約束破りと道場破り
時間がない。急がなければ。私はそんな思いに駆られながら、駐屯地までの道を必死に走っていた。頭は芹様と道場のことでいっぱいで、黒馬様たちにどう言い訳しようなんてことは、二の次だった。
私は駐屯地に帰ってくるなり、そのまま廊下を突っ切った。幸い、今は夕食の時間が始まったばかり。みんな食堂に集中しているお陰で、人気が少ない。
「あ、菖蒲!おかえりなさい!」
途中、通り過ぎた医務室から、丁度向日葵様が出てきた。いつものように私を笑顔で出迎えてくれたが、私には、それに返事する余裕すらなく、そのまま前を走り去っていく。
「菖蒲………?」
私のその危機迫る雰囲気は、流石の向日葵様にも違和感を植え付けていた。そして、向日葵様は途端に、私とは反対方向に走り出す。
(なんかおかしい………!黒馬達を呼ばなきゃ!)
彼女が向かうのは、食堂。いつもの席で、自分たち2人を待っているであろう彼らに伝えなければと直感が告げていた。
そうして彼女が黒馬様たちを呼ぼうとしている間、私は駐屯地の道場に駆け込んだ。息を整える暇もなく、乱暴に物置の戸を開ける。奥に仕舞われている、竹刀。それを2本適当に引っ掴む。
(芹様の道場の竹刀は全部壊されてたから………)
説教なら、後で幾らでも受ける。だから少しだけ貸して下さい。自分の中の罪悪感をそう宥めながら、2本の竹刀を握り締め、立ち上がる。外を見ると、もう辺りは暗くなり始めている。こうしている間にも、もしかしたら借金取りが芹様に近付いているかもしれない。
「………あれ、巫女様じゃないか?」
食堂で騒つくその声に、いつものように気ままに待っていた黒馬たちは顔を上げた。何故か窓の外を見ながら不思議そうにする兵士たちに、黒馬が近付く。
黒馬が見た時には既に、遠ざかって消えた背中だったが、それは確かに、竹刀を背負った菖蒲のように見えた。軍で決められた夕食の時間はもうとっくに始まっている。なのに、この時間になぜ………
「みんな!!」
そして、黒馬たちの予感を確信に変えたのは、血相を変えて食堂に飛び込んできた向日葵だった。黒馬、白鹿、紫狐、青兎をそれぞれ見て、息も整えぬままに向日葵が叫ぶ。
「菖蒲が………!菖蒲が!!」
やっぱりあれは、菖蒲だったのか。小さく舌打ちをして、後を追おうとする黒馬の肩を引き止めるように誰かが掴む。
「………白鹿……?」
殺気立つ白鹿の気迫は、黒馬も紫狐も青兎も、言葉を失う程だった。呆然とする黒馬に対し、白鹿が低く呟く。
「………俺が行く」
は、は、と短い呼吸を繰り返しながら、駐屯地から借りてきた竹刀を揺らして、私は田んぼ道を走り続けた。ずっと走りっぱなしで、口から心臓が飛び出そうだ。これから借金取りと戦うというのに、その前にバテてしまいそうだが、少しでも休憩すれば手遅れになるような気がして………とにかく必死に走った。
そして、芹様が待つ道場まで戻ってくると、幸い借金取りたちはまだ来ていないようで、ホッと胸を撫で下ろした。門を潜り、いつもの稽古をしている道場に入ると、隅の方でカタカタと震えている芹様が見える。私はそんな彼女の小さな体を抱き寄せながら、背負ってきた竹刀を一本手渡した。
「何かあった時は、これを使ってください」
「あ………菖蒲さん…………」
「怖ければ、物陰に隠れていればいいですから」
「………うぅ…………」
正直、芹様の様子はとても戦えそうにない。最悪、私1人で借金取りたちの相手をすることも考えなければならないだろう。
そうして、待つこと数十分。何だか妙に門の外が騒がしくなり始めた。ゾロゾロと、複数人の足跡が聞こえてくる。その音だけでも、芹様はヒッと小さく悲鳴を上げて私にしがみ付いた。私が警戒するように入口の方を睨むと、案の定、ゾロゾロと体格の良い男たちが踏み込んでくる。中には、昼間見た男もいて、連中は全員、片手に竹刀を握り締めていた。
「おやぁ、逃げずに待っていたとは、感心感心」
「……………」
トントンと己の肩を竹刀で叩きながら、私たちの前に落ちる、無数の大きな影。彼らの巨体は、その月明かりを浴びて不気味に光っていた。
「約束通り、道場破りに来ましたよ」
「貸した金、返して貰おうか」
しがみつく芹様から手を離し、私はゆっくり立ち上がる。まさかこんな形で、こんなにも早く、私の剣術の初舞台が叶うとは。
………迷いを捨て、一つの心で剣を振るう。
私は大きく深呼吸をして、男たちに向き直った。竹刀を構えて、にやにやと下品な笑みを浮かべる顔を睨む。
「受けて立ちます。正々堂々、勝負しましょう」




