白鹿様の許嫁
「ごめんなさい、ドタバタしてしまって………。入門希望の方なんて、いつぶりか………」
「あ、いえ………。私の方こそ、突然お邪魔してすみません」
慌ただしい出会いを終えた私は、あの後、師範と呼ばれたこの女性に案内され、一先ず縁側のようなところでお茶とお茶菓子を振舞われていた。先程はちょうど休憩中だったから静かだったようだが、今は稽古が再開され、最初に出会った少年含む数人の子供たちが、一生懸命竹刀を素振りしている。
(私が久しぶりの入門希望者なんだ………)
先程の師範の言葉から察するに、どうやら私は久々にやって来た珍しい入門希望者のようで、そう言われて見てみると、確かに現在稽古をしている門下生の人数も、明らかに少ない。広々とした道場が目いっぱい使われることがない、それくらいの人数だ。
「時代、なんですかね」
そんな私の考えを悟ったのか、目の前の女性が切なく笑う。横目で稽古をする弟子たちを見守りながら、ここがまだ活気に溢れ、みんな真剣に剣術を習っていた時のことを思い出す。
「父が亡くなってから、この道場を守りたいと思って私が跡を継ぎましたが………。門下生は減っていく一方。これからは銃や機械の時代だと、このような古くからの剣術や武術は、どんどん人口が減っています」
「そう、なのですか………」
「だから、貴女のような入門希望者が珍しくて、つい騒いでしまいました」
こちらの書類に署名を、と差し出された紙1枚に、私はすらすらと己の名前を書き記した。向日葵様もそうだが、私と歳の変わらない女性が、亡きお父様の意思を継ぎ、こうして道場を切り盛りしているなんて、とても素晴らしいことだ。
「剣術は全く触ったことはありませんか?」
「はい。1から鍛えていただきたいのです」
「何か、事情でも?」
「………その、勝ちたい相手がいまして………」
「勝ちたい?剣術で、ですか?」
そんなに強い方がいらっしゃるのですか?と首を捻る師範に、私はその名を告げる。
「はい、白鹿様という方なんですが………」
「………!はくしか………!?今白鹿っておっしゃいました………!?」
その瞬間、師範の頬がうっすらと朱に染まり、恋する乙女のような顔になったのを、私は見逃さなかった。どう見ても、白鹿様のことを知っている反応だ。
「もしかして、白鹿様のことご存じで………?」
「はい。白鹿は………、私の同門というか、弟弟子というか………。一緒にここで剣術を習っていたんです。私の父から」
薄々そうなのではないかと思っていたが、やはりそうか。納得する私を、更に衝撃的な言葉が貫く。
「そして、私の初恋の人であり、許嫁、でもあるのです」
「は………」
はつこい?いいなずけ?
これに関しては全く予想していなかった言葉に、私はぽかんとするしかなかった。詳しく聞きたいが、うまく言葉が出てこない。というか、頭の理解が追い付いていない。白鹿様の、許嫁?
