実家の崩壊と『今さら戻れと言われても』
実家の崩壊と『今さら戻れと言われても』
翌朝。
昨晩のゼロス撃退の興奮が冷めやらぬポポロ村の広場に、一台の馬車が砂煙を上げて到着した。
車体には、ルナミス帝国の貴族『バレンタイン伯爵家』の家紋が刻まれている。
だが、そのかつて豪奢だった馬車は、今は見る影もなかった。装飾の金箔は剥がれ落ち、引いている馬はあばら骨が浮き出るほどに痩せ細っている。御者の男もひどく疲弊した顔をしていた。
馬車の扉がバンッと開き、中から転がり出るようにして一人の男が降りてきた。
落ち窪んだ目、無精髭、ヨレヨレになった高価な服。
俺を「主婦の買い物スキルしか持たない無能」と見下し、屋敷から追放した長男――元・兄の姿だった。
「ケ、ケントォォォッ!! どこだ、ケント!!」
血走った目で広場を見回し、大声でわめき散らす長男。
朝のコーヒーを飲みながら縁側に座っていた俺は、深くため息をつき、マグカップを置いて立ち上がった。
「朝からうるさいな。村の平和な空気が台無しだ。……なんの用ですか、バレンタイン卿」
俺が冷ややかに声をかけると、長男は俺の姿を認めるなり、すがりつくような笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「おお、ケント! 探したぞ! こんな汚い村でくすぶっていたとはな。喜べ、父上が特別にお前の除籍を取り消して、屋敷に戻ることを許してやると仰っている! さあ、今すぐ帰るぞ。そしてそのスキルで、屋敷の食料庫とワインセラーを満杯にするのだ!」
尊大に振る舞おうとしているが、その声は焦りと恐怖で震えていた。
俺は眉をひそめ、冷徹に事実を突きつける。
「お断りします。俺はすでに除籍届を受理され、貴族の身分も捨てた自由の身。今さら戻る義理も理由もありません」
「なっ……ふ、ふざけるな! 生みの親である父上の温情を無下にする気か!」
長男が顔を真っ赤にして怒鳴るが、俺は微動だにしない。
彼らがなぜここまで必死になっているのか、その理由は火を見るより明らかだった。
伯爵家では、毎日のように極上の霜降り肉や新鮮な野菜、高級な調味料、そして肌触りの良い日用品が当たり前のように使われていた。しかし、それらはすべて、俺が【スーパーマーケット】のスキルを使って無自覚に(あるいは領地の財政を補うために密かに)補填していた現代物資だったのだ。
俺が追放されたあの日から、その魔法の供給源は完全に断たれた。
結果として何が起きたか。
「……お前のせいで、我が家の面目は丸潰れなのだぞ!!」
長男が髪を掻きむしりながら叫ぶ。
「お前が消えた翌日! 隣領の侯爵を招いた晩餐会で、料理長が出してきたのは硬くて臭いロックバイソンの肉と、泥臭い根菜のスープだった! 『バレンタイン家は客に家畜の餌を食わせる気か』と侯爵は激怒し、我が家が取り仕切っていた交易の利権をすべて引き剥がされたのだ!」
長男の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「さらに、領地の食糧備蓄も空っぽだったことが発覚した! 領民たちは暴動寸前、商人たちは貸し付けた金の回収に押し寄せ、我が家は完全に破産寸前なのだ……! 頼む、ケント! お前がいれば、すべて元通りになる。あの『どこからでも極上の食材を出せる力』があれば……っ!」
泣き落としに切り替えた長男の醜態。
かつて俺のスキルを「主婦の買い物ごっこ」と嘲笑っていた男が、今やそのスキルの前で無様に土下座しようとしている。
だが、俺の心に同情の念は一切湧かなかった。前世で、現場の苦労を知らずに無茶なノルマを押し付けてきた無能な上司の末路を見ているようで、ただただ空虚な気分になるだけだ。
「……お断りしますと言ったはずですよ。あなた方は俺のスキルを無能と判断し、俺を捨てた。その結果が今の状況でしょう。自分の蒔いた種は、自分で刈り取ってください」
「き、貴様ぁぁっ! 兄に向かってその態度はなんだ! 力ずくで引きずって帰ってやる!」
長男が逆上し、腰の剣に手をかけようとした――その瞬間。
「……私の大切な人に、その汚い手を向けないでください」
冷たく、凄まじい殺気を孕んだ声が響き、長男の足元に重たい『木材』が叩きつけられた。
キャルルだ。
彼女は両手に愛用のダブルトンファーを構え、長男の首筋にピタリと狙いを定めていた。普段の可憐な村長の姿はどこにもない。そこにあるのは、村を守り、愛する男を脅かす者を絶対に許さない『正妻』の絶対的な威圧感だった。
「ひっ……! な、なんだ貴様は、ただの亜人が……!」
