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+++ 夢のほとり +++(5)



「……これは何の真似ですか? ナルキス卿?」



 静かに響き渡る、明確な怒りを宿した清廉な声音。


 輝く紫紺の髪の隙間から覗く翡翠の瞳が、ナルキスを鋭い視線で射抜く。


「ル、ルピナ侯爵令嬢!? 何故、貴女がここにっ!?」


 その視線の圧に慄く様に、ナルキスは慌てて足を引っ込め、壁際まで後ずさる。


「私の質問に答えて下さい。何故、一介の牧師に過ぎない彼に、このような酷い体罰を与えたのですか?」


 ルピナは懐から取り出したハンカチでシオンの血を優しく拭いながらも、普段のそれとは異なる如何にも高位の貴族然とした高圧的な態度でナルキスに釈明を求める。


「そっ、それはっ!? そそ、その男が、私に無礼を働いたからでっ!?」

「無礼とは? 彼に比べて、貴方は傷一つ無いように見えます。それに……その女神像は、誰が破壊したのですか?」

「うぐっ!?」


 ルピナは視線に咎める色を乗せ、ナルキスを射竦める。


「主の現し身である女神像を破壊されて、管理する牧師が抗議するのは当然の権利です。それを無礼と罵るのであれば、相応に正当な理由があっての事でしょうね?」

「そ、それはっ………!?」


 口調こそ丁寧だが、視線と共に鋭さを増すルピナの舌鋒に、ナルキスは目玉を右往左往させて言い淀む。どうやらルピナに対しては、理不尽な屁理屈を押し通せないようだ。


「……や、めろ。お前には、関係の無ぇ、事だ」


 だが、ナルキスを追い詰めるルピナを、シオンのひび割れた声が制止した。


「シオンさん!? っ……貴方ともあろう人が、どうしてこんなになるまで好きにさせていたのですか!?」

「痛ってて……はぁ。先に手を出したのは俺の方だ。仮にも高位の神官相手の暴力沙汰。この程度で済むなら、安いもんだろ?」

「なっ!?」


 シオンは身体を起こし、痛む後頭部を撫でながらルピナに向き直ると、ボロボロの身で何とも無いと言わんばかりに肩を竦める。

 声はまだガサガサと荒れているが滑舌はハッキリしていて、とても今し方まで激しい暴行を受けていたとは思えない。


「てか、何で来たんだ? 後で呼びに行くって言ったろうが」

「それはっ……強い魔力の波動を感じて慌てて戻ったら、フィナさん達の悲鳴が聞こえて、それで、居ても立ってもいられず……」


「ああ……あの神官服に付いてる防護魔法か。ちっ、じゃあどの道、俺が癇癪起こしたせいじゃねぇか。悪かったな。手間かけさせて」

「いえ、手間とかそんな事は……と言うか、貴方本当に人間ですか? その怪我で何でそんな普通にしていられるんです?」


「残念ながら、一応な。少しばかり生まれと育ちが悪いだけだ」

「何ですかそれ。もう……心配して損しましたよ」


 あまりにもいつも通りに飄々としたシオンの態度に、ルピナは険しかった表情を緩め、柔らかく微笑む。


「なっ、何故っ!?」


 そんな二人の親し気なやり取りを見た……否、“見せ付けられた”と感じたナルキスは、わなわなと震えながらシオンをキツく睨み、慌てて駆け戻って来る。


「あ?」

「はい?」  


 ルピナの舌鋒に狼狽えていた姿とは打って変わって、肩を怒らせて二人の前に仁王立ちしたナルキスに、これまた仲良く揃って首を傾げるシオンとルピナを見て、彼は歯軋りの音が聞こえるほど強く奥歯を噛み締めた。



「ル、ルルッ、ルピナ侯爵令嬢! あ、ああ、貴方は、“私の婚約者”でしょう!? な、なのに、何故そのような下賎の男と仲睦まじく!?」



 頭に血が上り過ぎて呂律は怪しかったが、ナルキスが叫んだ内容は、その場に居る者達にしっかり伝わった。


「「こ、婚約者ぁぁ!?」」

「んぅ?」

「「「………」」」


 フィナとレンは顔を真っ赤にして驚愕し、リーンは兄弟達のリアクションの意味がよく分からず首を傾げている。……因みに、騎士達は何故か今にも溜息を吐き出しそうな、もの凄く微妙な顔をしていた。


