一生の不覚!
じー、と4人の眼差しが追うのは、食堂の前の方で、向日葵と共に談笑しながら食事の配膳を受ける菖蒲の姿だった。一足先に食堂を訪れていた黒馬たち面々は、机の上で湯気を立てる朝食には手を付けず、菖蒲と向日葵が来るのを待っていた。頬杖を吐く彼らの脳裏には、昨晩の菖蒲の言葉が蘇る。
『あの、私………、皆さんのこと、向日葵様に取られるんじゃないかって、ずっとモヤモヤしてて』
『ヤキモチ妬いてた、面倒くさい女なんです!』
ヤキモチ、か。まさかそんな言葉が菖蒲から出てくるなんて、男4人は誰一人思ってもいなかった。出会ったばかりの頃を思い出すと、本当に同一人物か、と疑いたくなるほどの変わりぶりである。
「あの鉄の女が………俺たちもやっとここまで来た訳か………」
「感慨深いものがあるよ。妬いてくれるなんて」
何故かジーン………と静かに感動する面々は、昨晩から何度も何度もその菖蒲の言葉を脳内で繰り返し、しっとりと堪能していたのである。
「そういうの、アイツには無いと思ってたんだけど」
意外だよな、と大きな欠伸を1つ落とす紫狐の横で、いつもと変わらぬ優しい微笑みを携えた青兎が、頬杖をついたまま口を開く。
「このまま、俺たちがいないと生きられなくなればいいのに」
その発言に、今度は青兎以外の3人の視線が、青兎本人に集中した。呆れたような顔の黒馬、うわぁ………、とドン引きしている白鹿、ぎょっとしたような顔の紫狐。反応はそれぞれである。
「え。何かおかしいこと言った?」
「………すげー怖いこと言ったぞお前」
「僕でも引いた」
「コイツ………、涼しい顔して1番腹黒いよな………」
「えー。だって、そうなったらきっと楽しいよ」
楽しいって………、と改めて引く反応を見せる3人を他所に、青兎は、想像してみてよー、とニパッと笑った。それにそそのかされて、3人は意識を想像の彼方に巡らせる。
『わたし………っ、あなたがいないと耐えられないの………!』
頬を赤くして、こちらを見つめて、必死に手を伸ばす菖蒲。涙を浮かべてこちらを懇願する菖蒲は、そのまま………。
「ちょっと、みんな顔赤いけどどうしたの!?熱!?」
気付けば目の前の席に来ていた向日葵の声によって、3人はハッと我に返った。ちらり、と視線を横に投げると、当然向日葵の隣には菖蒲が立っていて、こちらを見ながら首を傾げている。
「皆さん、大丈夫ですか………?具合が悪そうですが」
「………いや、なんでもない」
「菖蒲ちゃんと向日葵を待ってたんだよ。食べよう」
どこかバツが悪そうな顔でそっぽを向く黒馬、白鹿、紫狐に、益々訝し気な顔をする菖蒲だったが、事の発端である青兎が素知らぬ顔で促して、不思議そうに椅子に腰かけた。何かいけないことをしてしまったかのような気持ちになる彼らは、その後も何となく気まずい空気の中、朝食を終えたのだ。
「今日の稽古は剣術なのですね………!」
「相変わらずキラキラした目で見るのね、菖蒲」
朝食を終えて、皿洗いなどの片付けを手伝った後、向日葵様と共に道場を訪れると、既に稽古は始まっていて、護身術だった昨日とは変わり、今日は剣術の稽古がされているようだった。
勿論その中には、黒馬様と白鹿様、紫狐様、青兎様の姿もあり、普段町で過ごしていた時には見られなかった真剣な姿や、華麗な手捌きに、私は見惚れてしまっていた。
「かっこいい………」
「普段はあんな感じだけど、こういうところ見るとキュンとしちゃうよね」
「はい………」
「後で本人たちに言ってあげてよー。みんな喜ぶよ」
「そう、ですか………?」
向日葵様も、自分の仲間たちが褒められて、鼻高々、といった様子だ。そんな向日葵様も可愛らしくて、笑みが溢れる。
「剣術はね、白鹿が強いんだよ」
「白鹿様が………?」
「そう。白鹿は他の人たちと比べるとちょっと小柄な方だから、得物を持った武術の方が得意なの。ほら」
一本!と手を上げた上官の側には、白鹿様に容赦無く叩きのめされ、倒れ込む相手の姿があった。無駄がない、見事な剣捌き。剣術はからきしの私だが、一応武術を齧っている私にとっては、息を飲むような動きだった。
白鹿様に釘付けになる私の横顔を、向日葵様は優しい眼差しで見つめていた。やがて、何故か手を止めてしまった白鹿様が、ぽーっと見学していた私の元までやって来る。どこか不機嫌なような、困っているような、何とも言えない表情を携えて。
「………あのさ」
「あ………、白鹿様。休憩ですか?」
「………じゃなくて」
「…………?」
白鹿様の真意が分からないまま首を傾げていると、白鹿様は観念したように吐き捨てた。
「そんなに見られると、やりづらいんだけど」
「え………」
そこで私は、ずっと白鹿様を目で追っていたことが、白鹿様本人にバレバレだったということに気付き、一気に恥ずかしくなった。不機嫌そうな白鹿様も、心なしか耳が赤いような気がする。
