張ります」
「白鹿に1回も勝てなかった私が教えて、菖蒲さんが強くなれるか分かりませんが………。私が持っている技術は全て叩き込むつもりです。また気合を入れてきてくださいね」
そうして今日も平和に修行は終わり、私は駐屯地への帰路につく。
その時の私はまだ知らない。この道場が抱える闇と、白鹿様が抱える闇。その双方に、気付いていなかった。