「あ、ご、ごめんなさい。個人的な話を………。とりあえず、事情は分かりました。貴女は………えっと、菖蒲さん、というのですね」
「…………………」
「私は芹と言います。改めまして、ここの道場の師範を務めております。どうぞよろしくお願いします」
いまだ茫然とし、返事すらできない私に、芹様は一方的に固い握手をした。とりあえず無事道場に入門することはできたが、どうやら気になることが沢山ありそうだ。
その日は、入門の手続きをした後、設備や道具の説明、ここの決まりなどの説明を受けて帰宅となった。本格的な修行は明日からで、私が磐浜駐屯地に滞在している身であることから、午後などの空き時間にちまちまと顔を出すことになる事情も、理解してもらった。
「それではまた明日、お待ちしております」
「どうもありがとうございました………」
ふらふらと駐屯地への道を戻っていく私の背中からは、完全に生気が抜けている。正直、後半の道場の説明等は全く頭に入ってこなかった。こんな感じで、明日からの修行は大丈夫なのだろうか。自分で自分が心配になりながら、とぼとぼと駐屯地に戻って来たのである。
「おかえり菖蒲、遅いよもう!」
「ごめんなさい、向日葵様。お待たせしましたか」
「私はいいけど、もうみんな食堂に集まってるよ」
出てきた時と同様に、こっそりと裏口から帰って来た私を1番に出迎えたのは、向日葵様だった。既に夕食の時間が始まっていて、みんな食堂に集合しているらしい。私があまりにも遅いと、黒馬様たちも「何してたんだ」と疑う可能性があることを、向日葵様は心配していた。
そうしてばたばたと慌ただしく遅刻してきた私たちを、案の定黒馬様たちは怪しんでいて。
「随分遅かったな」
「す、すみません。雑用が終わらなくて………」
「今日はちょっと仕事が多くてさあ」
向日葵様も何とか援護に回ってくれて、意外とそれ以上は追及してくることがなかったので、私と向日葵様はこっそりと目を合わせて胸を撫でおろした。明日からは、もう少し早く帰ってこないとな。
そうして、いつも通りの夕食の時間………だった筈だが、私の頭を占めるのは、やはり白鹿様と、芹様のことだった。先程聞いた芹様の話では、白鹿様と芹様は許嫁で、しかも芹様の初恋の相手………。そんな話は白鹿様からは1回も聞いたことが無かったが、許嫁というのは本当なのだろうか。確認したいが、聞けば「どこでそんなことを知ったんだ」という流れになり、私が抜け出して道場に行っていたことがばれてしまう。………聞けない。
「菖蒲ちゃん?」
「………っ、は、はい!?」
「そんなに見つめられると穴が開きそうなんだけど」
気付けば私はじっと白鹿様を見ていたようで、彼は箸を持つ手を止めて、まったく照れていない様子で私に微笑んだ。どうしたの?と小首を傾げる白鹿様に、喉まで出かかった言葉を何とか飲み込む。知りたい。でも、聞いちゃいけない。そんな葛藤が、人知れず私の心の中で繰り広げられている。
「あ、あの、白鹿様」
「ん?」
「白鹿様って………、す、好きな人とか、いますか?」
「え………」
驚いたのは、白鹿様だけではない。白鹿様の隣で会話を聞いていた黒馬様も、紫狐様も、青兎様も、そして向日葵様も、突然の私の質問に驚いて、その手にある箸をガシャンと落としていた。白鹿様は、珍しく驚いている様子を隠すこともせず、目を瞬かせてその質問の真意を聞いてくる。
「どうしたの急に、そんなこと聞いて」
「あ、いや………変な意味ではないのですが………」
「変な意味がなきゃ、菖蒲ちゃんはそういうこと聞かないでしょ」
「ほ、ほんとに他意はないんです!ただ、知りたくて。その………好きな人とか、初恋の話とか。ほら、昔好きだった子とか、いませんか?」
遠まわしに、聞けているだろうか。それとなく探りを入れたかったのだが、やはり唐突過ぎて不自然だったか。恐る恐る、白鹿様の回答を待つ。ゆっくりと顔を上げた先には、先程までの驚いたような表情ではなく、逆に私を探るような、意味深な瞳を向ける白鹿様がいて、私の動きはピタリと固まった。
「いないなあ、そんな人」
「そ、う、ですか………」
「それとも菖蒲ちゃんは」
一呼吸置いた後に、まるで確信を付くような言い方で、
「何か心当たりでもあるの?」
「…………っ!」
これ以上は、危ないと本能が告げていた。これ以上踏み込んだら、私の秘密が危うい。私は咄嗟に笑顔を作って、「いえ、なんとなく聞いただけです」と、引き下がった。つー、と背筋を伝う冷や汗。一気に体温が下がって、私はただ自分の食事に視線を落とした。何だろう、白鹿様の、この雰囲気。
一瞬ぎこちない空気が流れたものの、しばらくするとまだ普段通りの和やかな雰囲気に戻った食卓は、この言いようのない胸のつっかかりを抱えたまま黙り込んだ私と、そんな私を密かに見つめる白鹿様を、置いてけぼりにしていた。