「ああ、そういう……。いや、別に仲睦まじくは無ぇよ?」

「私も同意見ですが、今ツッコむ所はそこじゃありませんよ?」


 納得した顔でポンと手を打ったかと思うと、顔の前で手をヒラヒラ振って「ないない」とジェスチャーするシオンに、ルピナは冷め切った声音とジト目を向ける。


「くっ、またそのように親しげにっ!?」

「いやだから……って、聞いちゃいねぇな」

「はぁ……。昔から思い込みの激しい人なんです。そもそも、婚約の話も一方的に彼が要求しているだけで、私は承諾していませんし」

「あ、そうなん? ……いやまあ、そりゃそうか」

「くぅぅぅぅっっっ!?」


 シオンとルピナが似たような呆れ顔を浮かべれば、ナルキスは益々嫉妬に苛立ち、その場で何度も地団駄を踏む。


「あの、ナルキス卿? 本当に私と彼は貴方が邪推する様な仲ではありませんよ? それと、何度もお断りしている通り、私に貴方と婚約する意思はありません。遥々辺境まで足を運んで頂き申し訳ありませんが、どうぞお引き取り下さい」

「なっ!? やはり、その男とデキているのか!? まさかっ、あの子供達は二人のっ!?」

「聞いちゃいねぇ……。そんな訳無いでしょう。一番小さいリーンさんでも、私が産んでたらフィナさんより小さい頃に産んだ事になりますよ。どういう変態的な思考をすればそんな結論に至るのですか?」

「むっ!? そ、そうか……」


 微妙にシオンの口調が移っているルピナの冷め切った低い声音に、興奮していたナルキスもビクッ! と、身を震わせて僅かに冷静さを取り戻す。


「な、なら、尚更問題無かろう!? そもそも私と貴女の婚約は国王にも認められたのだ! 王命に逆らってまで拒否すれば、貴女だけでなくお父上にも厳罰が下されるぞ!」


 ……その僅かな冷静さが、ルピナにとって都合の悪い思考力まで取り戻させてしまった様だが。


「国王が……? いえ、そんな筈はありません。父は私に無関心ですが、婚約を断る事については合意していました。いくら国王でも、侯爵である父の意向をそう簡単に無碍にするとは思えません」

「おや、知らないのか? お父上は今、魔族領に遠征で出向かれている。意向も何も、王命が下された時には、そもそも王都には居なかったのだ」


 ヒクヒクと口の端を引き攣らせながらもいやらしく笑うナルキスに、ルピナは失望と嫌悪が溢れ出す。


「遠征……まさか、父が居ない隙を狙って? 何と卑劣なっ!」

「おいおい……。そんな暴挙がまかり通んのか?」


 流石に黙って聞いている訳にもいかないと口を開いたシオンに、ルピナは諦観を滲ませる疲れた顔を向ける。


「……ナルキス卿は、傍系ですが王族の血を引いているのです。反対する者が居なければ、多少強引な陳情でも国王が聞き入れる可能性はありますね」

「そりゃまた、反吐が出るほど素敵な家族愛だこと……。けど、だからってお前が従う義理も無ぇだろ? 王命つっても、悪魔で『認められた』ってだけだ。婚姻に関しちゃ、いくらお貴族様でも最終的には本人の意思が尊重されるんじゃ無かったか?」

「それは、そうなんですが……」


 法に則ったシオンの正論を認めながらも、ルピナの表情は晴れない。

 その理由は、勝ち誇った様に彼を睥睨するナルキスの口からもたらされた。


「ふんっ、これだから田舎の猿は! 我ら貴族にとって、最も大事なのは“誇り”。貴様等のような平民でも分かる言葉を使うなら、“面子”だ。言うまでも無いが、それは位が高くなればなるほど重みを増す。もう言いたい事は分かっただろう?」

「……分からねぇな。分かりたくもねぇ」


 シオンは否定の言葉を口にしたが、苦味走ったその表情を見れば、ルピナが置かれている状況の悪さを察しているのは明白だ。


「ならハッキリと言葉にしてやろう! 王の認めた婚姻を一方的に拒むという事は、王の面子を潰すのと同義! 貴族社会に於いてそのような恥知らずな真似は、家名を汚す行為に他ならない! 仮に彼女はそれで良くとも、当主である父君や、家を継がれるご兄弟は今度どのような扱いを受けることになるやら……。いやぁ、心配ですなぁ? ルピナ殿?」

