絶対に強くなってやります
「向日葵、菖蒲はどこに行った?」
一方で、菖蒲が剣術道場に通っている同時刻。危機は、向日葵の身に迫っていた。
医務室で薬の整理をしていた向日葵の背中に、唐突に投げられたその言葉は、向日葵の肩を大きく震わせた。まずい、と思ったものの、それを顔に出せば、鋭いこいつらは確実に問い詰めてくる。向日葵は小さく息を吸い込み、普段と変わらない表情を作ってから振り返った。
「黒馬、どうしたの。見回り当番じゃなかったっけ?」
「ああ。せっかくだから菖蒲も連れ出そうと思ったんだけど」
「さあ………。私も仕事してるときは別行動だから………どこかで暇潰しでもしてるんじゃない?」
我ながら自然だ!うまく誤魔化せてる!そう心の中で握りこぶしを固める向日葵に、黒馬は特に深く追求してくることなく、ふーん、と引き下がっていった。その反応も相まって、向日葵は完全にうまく誤魔化せたと安心し、再び薬の整理に戻った。そんな向日葵の背中を見届けて、黒馬は医務室の扉を閉める。
廊下には、黒馬以外にも、白鹿と紫狐と青兎が待機していて、お互いに顔を見合わせた。
「………なんか隠してるな」
「向日葵って、嘘をつく時必ず質問を質問で返す癖があるからね」
「菖蒲様、昨日の夕飯からなんか様子がおかしかったし」
昨晩の夕飯の時、菖蒲が白鹿に唐突にしてきたらしくない質問について、4人があれ以上追及しなかったのは、泳がせる為にあえて取ったものだった。不審に感じていたのは、質問を受けた白鹿本人だけではなく、黒馬たちも同様であり、そして現在、何故か姿が見えないことも、菖蒲の怪しさに繋がっていると睨んでいた。
「どうする?」
「まあ大したことじゃないとは思うが………。もう少し様子見て、あまりに変なら探ってみるか」
「また何か問題事が起こらなきゃいいけど………」
それぞれ話し合う3人の中で、終始黙ったままの人物が1人。白鹿であった。何かを考えこむように、ずっと黙って、話し合いの輪から外れている。
「白鹿」
「…………!」
黒馬がそう名を呼んで初めて、白鹿は顔を上げた。こちらはこちらで様子がおかしい白鹿を、黒馬がじっと見つめている。
「菖蒲のことで、何か思うことでもあんのか」
「……………」
白鹿の中でも、確信がある訳ではない。けど、昨日のあの質問が、妙に引っかかっている。
初恋、か。
その単語が、自分の中の古い記憶を一瞬だけ呼び覚ましていた。忘れようとしていたその記憶を、菖蒲は何故あの時、掘り起こそうとしたのか。単なる偶然なのか、自分の考えすぎか。
「黒馬、頼みがあるんだけど」
白鹿はそう言って、3人に向き直る。
「菖蒲のこと、今回は俺に任せてほしい」
「……………」
「うまく説明はできないけど………。なんか、妙に引っかかる」
紫狐と青兎は、お互いに顔を見合わせ、そして黒馬の判断を待った。白鹿がこんな風に真剣に頼み事をしてくるのも珍しくて、只ならぬ何かを感じる。そして黒馬も同じことを感じていたようで、白鹿のその感覚と意思を尊重することになった。
「分かった。けど、なんかあった時はすぐに言えよ。俺たちもすぐ動く」
「………ありがとう」
「ま、何事も起こらなければそれが1番なんだけどな」
そうして、見回りに出ていく黒馬の背中を見送って、白鹿もまた、その場を後にした。何も起こらなければいい、そんな願いとは裏腹に、嵐の前の静けさのような、そんな不気味な感覚も、感じ取っていたのだ。
その日の、夜中のことだった。寝静まった静かな建物の中を、私は忍び足で歩く。訪れたのは、月明かりでぼんやりと照らされる道場。昼間は稽古をする人たちで活気づくそこも、今は私1人だけの舞台だ。普段は私のような部外者がここで稽古をするなんて決してできることではないが、誰もいない今、少しだけなら許されるだろうかと、私は向日葵様の眠る寝室をこっそり抜け出してきたのだった。
隅に備え付けられた物置から、適当な1本の竹刀を取り出す。今日の昼間に芹様から教わった基礎を、自分の中でもう1度振り返って、自分のものにしたかった。明日の修行の時間にやればいいのではという話だが、体がうずうずして、すぐにでも試したくて我慢できず、こうしてここへやって来た次第である。
そうして私は、教わった姿勢で竹刀を握りしめ、誰もいない空間へそれを構えた。一心流。迷いを捨て、1つの心で剣を振るう。それが、この流派の師範を務める芹様から教わった極意。私は改めてそれを心に留めながら、1つ1つの型や斬り方を、丁寧に確認していく。
そうして静かな特訓の時間を過ごしていると、入口に人の気配を感じてハッと振り返った。
