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聞きたくありません

 すぐ迷い、すぐ不安になる。意気地がない私が、それでも何度も思いなおし、やっぱり皆さんと一緒にいたいと強く思ったのは、支えてくれた紫狐様と、青兎様のおかげだ。彼らに「それでいいんだ」と背中を押してもらえると、途端に勇気が湧いてくる。今度こそ大丈夫。次はもうくよくよ悩んだりしない。そう心に決めていたのは、本当の話だ。


 けど、私はまたしても、そんな決意を粉々に打ち砕かれる。


 青兎様との見回りから帰って来て、一旦自分の部屋に戻ろうとやって来た私の目に映ったのは、その部屋で夕日を浴びながら口付けを交わす、男女の影だった。


 一瞬何が起こっているのか分からなくて、息を吸うことすら忘れていた。それこそ、物語を切り取ったような景色に釘付けになって、その2人を見つめる。そしてその男女も、突然扉が開いたことに驚いたようにこちらを見つめて、慌ててその体を離した。急いで取り繕ったって、もう取り消せない。


 私は、黒馬様と向日葵様が口付けを交わすところを、見てしまったのだ。


「あ………、菖蒲ちゃん………」


 1番最初に声を絞り出したのは、向日葵様だった。流石に気まずいのか、私の名を呼ぶなり俯いて、ごめん、と小さく漏らす。それに対して、私はいまだ何の言葉を発せないまま、石像のように固まっていた。


 続いて、口を開いたのは黒馬様だった。珍しく焦ったような顔で、私に近付く。


「菖蒲、これは………」


 久々に聞いたような気がする、黒馬様の声。それもそうか。私は何故か勝手に黒馬様と気まずくなって、避けていたのだから。私の腕を掴もうとする黒馬様の手を、拒むように振り払う。静かに、しっかりと叩き落とされた黒馬様の手は、宙を掴んでいた。


「………ごめんなさい。お邪魔したみたいで」

「待て、菖蒲。話を聞け」

「聞きたくない!」


 何かを説明しようとする黒馬様。でも、もう何も聞きたくなかった。聞けば聞くほど、自分がみじめになる。向日葵のことが好きなんだ、とか、向日葵と一緒にいることにした、とか。勝手に聞きたくない彼の台詞を想像して、手で耳を塞いだ。


「もう、何も聞きたくない………」

「………っ」

「よく、分かりましたから………。これ以上の説明は、不要です」

「あ、菖蒲ちゃん………」


 私の剣幕に、向日葵様も狼狽えていた。流石に私に見せるつもりはなかっただろうし、見られるとも思っていなかったのだろう。申し訳なさそうな顔でこちらを見ていたが、今はそんな向日葵様にも、気の利いたことを言ってあげる余裕はなかった。私はとにかくこの場から早く逃げたくて、黒馬様の制止も聞かずに飛び出しだ。


 辛い。苦しい。悲しい。


 なんで。なんでこんなに苦しいんだろう。黒馬様には、他に大切な人がいただけ。たったそれだけ。私と黒馬様は、ただ儀式の為に一緒にいただけ。なのに………。なのに、なのに。


「菖蒲見なかったか!」

「菖蒲?」

「見てないけど………」

「何かあったのか」


 夕食の為に、食堂に集まっていた見慣れた面々に、慌てた様子の黒馬が飛び込んでくる。その只ならぬ様子に、白鹿と紫狐と青兎の表情も険しくなった。


「私のせいなの………!」


 黒馬に続けて、泣きそうな向日葵も飛び込んでくる。そこでなんとなく事態を察した3人は、途中だった食事も放って、身支度を整え始める。


「あ、あの、みんな、私………!」

「土地勘無いから、そう遠くへは行かない筈だけど」

「けどもう真っ暗だぞ………!急いで探さねえと!」

「手分けして探そう。懐中電灯借りてくるよ」


 事態を説明しようとする向日葵の言葉も聞かずに、ばたばたと慌ただしく動き出す面々を、向日葵は茫然と眺めていた。ここにはいない、姿を消したたった1人の女性の為に。彼らは必死になっている。


(………これが、答えなんだね………)


 どこか納得するような表情を浮かべる向日葵の横を、駆け抜けていく4人。食堂に残された向日葵は、ただ静かにその背中を見送っていた。


「黒馬」

「なんだよ………!」

「1か所、心当たりがあるんだけど」


 こんな時に突然青兎に呼び止められて、少し苛立ったように足を止める黒馬が目を見開いた。世話が焼ける、と呆れたように、青兎が懐中電灯を手渡す。


「多分、黒馬が行ったほうがいいと思うから」

「…………」

「ちゃんと連れて帰ってきてよ。これ、貸しだから」

「………悪い。今度なんか奢るわ」

「約束ね」


 そうして走っていく黒馬の背中を見届ける。俺たちのことを譲るな、なんて菖蒲に言いながら、今回ばかりは自分の仲間に菖蒲のことを譲ってしまった自分に苦笑する。黒馬はそのまま、昼間、青兎と菖蒲が見回りをした方向へと姿を消した。

























 良かった、迷わず来れた。そう胸を撫でおろした私の目線の先には、昼間の見回りで訪れたばかりの、記憶に新しい泉だ。そこは相変わらず幻想的で、月の光を浴びる泉は昼間とはまた違った顔を見せていた。少し恐ろしいくらいに、そこは現実離れしていた。


(思わず飛び出してきちゃったけど………、どうしよう………)


 昼間に座った岩と同じ場所に腰かけ、茫然と水面を見つめる。きっとみんな、心配している。でも、それが分かっていても尚、みんなの元へ………、黒馬様の元へ戻る勇気はなかった。あんな場面を見てしまったんだ。どういう顔をして会えばいいのか、分からない。


 ずっと、自惚れていた。


 私を変えてくれた、4人。いつだって傍にいてくれて、助けにきてくれて、時には、私を必要とするような、耳障りのいい言葉もくれた。だから、きっと離れる訳がないと、心のどこかで思っていたのかもしれない。


 それが突然、そんな考えを覆すような人物が現れて、私は焦った。不安になって、いっぱい迷って。そしてその度に、紫狐様や青兎様の言葉に安心して。


 その中で、1番分からなくて、私をかき乱したのは、黒馬様だ。


 向日葵様は黒馬様への想いを自覚していて、積極的に黒馬様に近付いていたからというのもあるが、私はここに来てから、ちゃんと黒馬様と会話をしていないような気がする。どこか勝手に遠慮して、蚊帳の外からあの2人を見て、勝手に傷付いて。


 嫌なら嫌って、言えばいいのに。黒馬様を取らないでって、素直に言えばよかったのに。


「………そんなの、言える訳ない………」


 中途半端で、みんなを振り回して、困らせているのは、私だ。


「………このまま1人で帰ろう………」


 もう、腹は決まった。この辺りの土地勘は無いが、自分がいた町がどっちの方角かくらいは分かる。そっちの方へ歩いていけば、いつかは辿り着くだろう。


 そうして腰を上げた私の前に立ちはだかった、1つの影。息を切らし、こんなに寒い中で汗を滴らせながら、その人はそこに立っている。


「………ふざけんな」

「黒馬様………」

「帰らせる訳ねえだろ………。勝手な事言ってんじゃねえぞ………」


 息も絶え絶えに、怒りを露わにする黒馬様。


 水面には、対峙する私たち2人の姿を映し出していた。

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