「っ………」


 白々しく安い悲哀に満ちた顔で、黙り込んだルピナの顔を覗き込むナルキス。


「てめぇ……」

「ひぅっ!?」


 そんな彼の行動を目にして、一度は平伏して体罰まで受け入れていたシオンから、再び怒気が漏れ出す。


「な、何だその態度は!? い、いい、言っておくが、次私に手を出せば、教会本部だけでなく王にもこの教会を撤去するよう陳情を出すぞ!?」

「……上等だ。そんなに戦争がしてぇなら、てめぇも王も纏めて皆殺しに……」


 ナルキスの脅迫が最後の理性を奪ったのか、シオンは胸元の十字架を握り締め、憤怒に身を任せて激情を解放しようと瞳孔を在らん限りに開く。


 ……だが。



「シオンさん」

『シオン』



 清廉で、それでいて温かく、どこか懐かしいその声が、獣に堕ちようとした牧師の心を引き留めた。


 脳裏に過ぎる追憶と、その声が、重なった。


「っ……!?」

「私は大丈夫です。だから、そんな怖い顔をしないで下さい」


 気が付けば、固く握り締めたシオンの拳を、ルピナの温かい手が包んでいた。


「貴方が強いのは知っています。でも、貴方の力はこんな使い方をする為にある訳じゃ無い。そうでしょう?」

「っ………」


 溢れそうになる涙を、シオンは無意識に堪えた。


 声どころか、体格も、顔も、髪や瞳の色も、何もかも“彼女”とは違う。

 ……だと言うのに、その眼差しと、包み込む手の温もりが、どうしようも無く“彼女”を思い出させる。


「……もう、大丈夫そうですね」


 コクりと一つ頷いたルピナは、シオンの拳からそっと手を離し、立ち上がる。

 そして、怯えを必死に隠そうと威丈高に胸を反るナルキスに、力強い瞳を向けて相対した。


「貴方のお望み通り、王都に同行します」

「ほ、ほうっ! それでは、婚約に応じて頂けるのだな!?」

「この場で頷く事は出来ません。お返事は正式に、王の前でさせて頂きたく」

「ぐぅっ!? ……い、良いでしょう。但し、時間稼ぎなど出来るとは思わない事です。王都に戻ったらすぐに謁見出来るよう手配するので、そのおつもりで!」

「ええ。それで結構です」

「くっ、くふっ!」


 キッパリと言い切るルピナに、ナルキスは多少の不信感を抱きつつも、王都に戻ればどうとでもなると言わんばかりにほくそ笑んだ。


「な、何をしている騎士共!? さっさと馬車を回せ! 王都に帰還するぞ!」

「っ……はっ!」

「「「はっ!」」」


 嬉々として命令するナルキスの声に、躊躇いがちに一人の騎士が応じ、他の騎士達もそれに倣った。


「秘宝を持ち帰ることが出来れば尚良かったが……必須では無い。それこそ後でどうとでもなる。善は急げだ! 貴様等! 王都までしっかりと我々未来の夫婦を護衛せよ!」

「「「……はっ!」」」


 愉快げな軽い足取りでナルキスが外に向かうと、騎士達もまたルピナに同情的な視線を向け、後に続く。


 その慌ただしい様子を目にして、やっとシオンは意識が追いついたのか、ハッとしてルピナの手を無意識に掴んだ。


「おい!? お前……」

「大丈夫です。敢えて位は黙っていましたが、彼が言った様に私は『侯爵令嬢』です。社交界の荒波に揉まれて鍛えた政治力は伊達ではありません。王都に着けば、やりようはあります」

「っ、だが……」


 間髪入れずに力強く頷いたルピナに、シオンは食い下がる言葉を見つけられず俯く。


「ふふっ……。あれだけ私を追い出そうとしていたのに、いざとなればそんなに必死に引き留めるなんて。シオンさんも意外と可愛い所があるじゃないですか。やはり、私のような超絶美少女との同居生活を失うのは惜しいと見えます」

「ふざけてる場合じゃねぇだろ……」


 こんな状況だと言うのに、楽しげにクスクスと笑うルピナの様子に、シオンも思わず脱力してしまう。


「ルピーさん……本当に、大丈夫なんですか?」

「ルピー姉ちゃん!? あんなクソ野郎と結婚なんてあんまりだぜ!」

「ルピねぇ……」


 と、そこに騎士達から解放された子供達が駆け寄り、瞳を潤ませて心配そうにルピナを見上げた。


「皆さん……。ありがとうございます。ご心配には及びません。仮に、もし仮に婚約するような事になっても、あんなおバカ神官なんて徹底的にお尻に敷いてこき使ってやりますから!」


 ブンブンと腕を回し、勝気な笑みでそう言って、ルピナはシオンと子供達に背を向けた。


「ルピナ殿! 何をしているのです!? さあ! 私達の新たな門出に向けて出発しますよ!」

「はぁ……はいはい」


 腹が立つほど明るいナルキスの声にため息で応じたルピナは、少しだけ眉尻を下げた横顔だけを、シオン達に向けた。



「……それでは、シオンさん。フィナさん。レンさん。リーンさん。短い間でしたが、お世話になりました。蹴り飛ばされたり罵倒されたり、色々ありましたが、それでも、とても……とても、楽しかったです。……さようなら」



 前を向き別れを告げた彼女は、掴んだままだったシオンの手を、そっと解いて歩き出す。


「………」


 シオンは、何も言わなかった。言えなかった。

 今すぐに彼女に掛けられる言葉を、彼は持っていなかったから。


 そんなシオンを、子供達もまた黙って見つめていた。


 コツコツと、礼拝堂を出ていくルピナの足音だけが響く。

 ただでさえ華奢な背中が、どんどん小さくなって行く。


 馬車の扉が閉じ、馬の嘶きと蹄の音が、遠ざかって行く。


「っっ………」


 奥歯を強く噛み締めたシオンの歯軋りが、側に居た子供達には聞こえていた。


お読み頂きありがとうございます。

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