+++ 夢のほとり +++(4)
「“もういい……死ね”」
ナルキスの顔を締め上げるシオンは、手の皮膚が裂け血が溢れ出す事も構わず防護魔法を喰い破り、頭蓋を握り潰そうとした。
「兄さんっっ!! だめぇぇぇっっ!」
………その直前、悲痛な少女の絶叫が礼拝堂に木霊する。
「っ………!」
「ぁっ……はぁっ、はぁっ!?」
シオンは硬直し、動きを止める。
間一髪死を逃れたナルキスは、喘ぐように呼吸を再開した。
その隙を突くかの様に、フィナ、そしてレンとリーンがシオンの元へと駆け寄る。
「何してんだよシオン!? シスターとの約束忘れたのか!?」
「むようなせっしょう。だめ、ぜったい」
「間に合って良かった……っ」
レンは腕に、リーンは足に、フィナは胴に、動きを止めたシオンからまるで殺意の熱を吸い取るように、しがみつく。
「お前、ら……」
まだぎこちないが、振り返ったシオンからは先程までの凄絶な殺気が薄れ、声にも普段の温もりが少しだけ戻っていた。
「兄さん。女神像はまた、町の職人さんに作ってもらおう? シスターが居るのは此処じゃなくて、天国でしょう?」
「……………ああ。ああ、そうだったな」
怒りではなく悲しみの涙を浮かべながらも、気丈に笑って諭すフィナを見て、シオンはようやく冷静さを取り戻した。
すると、礼拝堂の中を満たしていた重圧が嘘のように消え去り、騎士達、そしてシオンの手から解放され腰を抜かしたナルキスの硬直が解ける。
「き、貴様らぁぁっ!? 何をしている!? こ、ここっ、この無礼者を捕らえんか!?」
「い、いえ、しかし……」
ヒステリックに叫び散らすナルキスの命令に騎士達は躊躇し、互いの目を見合わせる。
つい今し方まで見せていたシオンの狂的なまでの殺意と、高位神官の法衣が纏う防護魔法すら力尽くで破壊するその圧倒的な膂力に臆しているという面も確かにある。
だがそれ以上に、そんな彼に何の躊躇いもなく抱き付き、凶行を止めた子供達の姿が、正常な倫理観を持つ騎士達の判断を鈍らせていた。
「くっ!? この役立たずどもが……おい、牧師! 貴様、このままで済むと思うなよ!? こんなオンボロ教会、本部に戻ったらすぐに私の権限で取り潰してやるっ」
「………テメェがどれだけ偉いのか知らねぇが、うちの教会は別の高位神官の管轄だろ」
「それがどうした! 本部の議会で問題にすれば、その神官とてわざわざ小っぽけな田舎の教会如き庇い立てなどするものか!」
「………」
この教会を管轄している神官は、一応シオンとは旧知の仲、と言うより腐れ縁だ。ナルキス一人が騒ぎ立てるだけなら、恐らく突っぱねてくれるだろう。
……ただ、議会で問題にされた時に、彼等が探しに来たと言う『秘宝』の話になると少し厄介だ。
どれだけ探した所で、その『秘宝』が見つかる事は絶対に無い。
だが、『秘宝』は間違い無く、此処にあるのだ。
「ちっ……」
自身で招いた事とはいえ、シオンは状況の悪さに苛立ちを漏らさずにはいられない。
ナルキスだけならともかく、教会本部全体に目を付けられれば、もしかすると取り壊しなどよりもっと悲惨な未来が待っているかもしれないのだ。
自分が罰を受けるのは構わない。どんな責苦でも耐えられる。
けれど、子供達が虐げられる事だけは何があっても看過できない。
シスター……聖女アメリアとの約束を破る事にはなるが、ナルキスは殺すしか……。
「ナ、ナルキス様、それはあまりにも……」
そんな思考がシオンの頭をよぎったその時、年長の騎士が遠慮がちに声を発した。
教会を訪れた際、最初にシオンへ声をかけた騎士だ。
「何だ? 一介の騎士如きが、私に意見でも?」
「っ……恐れながら、事故とは言え先に女神像を破壊したのは我々です。それに、この教会には孤児も居ります。子供から家を奪うことは教義にも反します。どうか、ご寛大なお慈悲を彼らにお与え下さい」
ジロりとナルキスに睨まれ一瞬言葉を飲み込んだ騎士だが、意を決して跪き、自身の正義に従って真っ直ぐに言葉を紡いだ。
その勇気ある姿に他の騎士達もまた感化されたのか、瞬く間に彼の後ろに集い跪く。
「正気か貴様ら!? 私に楯突くと言う事が何を意味するか、分かっているのだろうな!?」