「………何してんの」
壁を背にこちらを見る、白鹿様。私は竹刀をゆっくり降ろして固まった。ちょっと稽古を………、と言いかけて、何故か言葉がつっかえて出てこない。それはきっと、前にいる白鹿様が、まるで睨むように私を見ているからだ。
「この間と比べて、随分動きが変わったね」
「白鹿様…………」
「まだ少し癖はあるけど、基礎はできてる」
そうして歩み寄って来た白鹿様は、後ろから私を抱きしめるようにして、竹刀を握る私の手を掴み、構えた。
「竹刀の角度は45度くらいになるように」
「………っ」
「足ももう少し開いて」
後ろから耳元で囁かれる度に、私の意識は剣術から白鹿様に集中して………。駄目、せっかく白鹿様が教えてくれてるのに、余計なことは考えるなと、自分で自分に言い聞かせる。
「構え方は相手によって臨機応変に変えるべきだけど、基礎が無いとそれもできないからね」
「は、はい………」
「まあ、菖蒲ちゃんが覚える必要はないけど」
そう言って、白鹿様は突然、私の手にあった竹刀を叩き落とした。突然のことに反応できず、カラカラと音を立てて転がる竹刀を目で追う。そして振り返ろうとした瞬間、視界がぐるりと反転して、背中に冷たい床がぶつかった。まるで、白鹿様と手合わせをして、負けたあの時のように。私は同じ場所で、同じように押し倒されていた。
「白鹿様………?」
「構え方の癖、よく似てるね。俺の知り合いに」
「………っ!」
「どこで覚えてきたの?一心流」
芹様のことだと、私はすぐに気付いた。似るのは当然だ。だってその芹様本人に、教わっているのだから。言葉が出ない私の様子に、白鹿様は確信する。私が芹様と、何らかの形で関わりがあることを。
「いったい何をコソコソ企んでるの?」
「企んでる訳じゃ………。私はただ、剣術に興味が湧いて」
「危ないことはするなって言ったはずだよね」
「本当にただ剣術を覚えようとしているだけなんです!危ないことは何もありません」
「必要ないよ、剣術なんて」
無表情のまま、私の上に乗っかって、私を見下ろす、冷たい目。白鹿様の手は、私の手首を掴んで床に縫い付ける。
「解いてごらん」
「…………!」
言われるがまま、精一杯の力を込めて抵抗する。しかし、ビクともしない。抵抗するのに疲れて諦めると、鼻で笑う白鹿様がいる。
「ほらね」
「白鹿様………何で………」
「剣術を覚えようが、多少の武術が使えようが、女性である以上アンタは弱いんだよ」
「………っ」
弱い、という言葉が、私の心に刺さる。私が睨むように見上げると、その反抗的な目を見て、白鹿様もまた、眉間に皺を刻んだ。彼もまた、珍しく感情的なようだ。私の手を一纏めにして頭上に拘束すると、空いたもう片方の白鹿様の手が、乱暴に私の顎を掴む。
「んっ…………!?」
食い付くような荒々しい口付けは、私の抵抗手段を奪ったまま、白鹿様から一方的に何度も繰り返された。上がっていく2人の呼吸の中で、「ほら、嫌なら抵抗しないと」と笑う白鹿様は、私がこの拘束を解けないことを知っていて、煽っているのだ。酷い、悔しい、そんな思いが駆け巡る反面、重なる口付けからどんどん体力を吸い取られて、力が抜けて行く。
やがて、どれくらいそうしていたのか。白鹿様の気が済んだのか、やっと私の手が解放されて自由を得た。フラフラな体を起こして、辛うじて白鹿様を睨む。
「どうして………こんな事…………」
「優しく言っても分かんないみたいだから」
「………そんな…………」
「剣術なんて扱えなくていい。戦うのは俺たちでいい」
「……………」
「それと」
俯いて何も言えなくなる私に、白鹿様は更に釘を刺した。
「俺の過去のこと、変に嗅ぎ回ったりしないでね」
それだけ言い捨てて、白鹿様は振り返る事なく去って行った。残された私は、なかなかその場から立ち上がれなくて、冷たい床に付いた手が、少し震えているのに気付く。
(………白鹿様が、怖かった………)
ただ、剣術に興味があっただけなのに。きっかけをくれたのは、華麗な強さを見せた、白鹿様だ。ああなりたい。いや、勝ちたい。ただそれだけだった。
白鹿様が心配してくれているというのも、分かっている。私の慢心と油断が、何度も危機を招き、皆さんが助けてくれなかったら、今頃私の命は無かったような場面も、沢山あった。けど、それにしたって、先程のは酷いのではないか。
基本的には彼らに言われたことは素直に聞くし、自分が悪ければすぐに謝ってきた。でも今回は………納得できない。
私は、白鹿様に釘を刺されても尚、一心流道場で修行を積むことを、やめようとは考えなかった。
それはある種、意地でもあったのだ。




