第89話「因果の読み合い」
翌朝だった。
拠点の全員が起きる前、まだ薄暗い時間だ。
蚜が反応した。
俺は部屋から廊下に出た。
白瀬の部屋のドアを叩いた。
「起きろ」
十秒で白瀬が出てきた。顔が眠そうだ。でも目が変わった。俺の顔を見て、すぐに変わった。
「来たか」
「南から。一人だ」
「一人?」
「一人だ。でも——普通じゃない」
朝霧の部屋から朝霧が出てきた。気配で察したらしい。
「場所は」
「拠点の外、二百メートル先だ。こちらに向かっている」
「迎えに行くか」
「ああ。ここに入れるな」
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拠点の外に出た。
白瀬と朝霧を後ろに下げた。
「下がっていろ。俺がやる」
「でも——」白瀬が言いかけた。
「下がっていろ」
二人が後退した。
静かな朝だった。
まだ人通りがない。街灯が消えかけている。
前から、人が歩いてきた。
男だった。
年齢が読めない。三十代にも五十代にも見える。背が高い。黒いコートを着ている。目が細い。表情がない。
俺を見た。
止まった。
「17か」
低い声だった。
「そうだ」
「会いたかった」男が言った。「灰島から聞いていた。お前のことは」
「名前は」
「必要ない」男が静かに言った。「どうせ長くはやりあわない、とお互い思っているだろう」
俺は男を見た。
蚜を展開した。
存在の歪みを感知した。
能力の輪郭が見えた。複合型だ。管理局の訓練を受けている。でも灰島の影響も混じっている。
能力の核心は——まだ読めない。
意図的に隠している。
「管理局と灰島、両方に繋がっているか」
男が少し目を細めた。
「賢いな」
「どちらが本体だ」
「どちらでもない」男が静かに言った。「俺は俺の目的のために動いている。それだけだ」
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男が一歩踏み出した。
俺も一歩踏み出した。
距離が縮まった。
男が動いた。
速い。でも速度強化じゃない。
動作に無駄がない。訓練された動きだ。
俺は蚜の感知だけで捌いた。
男の拳が来た。
俺は捌いた。
男が止まった。
俺も止まった。
お互いを見た。
「……能力を使っていないな」男が言った。
「お前もだ」
男が少し目を細めた。
「気づいていたか」
「最初から」
男が静かに笑った。笑顔じゃない。口角が少し上がっただけだ。
「では——解放しよう」
男の周囲の空気が変わった。
能力が展開された。
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男が踏み込んだ。
俺は式系・蚜だけを維持したまま、捌いた。
能力は使わない。
男の拳が来た。速い。先ほどより速い。
俺は捌いた。
でも——圧が違う。
一発ごとの重さが、先ほどと桁が違う。
能力を展開してから、攻撃の威力が跳ね上がっていた。
俺は距離を取った。
考えた。
カウンター型だ。それはわかる。
でも威力の上がり方がおかしい。
単純に返すだけなら、威力は変わらないはずだ。
なのに——なぜ跳ね上がっている。
男が再び踏み込んだ。
俺は捌きながら、男の動きを観察した。
攻撃のたびに威力が上がっている。
等倍じゃない。
倍々に上がっている気がした。
「……増幅か」俺は言った。「お前の能力、こちらの攻撃を受けるたびに威力を増幅して返すのか」
男が少し止まった。
俺を見た。
「惜しい」
「惜しい?」
「増幅ではない」男が静かに言った。「お前が使った技の数を数えている。そしてその数で——自乗して返す」
自乗。
俺は少し止まった。
「一つ使えば一乗——そのまま。二つ使えば二乗。三つなら三乗」
「そういうことだ」男が俺を見た。「だから威力が跳ね上がる。お前が多くを使えば使うほど、返ってくる力が指数関数的に増える」
俺は整理した。
単純に返すカウンターじゃない。
使った技の数で自乗して返す。
一つなら問題ない。でも複数同時に使えば——
式系を複数展開しながらFormula系を使えば、三乗四乗になって返ってくる。
それは——致命的だ。
「だから能力を隠していた」俺は言った。「こちらが能力を使うのを待っていた」
「そうだ」男が静かに言った。「気づくのが早い。でも——」男が踏み込んだ。「気づいても、どうする」
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攻防が続いた。
俺は能力をほぼ使わない。
蚜だけを維持して、体術で捌く。
男は速い。訓練された動きだ。
俺も速い。
互角だった。
でも——このままでは終わらない。
男がそれをわかっている顔をしていた。
白瀬が後ろで息を呑む気配がした。
朝霧が静かに見ている気配がした。
男が止まった。
俺も止まった。
二人とも、息が少し上がっていた。
「……能力をほぼ使わないか」男が言った。「賢い選択だ。だが——」
「だが?」
「体術だけでは、俺を倒せない」男が静かに言った。「このまま続ければ、じり貧だ。お前にはわかっているはずだ」
「ああ」
「ならば——どうする」
俺は男を見た。
自乗して返す能力。
でも——使う技の数を一つに絞れば、一乗だ。返ってくるのは同じ威力だけだ。
ならば——一つだけ使う。
でも一つじゃ足りない相手に、一つで勝てるか。
俺は少し考えた。
別の土俵を作る。
男の能力の原理を逆手に取る方法が——ある。
「もう少しだけ付き合え」
男が少し目を細めた。
「面白いことを考えているな」
「見ていろ」