「月兎族の耳を舐めないでください。あなたの心臓の音から聞こえるのは、底なしの打算と、自分の保身、そしてケントさんへの見下した感情だけです」
キャルルの瞳が、氷のように冷たく細められる。
「ケントさんの優しさに甘え、価値に気づかず、挙句の果てに捨てた。そんな愚か者たちが、いまさら彼を利用しようなどと……万死に値します。今すぐ消えなさい。さもなくば、このトンファーで顎を砕き、無理やり全回復させる地獄を味わってもらいますよ」
本気の殺気を放つキャルルに、長男は完全に腰を抜かし、地面にへたり込んだ。
「キャルル、もういい。刃を向ける価値もない」
俺はキャルルの肩に優しく手を置き、彼女を制した。
そして、震える長男を見下ろして、静かに、しかし決定的な言葉を告げる。
「俺の『主婦の買い物ごっこ』がなければ回らないような家なら、とっとと潰れた方が世のためだ。俺はここで、スーパーの店長兼、この村の用心棒として忙しいんでね。……二度と俺の前に姿を見せるな」
「あ、あぁ……っ」
長男が絶望の声を漏らした時、周囲を囲んでいたポポロ村の自警団や、俺のカップ麺で胃袋を掴まれたルナミス帝国の駐屯兵たちが、一斉に武器を構えて一歩前に出た。
「おい、ウチのケントの旦那にこれ以上迷惑かけんなら、俺たちの魔導ライフルが火を吹くぞ」
「とっとと帰れ、没落貴族!」
数十の銃口と殺意を向けられ、長男はついに完全に心が折れた。
彼は涙と鼻水にまみれた顔で立ち上がると、転がるようにして馬車に逃げ込み、「ひぃぃぃっ、出せ! 早く出せェェッ!」と御者に叫んだ。
ボロボロの馬車が逃げるように去っていく背中を、俺たちは誰一人として引き留めることはなかった。
後日、ルナミス新聞の三面記事には、『バレンタイン伯爵家、巨額の負債により領地没収。一家は離散』という小さな記事が載ることになるが、それはもう少し先の話である。
「ケントさん……っ」
馬車が見えなくなると、キャルルがトンファーをしまい、俺の胸にぎゅっと顔を押し付けてきた。
「よかった……ケントさんが、あんな冷たい人たちのところに戻らないって言ってくれて……私、私……っ」
「おいおい、泣くな。俺がこの村と、お前の作った美味い飯(と俺の食材)を置いて出て行くわけがないだろ」
「はい……っ、はいっ♡ 私、ケントさんのために毎日美味しいご飯作りますから……一生、ずっと一緒にいてくださいね♡」
キャルルが涙目になりながらも、その言葉の端々に重たい愛の波動をにじませる。
心底俺を想ってくれているのはありがたいが、少し愛情が重すぎるのが玉に瑕だ。
「やれやれ。これで過去のしがらみは完全に断ち切れたな」
実家という最大の未練(向こうからの)を処理し、身も心も真に自由になった。
村は平和を取り戻し、防衛資金も兵站も完璧だ。
俺の理想とするスローライフが、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。
――だが、俺がキャルルを宥めてホッと一息ついた、その時だった。
「あ、あの……ケント殿。少し、よろしいでしょうか……」
村の広場の隅から、モジモジと馬の下半身を揺らしながら、自警団長のマンミアが歩み寄ってきた。
いつもは凛々しい彼女が、今日はなぜか顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
「どうした、マンミア? どこか怪我でもしたか?」
「い、いえ! そういうわけではなく……その……」
彼女は自分の手元にある、カレンダーの切れ端のようなものをぎゅっと握りしめていた。
そこには、『12月25日』という日付が赤丸で囲まれている。
「あの……もうすぐ、あの日が……来てしまうのです……。私のような、売れ残りの……半額以下の女には、辛すぎる季節が……っ」
突如として乙女の顔になり、涙ぐみ始めるケンタウロスの自警団長。
背後でキャルルが『ギギギ……』と再び殺気を放ち始めているのを感じながら、俺は新たなトラブル(ラブコメ)の予感に、小さく頭を抱えるのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「実家の末路が自業自得すぎるw」「キャルルちゃんの正妻ムーブ最高!」「そして忍び寄る25歳のクリスマス(半額ケーキ症候群)…!」
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次回、第13話「処女馬ケンタウロスと、売れ残り半額ケーキ」。
25歳独身コンプレックスをこじらせたマンミアに、ケントが【最高級ホールケーキ】で慰めの言葉をかけます。そしてついに、あの『背中』に……!? お楽しみに!