「近衛に選ばれなかった我々を拾って頂いた恩は忘れておりません。ただ、どうか未来ある子供達の居場所だけは、神の従僕たる御身の手で奪わないで頂きたい。護衛の分際で出過ぎた真似をしている事は重々承知しております。私の処分は、如何様にも」
……どうやら、彼らは出世の道を外れた所をナルキスに拾われた者達らしい。納得出来ない命令にも従っていたのは、それらの事情が絡んでいるのだろう。
「くうぅぅっ!? ……き、貴様等まで、私をコケにするのかっ!?」
憤怒の形相を浮かべ、垂れた頬をヒクつかせながら歯軋りするナルキスの目は、どす黒く濁っている。このままでは、また何を言い出すか分かったものでは無い。
「……はぁ。しゃぁねぇな」
「兄さん……?」
シオンは溜息を一つ吐き、子供達の頭をポンポンと優しく撫でると、今にも激発しそうな神官の前へ歩み出た。
「ひっ!? ぶ、無礼者っ! こ、今度は何をするつもりだ!?」
いくら頭に血が登っていても、顔面を握り潰されかけた恐怖はしっかりと残っていたようで、シオンが目の前まで来るとナルキスは怯えて後ずさった。
「もう手は出さねぇよ」
だが、当のシオンは軽く肩を竦めたかと思うと、唐突にその場に両膝を突いた。
「っっ!? 何の、つもりだ?」
「見ての通り。謝罪だ」
ヒクヒクと引き攣った顔で問い掛けて来るナルキスにあっさりそう告げ、シオンは両手と額を床に擦り付ける。……まともな神経なら、屈辱極まりない謝罪の姿勢だ。
「なっ!?」
「「「っっっっ!?」」」
瞠目するナルキスと騎士達の前で、シオンは床を見つめたまま、淡々と謝罪の言葉を口にした。
「女神像を壊されて、気が動転していた。申し訳なかった。俺の事は煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない。だからどうか、この教会と、ガキどもには手を出さないでくれ」
ナルキスを殺す事は、シオンにとって造作も無い事だ。今更、痛む心も持ち合わせてはいない。……だが、シオンには“約束”があった。
そして、何があっても守り抜くと誓った子供達が居る。
己のプライドなど、掛け替えの無いそれらに比べればゴミ屑にも等しい。
「っ、兄さん!?」
「おいシオン!?」
「おにぃ……」
シオンが見せた疑いようの無い自己犠牲の姿に、子供達は慌てて駆け寄ろうとする………だが。
「お前らは口を挟むな。大丈夫だ。俺がちょっとやそっとじゃ死なねぇ事は知ってるだろ?」
「で、でも……」
謝罪の姿勢を崩すこと無く、声だけで自分達を制するシオンに、子供達はそれ以上何も言えなくなってしまう。
殺しを止めたのが、他でも無い自分達だからこそ、尚更に。
「ふ、ふんっ! 都合が悪くなれば手のひら返しか!? 随分と殊勝な事だ、なっ!」
恐怖が消えたわけでは無いようだが、瞳に嗜虐的な色を浮かべたナルキス。
あろうことか、彼はシオンの頭を、硬い革靴を履いたその足で踏みつけた。
「っっ……」
「兄さんっ!? やめてっ! 神官様! やめて下さいっ!?」
「てめぇっ!? 黙って見てりゃ好き勝手しやがって!?」
「おにぃぃ……っ」
ナルキスの蛮行を無抵抗に受け入れるシオンの姿に、子供達が悲痛な叫び声を上げる。
フィナとリーンは瞳に涙を浮かべ、レンは今にも殴り掛かりそうなほど激昂していた。
「黙ってろ! ……騎士の兄さん方。悪いが、ガキどもを押さえといてくれ」
「っ!? ……分かった。君たち、こっちへ来るんだ!」
シオンの意思を汲んだ騎士達が、子供達を傷つけないよう丁重に扱いながら腕や肩を掴んで拘束する。
シオンの屈辱的な姿を少しでも見せないよう、その広い背に庇いながら。
「いやっ、兄さんっ!?」
「離せよっ!? おいっ!?」
「うっ、ううぅぅっっ!」
子供達は激しく抵抗したが、ただでさえ大人と子供。相手が屈強な騎士となれば、成す術なく叫ぶことしか出来ない。
「はっ! 神に選ばれしこの私に暴行を働いておいて、子供を守る聖人ヅラとは片腹痛いっ! 貴様のようなチンピラが、よくも牧師を名乗れた物だな!?」
「……ああ、全くだ」
頭を踏みつけられたままだと言うのに、思わずシオンは苦笑を漏らした。
