恋する乙女の密かな戦い
とは言ったものの………。どうしたらいいのか分からない、というのが、私の正直な気持ちだった。向日葵様とお互いの気持ちを確認し合ったが、結局それだけで、私の方は何も行動に移せていない。それどころか。
「みなさーん、お疲れ様です!近所の方に差し入れをもらったので、食べてください!」
隣の向日葵様が、沢山のミカンと剥いた林檎を手に、稽古をしていた皆さんに声をかける。汗をぬぐいながら、ぞろぞろとこちらに群がってくる方々に、私も慌てて差し入れを差し出した。
「はい、黒馬!」
「ん」
隣から、向日葵様と黒馬様の短いやり取りが聞こえて、ちらりとそちらに視線を投げた。ただ、向日葵様が黒馬様に差し入れを手渡しているだけ。たったそれだけなのに、私はまたしても嫌な感情に飲み込まれかける。ダメだ、やっぱり見ていられない。そう思っていると、ふと黒馬様と目が合ってしまって。
「…………っ」
「……………」
あからさまに、不自然な程に顔を背けてしまった。感じ悪い、よね………。そう思いつつも、今はとても黒馬様の顔を見れそうにない。お互い頑張ろうって、向日葵様と話したばかりなのに、私はこんな感じで、黒馬様を避けていた。
「僕にもちょうだい、菖蒲ちゃん」
「白鹿様」
「欲しいならこっちに沢山あるけど、白鹿」
そんな私の想いを知ってか知らずか。ふわり、と綺麗な笑顔で私に差し入れを強請ってきた白鹿様。慌てて私が手渡そうとすると、既に渡す準備ができていた向日葵様が、隣から白鹿様の分を渡そうとする。
「俺、菖蒲ちゃんのが欲しい」
「え………」
「ね、菖蒲ちゃん。頂戴」
たまに白鹿様は、こういう『全てを悟った上でわざとかき乱すようなことを言っている』ような言動を取る。本人は相変わらずニコニコとしたまま私を見つめて、両手をこちらに差し出している。やっぱり、読めない。というか、今の発言は向日葵様に失礼なのでやめて欲しいのだが。
「何よそれ、相変わらず失礼な奴!私のでも菖蒲ちゃんのでも、味は変わんないわよ」
「でも見た目、向日葵の方は不格好で、菖蒲ちゃんのはすごい綺麗だもん」
「見た目は関係ないわよ!」
「そんなに不器用で、本当に医者になれるわけ?」
「………っ、アンタねえ………!」
白鹿様の発言にひやひやしていたのは、私だけだったようだ。こういったやり取りはこの2人の間では日常のことなのだろう。悪戯げに笑う白鹿様は、私といるよりだいぶ素に近い気がする。好きな子を揶揄う男の子のような………。そんな、雰囲気。向日葵様は、結局自分が切った果物の皿を白鹿様に押し付けて、白鹿様もそれを受け取っていた。
(い、いけない。悲観的になってる暇なんてない………!)
私は慌てて、頭の中の雑念を振り払う。頑張らなきゃ。私だって、私だって………!
果物が乗った皿を2つ両手に持ち、きょろきょろと辺りを見回す。少し離れたところで汗を拭きながら休憩している紫狐様と青兎様が目に入る。2人はまだ差し入れを受け取っていないようだ。急にパタパタと走り出す私を、向日葵様と、黒馬様、白鹿様の目線が追う。
「し、紫狐様!青兎様!」
「うお………、びっくりした………」
「どうしたの急に大声で………」
2人を背後から呼び止めたら、気合いと緊張で思った以上に大きな声が出てしまって、驚かせてしまったようだ。ご、ごめんなさい、と謝りつつ、震える手に持っていた果物を差し出す。大丈夫、こんなの、町にいた頃は毎日彼らのご飯を作っていたんだし、同じようなこと。
「わ、わたしの、たべて、ください」
「え………」
「へ………」
真っ赤な顔で、どこか変になってしまった台詞と共に、2人に果物を押し付ける。ぽかんと固まったままの紫狐様と青兎様の反応が怖くて、そのまま逃げるように元の場所へと戻って来た。残された紫狐様と青兎様の手に残る皿には、他の人とは違って、うさぎの形に切られた林檎と、丁寧に皮が剥かれたミカンが乗っている。そのあからさまな特別感に気付いた瞬間、紫狐様と青兎様は柄にもなく頬を染め。
「も………、勿体なくて食えねぇ………」
「かわい………」
ぼやく2人を他所に、恥ずかしさを誤魔化すように食器を片付ける私を、向日葵様がちらりと横目で見る。耳や首まで真っ赤にする私。そして………。
「………何あれ。めちゃくちゃ不愉快なんだけど」
「俺らの分は無いんですかね」
あからさまに子供のように不機嫌になる黒馬様、白鹿様。一気にみんなを持っていかれたような気がして、向日葵様が少しムッとする。
「私だって、2人の分、他の人よりこっそり大き目に切ったんだけど」
「え………」
確認するように、自分の手元の皿に視線を落とす。確かに言われてみれば、他の人より大きいような………。
「それが私なりの、特別感。2人だけ」
「………ふーん」
「特別ねぇ………」
「な、なによニヤニヤして………」
ふと食器の片づけから顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、何故か珍しく顔を赤くする向日葵様と、それを揶揄うような黒馬様と白鹿様だった。私の知らない、彼らの顔を、向日葵様は簡単に引きだせてしまう。それは、どうしても敵わない、向日葵様と皆さんが共に過ごした長い年月がもたらしているもの。
(敵わない…………)
そう、実感せざるを得ない。弱気に俯く私の上に、大きな影が落ちる。
「あ………」
「よお、巫女様よお。健気に差し入れ配りたあ、感心だなあ」
昨日の男………、確か橙山と呼ばれていた男だ。彼もまた差し入れを受け取りに来たのだろうか、と呑気に果物に手を伸ばす。そうして油断した隙に、橙山様は拳を振り上げた。
「菖蒲!!!」
「菖蒲ちゃん!!!」
黒馬様と白鹿様の、そんな切羽詰まった声が聞こえて、果物から橙山様の方へ視線を戻す。私を殴りかかろうとする拳に、私は目を見開き。
「はい、橙山様。林檎とミカンです。甘くて美味しいですよ」
「……………」
その拳を難なく片手で受け止めた私は、もう片方の手で、果物を差し出したのだった。呆気に取られているのは、橙山様だけではなく、隣で見ていた黒馬様と白鹿様と向日葵様。そして、慌ててこちらに駆け寄ろうとしていた紫狐様と青兎様もだ。
橙山様は、行き場を失った握り拳をだらりと降ろして、意気消沈した様子で果物を受け取った。とぼとぼとと去っていく背中は自信を失った格闘家のようだ。
「じゃあ、私は食器を洗い場に運んできますね」
そうして何事もなかったかのように去っていく私の背中を、黒馬様と白鹿様は大きな溜息と共に見送った。「かわいくない」「守り甲斐がない」とぼやく黒馬様と白鹿様。「さすがは菖蒲だ」と目を輝かせる紫狐様に、「ひやひやしたよ………」と胸を撫でおろす青兎様。
彼らのそんな様子を見ていた向日葵様は、密かに胸が痛むのを感じていた。
みんな、菖蒲ちゃんに危機が迫った時、あんな顔するんだ。見たことない、顔。菖蒲ちゃんのことになると、途端に必死になって。私には見せたことない顔だ。
敵わない、と。




