本当はね
「一人で帰るだって?」
「………っ」
1番会いたくなかった人が、そこにいる。私の体は強張り、表情も固くなった。そんな私の目を見て、黒馬様はより苛立ったように吐き捨てる。
「まるで嫌いなものを見るような目だな」
「………何故ここにいるのですか」
「お前を探しに来たからに決まってんだろ」
「戻ってください。黒馬様と話すようなことは何も………」
「いい加減、素直になったらどうだ」
「す、素直って………、私は別に………!」
ぐっと距離を詰めてくる黒馬様の迫力に、私は押されるように一歩下がった。嫌だ。素直になんて、なりたくない。本当の気持ちを言ったら、きっと、きっと………。
「誤解されたくないから言うが、向日葵は………」
「や、やだ。聞きたくない」
「いいから聞けって!」
この期に及んでも拒もうとする私の手を、黒馬様が掴む。身動きが取れなくなった私に、黒馬様は強制的に向日葵様とのことを説明した。
「俺と向日葵は、別にお前が思ってるような関係じゃねえ」
「え………」
「アイツのことは、大事な仲間だと思ってる。それ以上でも、それ以下でもない。それが俺の本心だ」
「で、でも、さっき向日葵様と………」
「あれは、向日葵から突然されたことだ。俺からした訳じゃない」
やっと聞いた真実に、私はするすると体の力が抜けていった。てっきり私は、黒馬様も向日葵様と同じ気持ちなのだと思っていたからだ。私の力が抜けたことが分かったのか、冷静に話せると判断した黒馬様は私の腕を掴む手を離した。
「医務室で口付けを強請られた時も、俺は断った」
「あ………」
「見てたんだろ、あの時。まあその様子だと、肝心なところを見る前に逃げ出したみたいだけど」
「そ、それは………」
ずっと心に溜まっていたもやもやが、一気に晴れていくような感覚だった。私がずっと気にかかっていたこと。頭の中に、何度も思い描いたこと。それは、黒馬様と向日葵様が口付けを交わす光景だ。
「さっきのも、これで心の整理を付けるからって、向日葵から突然された。まあ俺も………、残してきた向日葵に対しては後ろめたい気持ちもあったから、これで整理がつくならって抵抗はしなかった」
「………そう、だったんですね」
「俺の話はこれが全てだ。お前が思ってるようなことはない」
私が1人で勝手に黒馬様の気持ちを決めつけて、勝手に空回りしていたことを知り、一気に申し訳なさが頭を占めていく。黒馬様にはだいぶ冷たい態度を取ってしまった。謝らなければ、と口を開くよりも先に、黒馬様が更に言葉を続ける。
「で。次はお前の話だけど」
「え………、わ、わたし………?」
「俺もお前に確認したいことがある」
誤解が解けてすっきりした私とは対照的に、黒馬様はまだ怒りに滲んだ瞳をこちらに向けていて、彼の中の鬱憤は晴れていないようだった。色々と心当たりはあるが、やはりあの橙山様との騒動のことを、怒っているのだろうか。どう謝ろうか考える私に告げられた名前は、私のそんな想像など全くの見当違いであることを思い知らされる。
「紫狐のことだけど」
「………!」
途端に、胸がざわつく。何故、ここで紫狐様の名前が出てくるのか。思い出す、あの時の口付けの記憶。断片的に頭の中に蘇って、うっすらと体が熱を帯びるのを、黒馬様は目を細めながら見逃さなかった。
「口付けしてたよな。お前も」
「………っ」
「俺のことは、聞きたくないとか散々避けといて、お前はいいのかよ」
顔を、上げられなかった。全くもって、その通りだ。けど、どう弁明すればいいのか。あの時の私は、黒馬様と向日葵様のことを忘れるのに必死で、それで、偶然出くわした紫狐様にすがって、それで………。
黙り込む私に落とされたのは、黒馬様の怒りと呆れが混じった溜息。嫌われた、なんとなくそう思った。見捨てられた、というのが正しい表現なのか。
「………言えないなら、もういい」
そしてその沈黙に耐えきれなくなったのか、黒馬様はそれだけ言い捨てて、私に背を向けてしまった。その背中には、悲しさも含んでいるような気がして、そこで私は、黒馬様を傷つけてしまったことを認識する。歩いていく背中が少しずつ遠ざかっていく。まるで、手を伸ばしても届かないどこかに行ってしまいそうな………。
「………腹立つんだよ。隙だらけのお前にも、その隙に付け入るアイツらも………!いつも俺の方が、お前にかき乱されて、みっともなく嫉妬して」
「黒馬様………」
「向日葵のことでお前の態度が変わったから、少しだけ期待したが」
「黒馬様、待って………」
「結局こうだ。お前は簡単に他の男に心を許して、俺の気持ちなんて」
「黒馬様!!」
今度は私の話を聞いてくれない黒馬様を、私は大声で呼び止めた。そして驚く彼が振り返る前に、私は、その背中に勢いよく抱き着いた。
「行かないで………、黒馬様」
「………!」
「もう、私以外のところになんて、行かないで」
私らしくない台詞に、黒馬様はただ面食らったようにそこに固まっていた。