他の誰よりも、自分が一番よく分かっている。
神の教えを説き、弱き者の声に耳を傾け、自分を律し誰かの為に生涯祈りを捧げ続ける。……自分にはあまりに似合わず、分不相応で、本来なら許される筈の無い肩書きだ。
「何を笑っている!? このっ、このぉっ!?」
「っ……っ……」
シオンの苦笑は悪魔で自身に向けた物だったが、ナルキスはそれを余裕、或いは嘲笑と受け取ったようで、苛立たしげに何度も足を振り下ろす。何度も、何度も。
いくらシオンが頑丈と言っても、ナルキスの様に魔法で守られているわけでは無い。
太った男に硬い革靴で後頭部を踏み付けられ、更に硬い床に顔面を幾度も叩き付けられれば、激痛が走り血も流れる。
「はぁっ、はぁっ、くっ、このぉっ!?」
「っ………」
それでも、シオンは逃げるどころか一向に顔を上げず、平伏を貫く。
どれだけ痛め付けても悲鳴どころか苦悶の声一つ漏らさない彼の様子に、よりムキになって踏み付け続けているナルキスの方が苦しそうに息を切らしていた。
「ナルキス様! それ以上は幾ら何でもっ!?」
「う、うるさいっっ!! 此奴はまだ余裕ぶっているではないか!」
見かねた騎士が制止の声を上げても、ナルキスは益々ヒステリーになるばかり。
「……構わ、ねぇ。好きに、してくれ」
シオンは口の中が切れているのか、声は掠れ滑舌も悪くなっている。
振り下ろされ続ける理不尽な断罪は、頭だけでなく床についた手や背中、常人なら急所である首に至るまで、全身を容赦なく踏み付ける。
………やがて、シオンの後頭部と床が赤黒く染まり、漆黒の法衣が原型を留めないほどボロボロに破れ、その下の皮膚に打撲や裂傷の痕が無数に刻まれた頃。
ようやく、ナルキスは蛮行を止めた。
「はぁっ、はぁぁっ………ふっ、ふんっ! どうだ!? この私の偉大さが身に沁みたか!? 凡愚めっ!」
ナルキスは額に溢れる汗を拭い、まるで鬼の首を取ったかの如く大声でそう問い掛ける。
引き攣ったまま興奮に上気した頬や、ツンと高く顎を上げてシオンを睥睨する様は、自身の矮小さを必死に覆い隠そうとしているようで酷く滑稽だった。……だが、それをこの場で指摘する愚か者は居なかった。
「……………あ゛あ゛」
一方、シオンは常人ならとうの昔に意識を失っていてもおかしく無い有様だ。
それでも、一切姿勢を崩さぬまま、ひび割れた声で返事をした。
強がりでも、意地でも無く、ただ受け入れている。
それでも彼は、泰然自若とした力強さを失ってはいなかった。……酷く痛々しい姿である事に、変わりないが。
「兄さんっ……ごめんなさい……ごめんなさいっ!」
「くっそぉっっ!?」
「ぅぅっ、うぅっ……」
騎士達の隙間からその姿を見た子供達は、止めどなく涙を溢れさせ、己の無力を嘆いた。
自分達が弱いから、ただ守られる事しか出来ない子供だから、シオンが一人で傷付かなければならない。
頭では分かり切っていたその事実を、まざまざと見せ付けられて心が引き裂かれていく。
「くっ……ナルキス様! もう十分でしょう!? 彼を赦して下さい!」
そんな子供達の憐れな姿に、年長の騎士は我慢の限界とばかりに声を張り上げて進言する。 他の騎士達もまた、どこか責める様な目でナルキスを見ていた。
……その目が、ナルキスは心底気に食わない。
「だ、か、らぁ……貴様等がっ、私にっ、命令するなぁぁぁぁぁっっ!!」
眦を吊り上げ激昂したナルキスは、一度は下ろした足を再び大きく振り上げた。
「いやあああああっっ!?」
「やめろぉぉぉっ!?」
「おにぃぃっ!」
子供達の悲鳴が、痛々しく礼拝堂に木霊した、その時。
開け放たれたままの扉から、一陣の疾風が舞い込んだ。
「むぅっ!?」
「……?」
予想していた手応えとは違う堅い感触にナルキスは瞠目し、襲って来るはずの衝撃が無かった事に、シオンもまた伏せていた顔を僅かに上げる。
……すると、そこには大の男が体重を乗せた靴の踵を、片手に持った剣の鞘だけで受け止めた少女が跪いていた。
「……これは何の真似ですか? ナルキス卿?」
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