「菖蒲がね、カッコいいって」
「あ、ちょ、向日葵様………!」
「ずっと見惚れてたよ」
「………それがやり難いんだって………」
「ご、ごめんなさい!気を付けます………」
「あー、白鹿照れてる。珍しー」
「うるさい」
確かに、白鹿様がこんな風に揶揄われてるの、珍しいかも………。向日葵様に揶揄われて調子が狂う白鹿様を、私も珍しいものを見るように見つめる。白鹿様にとってはだいぶ居心地が悪いだろう。話を変えるように、私に向き直った。
「それより菖蒲ちゃん」
唐突に竹刀を投げ渡されて、私は慌ててそれを受け取った。戸惑いが隠せない私に、白鹿様は不敵な笑みを浮かべている。
「そんなに剣術に興味があるなら、少しだけ相手してあげるよ」
「え………、いいのですか?」
「今ちょうど相手がいなくて余ってるし、少しだけなら」
それはとても光栄な事だ。軍人の、剣術が優秀だと言われている白鹿様に見てもらえるなんて、こちらからも是非お願いしたい。
考えてみれば、こうして白鹿様は勿論、黒馬様たちの中で誰とも稽古の相手をお願いしたことはない。彼らを相手にするのは初めてで、そういった意味でもワクワクしていた。
私の力が、彼らにどこまで通用するのか。そして彼らが、どれだけ強いのか。それを身を持って知る事ができる。
「菖蒲ちゃん、剣術は?」
「昔に少しだけ和尚様に教わったことはありますが………、主に護身術ばかりだったので初心者と変わらないと思います」
「じゃあ、菖蒲ちゃんから好きに仕掛けてきていいよ」
「………先手を頂けるのですか?」
「どうぞ。初心者は接待してあげないとね」
完全に舐められている。ニコニコと涼しい笑顔を浮かべる白鹿様が、この時ばかりは少し恨めしかった。剣術は初心者とはいえ、武術を嗜んでいる私には、基礎的な知識はある。護身術と剣術、全く違う武術ではあるが、きっと共通点だってある筈。
「…………行きます」
私は一呼吸置いて、竹刀を構えることすらしない白鹿様に向かって床を蹴った。相手の動きをよく見て、生まれた隙を付けばいい。私が竹刀を振り上げれば、それを防ごうと白鹿様も竹刀を持ってくる筈。ガラ空きになった反対側を叩けば………!
そうして私が振り上げた竹刀の軌道の先へ、ぴくり、と白鹿様の手が動いたのを確認した。………見えた。白鹿様が私の動きに釣られて、攻撃を受け止めようとしている。後はもう少し引き付けてから、軌道を切り替えれば。
「あ……………」
気付いた時には、軌道を変えた先に、騙した筈の白鹿様の竹刀があって、私の手にあった竹刀が弾き飛ばされていた。宙を舞い、床に転がる自分の得物。しまった、と思ったその一瞬の隙に、白鹿様の竹刀は私の肩を優しくコンと小突き、そのまま私は、尻餅を付く。そしてそんな私のお腹の上を跨ぐのは、涼しい顔のままの白鹿様。
「残念」
「…………っ」
「菖蒲ちゃんの負け」
私を押し倒すような格好で、白鹿様は不敵に微笑んでいた。息も切れていないどころか、汗ひとつかいていない。圧倒的な差と、目の前で勝ち誇る白鹿様に、何故か私の心臓は、バクバクと騒いでいた。………手も足も出ない、なんて。
「どんだけ武術を齧ってても、女の子なんだねぇ」
「は、はくしかさま………」
「自分の腕に慢心して、あんまり危ない事しちゃ駄目だからね」
そう言って、顔に影を落として意味深に笑う白鹿様に、私は何故か目が離せなかった。上にのしかかる白鹿様の体を押し返そうとしても、力では全く敵わない。
白鹿様は、言いたいことを言い終えると、やっと上から退いてくれて、私の体を起こしてくれた。ぱんぱん、と服に付いた埃まで払ってくれて、未だに呆然とする私を他所に、あっさりと稽古に戻って行ってしまった。
呆気に取られていたのは私だけではなく、傍で事を見守っていた向日葵様も同じようで。
「橙山をぶん投げた菖蒲でも一瞬だったね………」
「………………」
「………菖蒲?」
「………悔しい」
「え?」
「悔しい………っ!不甲斐ない!」
床に手を付いて項垂れる私を、向日葵様は若干引きながら見つめていた。同時に、私の中にメラメラと闘志が燃え上がる。未だかつて、自分がこんな一瞬で負けた事なんて無かった。いくら相手が軍人で、白鹿様で、私が剣術素人だからといっても、あまりにも差があり過ぎる。
「向日葵様、私今日から修行します」
「えぇ…………」
完全に熱が入っている私を、遠くから見つめていた黒馬様たちは、戻ってきた白鹿様に苦言を呈した。
「お前………何焚き付けてんだよ」
「え?………あれ?」
「どうすんだよアレ………」
「自信へし折って軽く釘刺したつもりだったんだけど…………」
振り返ったら、落ち込むどころか逆にやる気にしてしまった私を見て、白鹿様はズルリと肩を落としたのである。




