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見たくないのに

 結局あの後、稽古に戻っていく白鹿様たちに、「菖蒲ちゃんはどうする?」と聞かれたが、こんな気分で見学を続ける気にもなれず、医務室に向かった2人のことも気になったので、「私も向日葵様のところへ行ってきます」と告げて、その場を後にした。


 医務室の場所は、今日の明け方、向日葵様に部屋まで案内された道中にあったので、何となく覚えている。キョロキョロと辺りを確認しながらも、何とか辿り着いた医務室の扉に、そっと手をかけた。


 その手がピタリと止まったのは、中から向日葵様の声と、私の名前が聞こえてきたからだった。


「菖蒲ちゃんが、すっごく悪い子だったら良かったのに」


 突然聞こえてきたその声は、紛れも無く向日葵様のもの。藪から棒に私の名前を出されたような気がするのは、その前の会話の流れを私が知らないだけなのだろう。


 当然、向日葵様が独り言でそんな事を話している訳ではなく、恐らくその言葉は、彼女を医務室に連れて行った黒馬様に向けられているものと思われる。


「さっきの騒動、黒馬も分かってるんでしょ。菖蒲ちゃん、自分の為にあんな無謀なことした訳じゃないの」

「………だろうな」

「アイツらに、馬鹿にされたの。私の夢」


 本当は良くないと分かりつつ、私は扉を開けるのをやめて、そっと聞き耳を立てた。それは、黒馬様と向日葵様の関係に、モヤモヤとした感情を抱く黒い方の私が、そうしろと体を動かしていた。


「女は家事やってりゃいいんだーって。一丁前に夢なんか持つなって」

「勝手に言わせときゃいいんだよ」

「私も、普段ならそうしてたよ。でも、菖蒲ちゃん………きっと私以上に怒ってくれたんだと思う。それが私、すごく嬉しくて」

「…………」

「私が初めてここに来た時も、私の事反対する人多かったし、今もいい気持ちしてない人多いし。そういう意見、慣れたフリして聞き流してたけど。菖蒲ちゃんがコテンパンにしてくれたの見てスッキリしちゃってさー」


 一気に大好きになっちゃった、菖蒲ちゃんのこと!そうあっけらかんと笑う向日葵様に、私は心が痛くなる。この人は、本当に良い人だ。優しくて、真っ直ぐで、町の人たちが私に抱くような悪意なんて、これっぽっちも感じられない。なのに………、なのに私は………。


「それが苦しいの。菖蒲ちゃんが、すごく良い子だから、辛い」

「………どういう意味だよ」

「菖蒲ちゃんがすっごい悪い子で、心置きなく嫌いになれたら………、あの子にはっきり言えるのに」

「何を」

「………私から、みんなを………黒馬を奪わないでって」


 その言葉を聞いた瞬間、黒馬様も、私も、言葉を失っていた。向日葵様は、私と同じ気持ちだったのだ。嫌いになれたら、嫌な気持ちを嫌とぶつけられたのに。あなたが、すごく素敵な人だから。少し会っただけで、あなたの魅力が痛い程分かるくらい、素敵な女性だから。だから、私、苦しいんだ。


「………急に何言ってんだよ、お前らしくない」

「そうだよ、私らしくない。でも、これが本当の私の気持ちなの」

「向日葵………」

「私、みんなが儀式に選ばれて、ここを出てってから、ずっと寂しかった。顔も知らない、どんな人かも分からない女と子供作るなんて、嫌だった」


 動揺する黒馬様に詰め寄る向日葵様が、建て付けの悪い扉の隙間から見えて、私は息を呑む。恋する乙女の顔になっている向日葵様には、もう迷いも悔いも無い。


「向日葵、落ち着け」

「私は落ち着いてる。いつだって、そうやってのらりくらり交わしてるのは、黒馬の方じゃない」

「俺は………」

「ひと月もしたら、またみんな、ここを出て行っちゃう。菖蒲ちゃんの元に行っちゃう………。そうしたらもう、私の想いは叶わないかもしれない」


 黒馬様に歩み寄る向日葵様が、挫いた足を痛めてよろめく。それを咄嗟に抱き支えた黒馬様と向日葵様は、まるで抱き締め合っているようにも見えて、私の頭は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。………嫌だ、見たくない。そう思うのとは裏腹に、目が離せない。バクバクと心臓が破裂しそうな程に騒ぎ出す。


「黒馬、お願い。………口付け、して」


 それは、向日葵様の………、恋する女性の、勇気を振り絞った渾身のお願いだった。

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